日本高等学校野球連盟の宝馨会長。
「宝馨」の名前の読み方は“たから かおる”
工学博士で、京大大学院総合生存学科教授をされています。
自身も高校、大学と野球をされていました。
現役引退後は、京大野球部の部長や監督などを歴任。
京大野球部監督時代には、京大初のプロ選手となった田中英祐投手の指導もされています。
日本高野連の新会長、宝馨氏が就任へ 京大野球部元監督の京大教授 https://t.co/yQPVMLtQXe
— バーチャル高校野球 (@asahi_koshien) November 10, 2021
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宝馨(たからかおる)のプロフィール
名前:宝 馨(たから かおる)
生年月日:1957年2月12日
出身:滋賀県彦根市
経歴:京都市立唐橋小学校卒業→西宮市立大社中学校→兵庫県立西宮北高等学校→京都大学
宝馨(たからかおる)の学生時代
宝馨会長は国鉄職員だった父から誕生日にグラブとバットを買ったことがきっかけで、小学1年生から野球を始めました。
高校は兵庫県立西宮北高校に進学。
兵庫県立西宮北高校のOBには元メジャーリーガーで、現オリックスコーチの田口壮さんがいます。
その他、小説家の谷川流さんも同校の出身ですね。
代表作の『涼宮ハルヒの憂鬱』の舞台「県立北高校」は兵庫県立西宮北高校がモデルとなっています。
宝馨会長が入学した頃は、まだ野球部が創部されて2年目で、でこぼこの土地を掘り起こし、グラウンドを作ることから始められたそうです。
宝馨会長の高校時代のポジションはピッチャー兼キャッチャー。
夏の兵庫大会では甲子園でもプレーしています。
高校卒業後は京都大学工学部に現役合格!
京都大学ではピッチャーとして活躍されていました。
宝馨(たからかおる)の指導者時代
京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了後の1981年からは京大工学部助手に着任。
水資源工学などを専門とし、京大防災研究所所長など、なんかよくわからないけれども、すごい感じの役職にたくさん就かれています。
また、選手を引退後も、京都大学野球部の監督や部長の他、
関西学生野球連盟の副会長、部長理事を務めるなど、野球への関りを続けていました。
京大野球部監督時代の教え子には2014年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズに2巡目で指名された田中英祐さんもいましたね。
その後、2021年12月から八田英二前会長のあと受け、第8代目の日本高等学校野球連盟の会長に就任されています。
宝馨(たからかおる)の高校野球への改革案
宝馨会長は高等学校野球連盟の会長に就任した際に以下の3つの改革案を掲げられています。
健康管理
八田体制で導入した1週間500球以内の球数制限を踏襲し、さらに夏の大会での選手のコンディション管理に言及。「猛暑、炎天下で試合をしないといけない。選手の健康、観客の健康もある。何かいい方法がないか、工夫していきたい」と話した。
継続試合
今夏の甲子園では降雨ノーゲームが相次いだ例を挙げ「7回に満ちていなくても、途中で試合をストップして、翌日、続きをする継続試合のように続けられればいい。幻の本塁打、幻の奪三振とならないようにできたらいい。早急に検討していきたい」と問題提起した。
女子生徒の野球への関わり
今夏の甲子園期間中に全国高校女子野球の決勝を史上初めて行った。宝氏も「少子高齢化で野球人口が減ることも懸念される。女子の方が野球に携わっていただくのは重要なこと」と話した。来年以降、高校野球を発展させるため、あらゆる方策を検討する。
※出典はいずれも日刊スポーツ
どれも高校野球にとって必要なことです。
ぜひ早い時期に実現してもらいたいですね!
宝馨(たからかおる)のまとめ
日本高等学校野球連盟はなにかと問題になることの多い組織です。
宝馨会長には日本の高校野球のために少しでも、国民の理解を得られるような組織に変えてていってほしいものです。