いま、スノーボード界で急激に注目を集めている選手がいます。
それが、ミラノ・コルティナオリンピック日本代表の山田琉聖選手です。
19歳という若さでワールドカップ初優勝。
そして、世界最高峰の舞台である五輪出場を決めました。
「次世代のエース候補」と言われる理由は、成績だけではありません。
独創性あふれる滑りと、人懐っこい人柄も魅力です。
この記事では、山田琉聖選手の成長の軌跡と、その裏で支え続けてきた父母や姉の存在にも迫ります。
山田琉聖のプロフィール
名前:山田 琉聖(やまだ りゅうせい)
生年月日:2006年3月25日
出身:北海道札幌市
身長:170cm
経歴:札幌市立新川中学校→相生学院高校→国際スノーボード&スケートボード専門学校(JWSC)
山田琉聖の小学中学時代
山田琉聖選手は、北海道札幌市の出身です。
スノーボードを始めたのは、5歳の頃。
きっかけは、両親の影響でした。
幼い頃から雪に親しむ環境で育ち、自然とスノーボードが生活の一部になっていきます。
小学4年生の頃、札幌でワールドカップが開催。
国内最大級のハーフパイプを目にしたことで、競技に魅了され、練習に熱が入るようになっていきました。
中学時代には、すでに全国トップレベル。
14歳でFIS全日本選手権に出場し、6位入賞を果たしました。
この結果が評価され、全日本強化指定選手にも選ばれます。
中学生とは思えない実績ですよね。
山田琉聖の高校時代
高校は、通信制の相生学院高校へ進学。
通信制を選ぶことにより、競技と学業の両立を図りました。
この時期から、国内外の大会を転戦。
生活の中心は、完全にスノーボードでした。
高校時代には、
・全日本選手権(鯵ヶ沢大会)初優勝
・各種ジュニア大会で連続優勝
と、結果を次々と残していきます。
同世代の中でも、頭ひとつ抜けた存在に。
「将来は五輪」という声が、現実味を帯びてきた時期です。
山田琉聖の専門学校時代
高校卒業後は、新潟県妙高市にある国際スノーボード&スケートボード専門学校(JWSC)へ進学します。
ここは、オリンピアンを多数輩出してきた名門校です。
競技に集中できる最高の環境が整っています。
オフシーズンには、スケートボードやトランポリンで空中感覚を強化。
細部までこだわったトレーニングを積み重ねました。
その成果は、すぐに結果として表れます。
2025年12月、FISワールドカップ(アメリカ・カッパーマウンテン大会)で初優勝!
この優勝が決定打となり、ミラノ・コルティナ五輪日本代表に内定しました。
山田琉聖の父母
山田琉聖選手の原点にあるのが、お父さんとお母さんの存在です。
両親の影響で5歳からスノーボードを開始。
早い段階から、競技に打ち込める環境を整えてきました。
小学生の頃から遠征が増え、時間的にも経済的にも大きな負担があったはずです。
それでも、夢を否定せず、全力で応援。
このサポートがなければ、今の活躍はありません。
表舞台には出ませんが、山田琉聖選手にとって、父母は最大の理解者です。
山田琉聖の姉
山田琉聖選手には、姉・山田莉乃香さんがいます。
実は、お姉さんも元スノーボード選手でした。
高校時代には国内のジュニア大会で優勝!
さらに世界ジュニア選手権では7位入賞の実績を残しています。
兄妹で切磋琢磨してきた環境は、琉聖選手の競争心を大きく育てました。
残念ながら、莉乃香さんは勉学に集中するため競技を引退していますが、一番身近な理解者として、今も支え続けている存在です。
山田琉聖のプレースタイル
山田琉聖選手の最大の武器は、独創性です。
代名詞は、「スイッチダブルアーリーチャックナイン」。
利き脚と逆の足で滑り、後方宙返りから縦に2回転、横に2回転半する、この大技ができるのは世界でもごくわずかです。
性格は、普段は穏やか。
しかし、滑り出すと一気にスイッチが入るタイプ。
そのギャップも、多くのファンを惹きつけています。
山田琉聖のまとめ
山田琉聖選手は、家族の支えと努力で世界の頂点に近づいた選手です。
父母の献身的なサポート。
姉との切磋琢磨の日々。
そのすべてが、ミラノ・コルティナ五輪へとつながりました。
まだ19歳。
伸びしろは、無限大です。
世界の舞台で、どんな滑りを見せてくれるのか。
今後も、山田琉聖選手から目が離せません!
