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西村王雅のwiki風経歴!父や兄弟もすごい?素行が悪い?

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西村王雅投手が社会人野球の強豪・東芝野球部退部を発表し、話題になっていますね。

智辯学園時代には甲子園準優勝の立役者となり、社会人でも日本代表として世界一を経験するなど、輝かしい実績を残してきた西村王雅投手

まだ社会人4年目という若さでの決断に驚きの声も上がっていますが、彼のこれまでの歩みは色褪せることはありません。

今回はこれまでの西村王雅投手野球人生家族について調べてみました。

西村王雅のプロフィール

名前:西村 王雅(にしむら おうが)
生年月日:2004年1月17日
出身:京都府宇治市
身長:171cm
体重:77kg
投打:左投げ左打ち
ポジション:ピッチャー
経歴:宇治市立御蔵山小学校→宇治市立東宇治中学校→智辯学園→東芝

西村王雅の父

西村王雅投手西村基治(もとはる)さん野球経験者です。

西村王雅投手と同じ左ピッチャーで、1990年夏には平安高校(現・龍谷大平安)の2年生エースとして甲子園に出場。

甲子園では2回戦の境高校戦での完封を含む2勝を挙げています。

高校卒業後は、社会人野球の神戸製鋼に入社し、野球を続けていました。


また西村王雅投手には男の兄弟はおらず、お姉さんが一人いるだけです。

西村王雅の小学中学時代

京都府宇治市出身西村王雅投手は、小学2年生の時に御蔵山スポーツ少年団軟式野球を始めました 。

中学に進学すると硬式野球の京都シニアに入団し、本格的にピッチャーへと転向します 。

ここでの成長は目覚ましく、中学1年時には最速118km/hだったストレートが、3年時には138km/hをマークするまでにスピードアップしました 。

チームとしても全国大会でベスト8入りを果たしたほか、関西選抜にも選出されるなど、当時からその才能は際立っていました。

周囲からは「関西ナンバーワンサウスポー」との呼び声も高く、将来を嘱望される存在だったのです 。

西村王雅の高校時代

中学卒業後、
「あのカッコいいユニフォームをきて甲子園のマウンドに立ちたい」
という憧れを抱き、奈良県の強豪・智辯学園進学しました 。

西村王雅投手の才能は高校入学直後から開花します。

1年春の近畿大会から早くもベンチ入りを果たすと、初戦智辯和歌山戦でリリーフ登板し、4回1失点の好投で公式戦デビューを勝利で飾りました 。


さらに1年夏甲子園にも背番号11で出場。

初戦の八戸学院光星戦では、敗れはしたもののリリーフとして大舞台を経験します。

秋からは背番号1を背負い、近畿大会ベスト4進出に大きく貢献しました 。


2年春
はコロナ禍によるセンバツ中止という不運に見舞われましたが、甲子園交流試合では中京大中京と対戦。

相手エースは現在プロ野球(中日)で活躍する高橋宏斗投手でした。

延長10回の激闘の末にサヨナラ負けを喫しましたが、西村王雅投手は2回以降3安打1失点という圧巻の投球を披露し、その評価を不動のものにします。


2年秋近畿大会では、滋賀学園、龍谷大平安、大阪桐蔭といった各府県の1位校を次々と撃破し、9年ぶりの優勝を達成!


翌3年春
センバツでは2試合先発し、ベスト8入りに貢献しました。


そして迎えた3年夏の甲子園

全6戦中4戦先発し、準々決勝の明徳義塾戦では8回2失点の粘投でサヨナラ勝ちを呼び込みました。

決勝では「智辯対決」として注目された智辯和歌山戦に敗れましたが、甲子園準優勝という素晴らしい成績を学校の歴史に刻みました 。

西村王雅の社会人時代

高校卒業後はプロ志望届を提出せず、社会人野球の名門・東芝へ入社。

高卒1年目から公式戦に出場する機会を掴みます。

秋の日本選手権では準々決勝のトヨタ自動車戦で登板し、全国デビューを果たしました。

社会人3年目の9月には、U-23ワールドカップ日本代表に選出。

ここでは救援兼先発としてフル回転し、計4試合に登板 。

2勝0敗防御率1.08という抜群の安定感を見せ、日本の大会2連覇に大きく貢献しました。

西村王雅の素行は悪い?

「西村王雅」で検索すると「西村王雅 素行」とでます。

西村王雅の素行
西村王雅投手は私生活に何か問題があったりするのでしょうか。

調べてみましたが、特に西村王雅投手素行に問題があるという情報は見つかりませんでした。

西村王雅投手は粘り強く、どんな局面でもあきらめず投げ切るピッチングが持ち味で、精神的なタフさがあります。

ですので、野球以外のことで何か困難なことに直面したとしても、逃げ出さす、乗り越えていける人物だと思いますね。

西村王雅引退に関するみんなの意見

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西村王雅なんかやらかしたんか?嘘やろ…

— 花木九里虎 (@netagiabot) November 25, 2025

西村王雅のまとめ

社会人4年目という若さで東芝を退部する決断は、多くの人に驚きを与えました。

しかし、西村王雅投手の歩んできた道を振り返ると、常に自分と向き合い、節目ごとにベストな選択をしてきたことがよく分かります。

どんな舞台でもひたむきに腕を振り続けてきた姿勢こそ、西村王雅投手の魅力であり、人柄そのもの。

今後どんな道へ進むとしても、その芯の強さと誠実さは変わらないはずです。

これからの西村王雅投手の新しい挑戦を、これまでと変わらず応援していきたいですね!