野球

阪口慶三(大垣日大野球部監督)の鬼の都市伝説や孫がすごい?東邦時代は?

大垣日大野球部阪口慶三監督

今年(2022年)で78歳になる大ベテラン監督です。

東邦高校監督時代には甲子園優勝も達成しています。

若い頃はあまりにも厳しすぎることから「鬼の阪口」「阪口鬼三」などと呼ばれていました。

現在はさすがに落ち着いたようですが、それでも野球に対する情熱は衰え知らずです!

阪口慶三のプロフィール

名前:阪口 慶三(さかぐち けいぞう)
生年月日:1944年5月4日
出身:愛知県
経歴:東邦高等学校→愛知大学

阪口慶三の現役時代

阪口慶三監督は愛知県にある東邦高校の出身です。

高校時代のポジションはファースト兼ピッチャー

高校2年生には控えでしたが、甲子園出場を経験しています。

高校卒業後は愛知大学に進学。

大学ではファーストとして中軸を撃ち、活躍されていました。

阪口慶三の指導者時代

もともと銀行への就職を希望していた阪口慶三監督でしたが、
大学3年生の時、母校の東邦高校から
「野球部を手伝ってくれ」
と頼まれたことがきっかけで、大学卒業後の1967年から監督に就任しました。

東邦高校監督時代には春夏通算24回甲子園出場

1989年センバツでは決勝で元木大介さん、種田仁さんらを擁する上宮高校を延長10回逆転サヨナラで勝利し、初の日本一を達成しています。

2004年7月定年退職といった形で東邦高校監督勇退しますが、
翌月には大垣日大監督への就任が発表されました。
※2004年秋時点では顧問2005年4月より正式に監督就任

同校を春夏通じて初の甲子園出場に導いた2007年センバツでは、決勝まで進出しています。

大垣日大では2022年春の時点で、春4回夏5回、甲子園出場。

2009年秋明治神宮野球大会では初出場で、初優勝を飾っています。

阪口慶三の都市伝説

若い頃阪口慶三監督は周りからは「鬼の阪口」「阪口鬼三」と呼ばれるほど厳しい練習を課す監督でした。

当時の阪口慶三監督の厳しさは数々の伝説を残しています。

・ナイター設備のない頃は、ボールに石灰をまぶしてノックした。
・体育館で素振りをすると、選手の汗で床が水をまいたようになった。
・夜中の1時半まで練習をやったこともあった。

これらは阪口慶三監督自身も認めている事実ですね。

当時を振り返って
「全て人間の限界まで挑みました」
と話されています。

そんな阪口慶三監督でしたが、甲子園ではなかなか優勝できずに1988年夏甲子園決勝も宇和島東に6対0で完敗

しばらくして敗因を探すためにビデオを見返して見ると、相手の監督がニコニコ笑っていることに気が付きました。

自分の様に鬼の形相だと、選手が委縮してしまいこれでは勝てないと考えた阪口慶三監督は、その日から手のひらに『笑』の文字を書き、試合の時は選手が守備につくと、一人ベンチの裏に行って笑う練習をしたといいます。

その甲斐あってか、翌年のセンバツでは見事、初優勝を果たしていました。

阪口慶三の孫

阪口慶三監督にはが何人かいますが、そのうちの一人は、現在、大垣日大野球部に所属している髙橋慎選手です。

髙橋慎選手は身長180cm体重68㎏の恵まれた体格を持ち、1年生からベンチ入り。

控えの内野手ながら1年秋の公式戦では24打数7安打5打点の成績を残し、センバツ出場に貢献しました。


智辯和歌山の高嶋仁前監督などは、孫の高嶋奨哉選手が入学してくる前年に監督を辞められています。

高嶋奨哉選手についてはこちらを→高嶋奨哉(智辯和歌山)は2021ドラフト注目!父と祖父もすごい!身長体重は?

高嶋仁前監督が辞められた理由の一つには
「孫には厳しくできない」
というのがあったそうです。

阪口慶三監督はあまりそういうことは気にしないみたいですね。

それどころか、愛媛県の中学に通っていた髙橋慎選手を
「おじいちゃんと一緒に甲子園に行こう」
と誘って、入学させたそうです。

髙橋慎選手についてはこちらを→髙橋慎(大垣日大野球部)はドラフト注目!祖父もすごい?出身中学は?

阪口慶三のまとめ

元気に見える阪口慶三監督ももうお年ですから、あと何回、甲子園に出場できるかわかりません。

最後に甲子園でもう一花咲かせて、悔いなく野球人生を終えてほしいですね!


阪口慶三監督率いる2022年大垣日大のメンバーについてはこちらを→大垣日大野球部メンバー2022!批判殺到で出場辞退?出身中学や監督は?