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加藤響(野球)の東洋大退部の理由は?ドラフトはどうなる?

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2024年のドラフト候補加藤響選手東洋大学野球部退部し、独立リーグ徳島インディゴソックスへの入団することが話題になっていますね!

加藤響選手と言えば、東海大相模時代には通算32本塁打を記録している強打の内野手です。

東洋大学進学後1年春からリーグ戦に出場し、期待を集めていました。

そんな加藤響選手なぜ野球部退部することになったのでしょうか?

今回は加藤響選手経歴と併せて、野球部を退部した理由についても調べてみました。

加藤響のプロフィール

名前:加藤 響(かとう ひびき)
生年月日:2002年6月15日
出身:神奈川県厚木市
身長:180cm
体重:80kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:サード兼セカンド
家族:父、母、姉
経歴:厚木市立厚木中学校→東海大相模高校→東洋大学→徳島インディゴソックス

加藤響の小中学時代

加藤響選手は野球経験者のお父さんの影響で小学1年生から厚木ニューウェーブ野球を始めています。

小学3年時には一度は野球を辞め、バスケットボールに転向しましたが、小学5年生から茅ヶ崎リトルリーグで野球を再開。

小学6年時にはセレクションを勝ち抜き、横浜DeNAベイスターズジュニア入りを果たしています。


中学時代海老名リトルシニアに所属。

4番・ショートとして活躍し、中学3年時にはリトルシニア全国選抜野球大会では3回戦進出リトルシニア日本選手権大会ではベスト8入りに貢献しました。

加藤響の高校時代

中学卒業後は東海大相模高校進学

高校では1年春関東大会からショートスタメン出場を経験しています。


同級生の山村崇嘉選手(現・西武)西川僚祐選手(現・ハヤテ223)鵜沼魁斗選手(現・東海大)神里陸選手(現・國學院大)らとともに強力打線を形成し、
2年秋には神奈川県大会優勝関東大会ベスト4入り

しかし、出場を決めていたセンバツ新型コロナの影響中止となってしまいました。

その代わりに開催された8月の甲子園交流試合では大阪桐蔭高校と対戦。

加藤響選手3番・セカンドで出場し、3打数0安打1四球の成績を残しています。

加藤響の大学時代

東洋大学に進学後は1年春からスタメンリーグ戦に出場。

2年春のオープン戦では4番に抜擢されますが、
「打たなきゃいけないという気持ちが強かった」
と結果を残せず、リーグ戦では6番に降格してしまいました。

その後、2年秋のリーグ戦では公式戦初本塁打をマーク。

しかし、3年秋野球部を退部し、独立リーグ徳島インディゴソックス入団しています。

加藤響の退部理由

加藤響選手東洋大学野球部退部した理由について調べてみましたが、特に情報はみつかりませんでした。

特に部内でトラブルがあったなどの情報もありませんでした。

大学4年生になる時期での退部ですので、上級生からのいじめなども考えにくいですね。


実は加藤響選手は3年生以降、伸び悩みを見せており、出場機会が減っていました。

おそらく加藤響選手“プロ野球選手になる”という夢を叶えるために、より野球に集中できる環境に身を置こうと、独立リーグのチームへの入団を決心したのではないでしょうか?



東洋大学野球部では本来なら2023年ドラフト目玉となる実力を持っていた根本太一投手2年時退部されているのは少し気がかりですね。

根本太一投手についてはこちらを→根本太一(木更津総合出身)の現在は東洋大を退部?理由は怪我?

加藤響のまとめ

アマチュア野球選手の選択肢を広める意味でも、独立リーグの存在は、とても意義のあるものだと思います。

加藤響選手にはぜひプロ入りを果たしてもらって、大学でダメでも、独立リーグで活躍できればプロへの道が開ける、と言うことを示してほしいですね!