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米原寿秀(和歌山東監督)の経歴や謹慎理由は?教え子にプロはいる?

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和歌山東高校野球部米原寿秀監督

「米原寿秀」名前の読み方“よねはら としひで”

“魂の野球”をモットーに軟式から硬式に移行したばかりのチームをわずか12年で甲子園に導いた名将です。

実は前任の県立和歌山商業でも2007年監督として甲子園出場を果たしています。

智辯和歌山という私立の強豪校がある県で、公立校2校甲子園に行くのは並大抵のことではないですね。

今回はそんな米原寿秀監督経歴教え子についてまとめてみました。

米原寿秀のプロフィール

名前:米原 寿秀(よねはら としひで)
生年月日:1975年1月24日
出身:大阪府
経歴:和歌山県立和歌山商業高等学校→立正大学

米原寿秀の県立和歌山商業時代

米原寿秀監督民間企業3年働いた後、母校県立和歌山商業部長コーチ監督を歴任。

2007年春には監督としてセンバツ出場を経験しました。

米原寿秀の謹慎

米原寿秀監督をネットで検索すると「謹慎」という言葉が関連ワードとして出てきます。

どうやら、米原寿秀監督2008年の9月ごろに選手を平手で叩くなどしたために、日本高校野球連盟から警告を受けて、謹慎処分を受けていたようです。

特にそれ以上は大ごとになっていないのを見ると、それほどひどい暴行ではなかったみたいですね。

ちょっと指導に熱が入りすぎたために手が出てしまったというところでしょうか。

米原寿秀の和歌山東監督時代

その後、米原寿秀監督2010年和歌山東高校野球部監督に就任。

和歌山東高校野球部軟式から硬式に移行したばかりのチームでした。

和歌山東高校はいわゆる“やんちゃ”な生徒たちが多い高校で、最初の頃はかなり苦労されたそうです。

部員もなかなか集まらずに、たとえ入部してもちょっと厳しい練習をするとすぐ辞めていく部員ばかりでした。

そのため、最初の3年間で野球部を卒業できたのはわずか4人だけだった、と言います。

しかし、就任4、5年目ごろからただ厳しいだけではダメだと気付いた米原寿秀監督は、選手の目線に立って、対話を心掛けるようにすると、次第に辞める生徒も減り、野球部も力をつけていきました。

2014年秋にはエースの津森宥紀投手を擁して、和歌山県大会準優勝を経験。

そして、2021年秋の和歌山県大会でも再び準優勝を果たしています。

続く近畿大会では強豪校を次々と破り、決勝進出!

決勝では大阪桐蔭に惜しくも敗れたものの2位に入り、春夏通じて初の甲子園出場を達成しました。

米原寿秀の魂の野球

米原寿秀監督率いる和歌山東高校のモットーは“魂の野球”です。

和歌山東高校2021年秋季和歌山県大会準決勝では夏の甲子園を制したばかりの智辯和歌山5対4で勝利していますが、
“魂の野球”という言葉は、その前日に思いついた言葉だそうです。

「選手らには“魂の野球”をやろうと言っているんです。気持ちでは負けないでいようと。この言葉は実は昨日思いついたんです」

NumberWeb

その理由に関しては、
「このチームは成功体験が少ない子ばかりで、自分の気持ちを秘めてしまう子が多い。だから、自分の魂を呼び戻して欲しいなと。怯まない、諦めない、そういう姿勢を出して欲しいと思ったんです」
と話されています。

まさにその“魂の野球”で智辯和歌山に勝利し、ひいてはセンバツ出場を勝ち取ったんですね!

米原寿秀の主な教え子

これまで米原寿秀監督教え子プロ野球選手になったのは、今のところソフトバンクの津森宥紀投手一人だけです。

津森宥紀(ソフトバンク)

投手/2019年ドラフト3位

落合秀市(元06BULLS)

投手

落合秀市(兵庫→06ブルズ)和歌山東出身のドラフト候補は素行不良?現在は?

玉置隼翔(愛媛マンダリンパイレーツ)

投手

米原寿秀監督は特に投手の育成に自信を持っているようですね。


米原寿秀のまとめ

前回、米原寿秀監督県立和歌山商業センバツに出場した時には熊本工業4対6で敗れ、初戦敗退でした。

和歌山東監督として初めて臨む今回のセンバツでは“魂の野球”で、まずは甲子園初勝利を期待したいですね!


2022年和歌山東野球部メンバーについてはこちらを→和歌山東野球部の2022メンバー!出身中学や監督は?ドラフト注目選手は?