野球

根本太一(木更津総合出身)の現在は東洋大を退部?理由は怪我?

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東洋大学根本太一投手野球部退部された、と話題になっているみたいですね!

根本太一投手いえば、木更津総合時代には2年夏甲子園149km/hをマークし、注目されていたピッチャーです。

順調にいけば、2023年ドラフトの目玉となるはずでした。

一体、根本太一投手になにがあったんでしょうか?

今回は根本太一投手経歴退部の理由について調べてみました。

根本太一のプロフィール

名前:根本 太一(ねもと たいち)
生年月日:2000年2月10日
出身:千葉県成田市
身長:180cm
体重:78kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ピッチャー
家族:父、母、兄
経歴:成田市立豊住小学校→成田市立成田中学校→木更津総合高校→東洋大学

根本太一の小中学時代

根本太一投手は、10歳上の兄・根本晃平さん影響で、小学1年生から豊住ヤンガース軟式野球を始めました。

根本太一投手は、野球の原点を「兄ちゃんとの野球」と話されています。

高校まで野球をされていた兄の晃平さんは、根本太一投手が野球を始めると、毎日、夜は2人で一緒に練習し、トレーニング方法などを付きっきりで教えてくれたそうです。

その練習の成果もあり、小学6年生の時には、セレクションを勝ち抜き、千葉ロッテジュニア入り!

千葉ロッテジュニアのチームメイトには、及川雅貴投手(現・阪神)らがいました。

根本太一投手と及川投手は、今でもLINEで連絡を取り合う仲だそうです。

中学時代は竜ケ崎リトルシニアに所属。

中学2年生の時には東関東選抜の一員として、日台国際大会に出場し、準優勝に貢献しました。

根本太一の高校時代

中学卒業後は、木更津総合高校進学します。

木更津総合高校ピッチャーの育成に優れた高校です。

根本太一投手の3学年上の早川隆久投手(東北楽天2020年ドラフト1位)、
2学年上の山下輝投手(横浜DeNA2021年ドラフト1位)、
1学年上の野尻幸輝選手(法政大学)、※大学では野手に専念。
1学年下の篠木健太郎投手(法政大学2024年のドラフト1位候補)、
と、毎年のようにドラフト1位クラスのピッチャーを輩出しています。

根本太一投手は高校では1年春千葉県大会からベンチ入り

1年夏千葉県大会では、1試合1イニングだけ登板し、優勝を経験しました。

残念ながら1年夏甲子園ではベンチ外でしたが、
2年夏にも千葉県大会を制し、甲子園に出場。

この時は全3試合に登板し、10イニングを投げ、11奪三振防御率0.00の好成績をマーク!

初戦敦賀気比戦では自己最速の149km/hを記録していました。


その後、2年生の11月右肩を痛め、リハビリに励みます。

3年夏千葉県大会背番号11を付けて臨みましたが、
準決勝習志野高校延長11回5対6で敗れ、3年連続の甲子園出場はなりませんでした。

根本太一が退部?

高校卒業後は東洋大学に進学した根本太一投手ですが、一度もリーグ戦に登板することなく、2年生の頃に野球部を退部されているようです。

「ドラフト候補選手の動画とみんなの評価」の根本太一投手のページにも退部したとの書き込みがありますね。

根本太一 退部
私も東洋大学野球部のホームページを確認してみたところ、確かに、根本太一投手の名前が消えていました。

理由についてはわかっていませんが、気になるのは高校2年秋に負った右肩の怪我です。

高校3年夏も本調子ではなかったので、思った以上に重傷だったのかもしれませんね。

根本太一のまとめ

根本太一投手野球部を退部されたのは事実のようです。

私も高校時代から注目していただけに非常に残念です。

根本太一投手退部した理由現在について、なにか新しいことがわかりましたら、改めて追記させていただきますね。