東洋大学の根本太一投手が野球部を退部された、と話題になっているみたいですね!
根本太一投手いえば、木更津総合時代には2年夏の甲子園で149km/hをマークし、注目されていたピッチャーです。
順調にいけば、2023年のドラフトの目玉となるはずでした。
一体、根本太一投手になにがあったんでしょうか?
今回は根本太一投手の経歴や退部の理由について調べてみました。
🥎木更津総合🥎
— ⚾YUKI ◡̈⋆⚾ (@KSG89SORA) December 17, 2019
根本太一 くん 投手
東洋大学 推薦合格
おめでとうございます
東都大学リーグ 1部
ねもちゃん大学野球でも
怪我なくがんばってくださいね
マウンドで活躍する日を
楽しみに待ってます pic.twitter.com/XeihwDrcHd
根本太一のプロフィール
名前:根本 太一(ねもと たいち)
生年月日:2000年2月10日
出身:千葉県成田市
身長:180cm
体重:78kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ピッチャー
家族:父、母、兄
経歴:成田市立豊住小学校→成田市立成田中学校→木更津総合高校→東洋大学
根本太一の小中学時代
根本太一投手は、10歳上の兄・根本晃平さん影響で、小学1年生から豊住ヤンガースで軟式野球を始めました。
根本太一投手は、野球の原点を「兄ちゃんとの野球」と話されています。
高校まで野球をされていた兄の晃平さんは、根本太一投手が野球を始めると、毎日、夜は2人で一緒に練習し、トレーニング方法などを付きっきりで教えてくれたそうです。
その練習の成果もあり、小学6年生の時には、セレクションを勝ち抜き、千葉ロッテジュニア入り!
千葉ロッテジュニアのチームメイトには、及川雅貴投手(現・阪神)らがいました。
根本太一投手と及川投手は、今でもLINEで連絡を取り合う仲だそうです。
中学時代は竜ケ崎リトルシニアに所属。
中学2年生の時には東関東選抜の一員として、日台国際大会に出場し、準優勝に貢献しました。
根本太一の高校時代
中学卒業後は、木更津総合高校に進学します。
木更津総合高校はピッチャーの育成に優れた高校です。
根本太一投手の3学年上の早川隆久投手(東北楽天2020年ドラフト1位)、
2学年上の山下輝投手(横浜DeNA2021年ドラフト1位)、
1学年上の野尻幸輝選手(法政大学)、※大学では野手に専念。
1学年下の篠木健太郎投手(法政大学2024年のドラフト1位候補)、
と、毎年のようにドラフト1位クラスのピッチャーを輩出しています。
木更津総合の最近のエースピッチャー
— 🍙 (@high_koshien) June 23, 2020
2015 鈴木健矢→日ハム
2016 早川隆久→たぶんプロ行けるやろ
2017 山下輝
2018 野尻幸輝
2019 根本太一(夏は10だった)
2020 篠木健太郎
もしかしたら、全員プロ入りあるかな‼️
根本太一投手は高校では1年春の千葉県大会からベンチ入り。
1年夏の千葉県大会では、1試合1イニングだけ登板し、優勝を経験しました。
残念ながら1年夏の甲子園ではベンチ外でしたが、
2年夏にも千葉県大会を制し、甲子園に出場。
この時は全3試合に登板し、10イニングを投げ、11奪三振、防御率0.00の好成績をマーク!
初戦の敦賀気比戦では自己最速の149km/hを記録していました。
木更津総合・根本太一、149km/hストレート pic.twitter.com/UthpcmttWh
— マツ (@baseball632) August 10, 2018
その後、2年生の11月に右肩を痛め、リハビリに励みます。
3年夏の千葉県大会は背番号11を付けて臨みましたが、
準決勝で習志野高校に延長11回5対6で敗れ、3年連続の甲子園出場はなりませんでした。
根本太一が退部?
高校卒業後は東洋大学に進学した根本太一投手ですが、一度もリーグ戦に登板することなく、2年生の頃に野球部を退部されているようです。
「ドラフト候補選手の動画とみんなの評価」の根本太一投手のページにも退部したとの書き込みがありますね。
私も東洋大学の野球部のホームページを確認してみたところ、確かに、根本太一投手の名前が消えていました。
理由についてはわかっていませんが、気になるのは高校2年秋に負った右肩の怪我です。
高校3年夏も本調子ではなかったので、思った以上に重傷だったのかもしれませんね。
根本太一のまとめ
根本太一投手が野球部を退部されたのは事実のようです。
私も高校時代から注目していただけに非常に残念です。
根本太一投手が退部した理由や現在について、なにか新しいことがわかりましたら、改めて追記させていただきますね。