法政大学野球部で、選手ではなく「学生コーチ」としてチームを支えた一人の部員が、この秋大きな注目を集めています。
その名は、平尾聡一郎(ひらお・そういちろう)さんです。
プロ志望届を提出した選手たちがドラフト会議の結果を待つ中、平尾聡一郎さんは広島東洋カープの球団職員として、プロ野球界への切符を掴み取りました。
選手としてではなく、運営側として「プロ」の世界に飛び込む平尾聡一郎さん。
なぜ彼はプレーヤーではなく支える側を選び、そして評価されたのでしょうか。
今回は、父や弟との絆、そして学生コーチとして奔走した平尾聡一郎さんの経歴に迫ります。
【お誕生日おめでとう!】
— 法政大学野球部 (@hoseibbc1915) December 23, 2024
誕生日の部員に、今1番欲しいものと目標を聞きました!
本日誕生日を迎えたのは平尾 聡一郎(3年・学生コーチ・海星)です!
今1番欲しいものは来年の手帳です!
目標は日本一になることです! pic.twitter.com/fFkiYnOrsj
平尾聡一郎のプロフィール
名前:平尾聡一郎(ひらお そういちろう)
生年月日:2003年12月23日
出身:長崎県
身長:172cm
体重:64kg
投打:右投げ左打ち
経歴:海星中学校→海星高等学校→法政大学

平尾聡一郎の父と弟
平尾聡一郎さんの野球人生を語る上で、家族の存在は欠かせません。
特に父・吉隆(よしたか)さんの影響は大きく、お父さんもまた平尾聡一郎さんと同じ長崎県の海星高校出身でした 。
平尾聡一郎の父・平尾吉隆
高校時代、父・吉隆さんは主将を務めましたが、甲子園出場は叶いませんでした 。
現在は長崎市で保険代理店を営みつつ長崎南リトルリーグの監督として子供たちを指導しています 。
自信が持てなかった平尾聡一郎さんに
「男はハッタリと少しの痩せ我慢」
という言葉を贈り、それが今も心の支えになっているそうです 。
平尾聡一郎の弟・平尾幸志郎
また、平尾聡一郎さんの2学年下の弟・平尾幸志郎(こうしろう)選手も野球されています。
ポジションは外野手。
父兄と同じく海星高校の出身で、高校時代は2年夏と3年春に甲子園へ出場。
2年夏は全3試合に、3年春は全2試合に出場し、どちらも打率3割以上を記録する活躍を見せました。
【 #センバツ 】海星が機動力生かし初戦突破 好走塁の平尾幸志郎「狙ってました」 https://t.co/WWHXOjWNI2 #野球 #baseball pic.twitter.com/bo4TdqzVr5
— スポーツ報知 (@SportsHochi) March 20, 2023
現在は平尾幸志郎選手も法政大学野球部に所属しています。
平尾聡一郎の高校時代
平尾聡一郎さんは、長崎県の名門・海星高校の出身です。
1学年上には、現在読売ジャイアンツに所属する浦田俊輔選手がいました。
高校1年生の夏、チームは甲子園に出場しましたが、当時はまだベンチ外でした。
3年生の夏の長崎県大会ではチームは準決勝まで進みましたが、大崎高校に1対2で敗退。
父と同じく、平尾聡一郎さんもまた甲子園の土を踏むことは叶いませんでした。
高校卒業後の進路を考える際、転機が訪れます。
高校の監督との面談で「学生コーチという道もあるよ」と教えられたのです。
自分の実力では選手として続けるよりも、学生コーチとして活動した方がチームのためになると考え、平尾聡一郎さんは裏方として法政大学へ進む決断をしました 。
平尾聡一郎の大学時代
法政大学野球部に入部した平尾聡一郎さんは、当初マネージャー志望でしたがなれず、先輩からの勧めで学生コーチとしてのキャリアをスタートさせました 。
大学4年間で彼が直面したのは、160人もの部員を抱える大所帯ならではの難しさでした。
時間の管理やグラウンドの調整に加え、選手一人ひとりに想いを伝えることの難しさに悩みながらも、個別に話すなど工夫を凝らしました 。
その経験から選手一人ひとりに寄り添い、相手の気持ちを読む力が身についた、と語っていますね。
時には神宮球場でプレーする同期の姿を見て「羨ましい」と感じることもありましたが、最終的には「自分が学生コーチでよかった」と思えるほど充実した日々を過ごしました。
法大野球部の進路先公開 並ぶ大手企業の就職…輝く唯一のドラ1、広島球団職員も(Full-Count)
— ٩(′サ‵)۶ (@sasa_slider) November 23, 2025
>平尾聡一郎・学生コーチは広島の球団職員になる。 https://t.co/7e6T7hzYgi
平尾聡一郎のまとめ
今回は、法政大学野球部から広島東洋カープの球団職員へと進む平尾聡一郎さんについて紹介しました。
・父・吉隆さんは元海星高校主将で、弟・幸志郎選手は法政大学でプレーする野球一家です。
・海星高校時代は甲子園出場は叶わず、監督の勧めで学生コーチの道を志しました。
・法政大学では160人の部員を支える学生コーチとして奔走し、広い視野と判断力を磨きました 。
・卒業後は広島東洋カープの職員として、野球振興やジュニア育成などで日本球界への貢献を目指します。
「日本の野球界に貢献できるような仕事をしたい」と語る平尾聡一郎さん。
今後はプロ野球というさらに大きな舞台で、その「支える力」を発揮してくれることでしょう。
裏方として輝く彼のセカンドキャリアからも目が離せません!


