Honda鈴鹿の大型左腕の平尾奎太投手。
最速145km/hの角度のあるストレートとスライダー、チェンジアップが武器のピッチャーです。
高校時代は、2012年の甲子園大会で、エース・藤浪晋太郎投手(阪神)の控え投手として、春夏連覇を経験しています。
高校2年生の時に大病を患い、野球を続けられない状態になりましたが、長い闘病生活を乗り越え、復活。
今では、社会人日本代表にも選ばれるほどのピッチャーに成長しています。
名前:平尾奎太(ひらお けいた)
生年月日:1994年6月21日
出身:大阪府泉佐野市
身長:188cm
体重:88kg
投打:左投げ左打ち
経歴:泉佐野市立第一小学校→泉佐野市立佐野中学校→大阪桐蔭→同志社大学→Honda鈴鹿
平尾投手は、社会人野球でプレーしていた父親の影響で、小学2年生から「泉佐野レッドスターズ」で野球を始めました。
中学時代は、学校の軟式野球部でプレー。
高校は地元の名門・大阪桐蔭に入学します。
大阪桐蔭では2年春からベンチ入りし、3年時の2012年には春夏連覇を経験しました。
高校の同級生には、藤浪晋太郎投手(阪神)、澤田圭佑(オリックス)がいました。
○病気
春夏連覇と、華やかな高校野球生活に見えますが、高2の秋から、病と闘いながら野球を続けていました。
高2年の秋に特定疾患の「IgA腎症」という病気が判明し、本来なら即ドクターストップがかかる状態でした。
しかし、平尾投手は、
「自分が先生に無理を言って。どうしても後悔したくなかったので」
と野球を続けました。
高校3年の夏の大阪府予選の5回戦・生野工業戦では先発し、5回コールド2安打完封勝利を記録しています。
夏の甲子園で優勝した後から、ようやく運動禁止の措置がとられました。
高校卒業後は、同志社大学に進学します。
野球部に入りますが、大学1、2年の時は病気のために運動禁止。
入退院を繰り返し、公式戦の応援や裏方に徹しました。
その頃、心の支えとなっていたのが、阪神タイガースに所属する岩田稔投手の存在でした。
岩田投手も1型糖尿病という病と戦いながら、現役のプロ野球選手として活躍しています。
自分と同じように闘病しながら野球を続ける、同じ境遇に勇気づけられました。
〇実戦復帰後
平尾投手は、3年春になって実践復帰し、中継ぎとしてリーグ戦デビューしています。
3年秋のリーグ戦では関学大2回戦で初先発し、8安打完封の好投でリーグ戦初勝利を記録しました。
「グラウンドに立てるのが嬉しかった。野球ができる幸せを実感している」
とコメントしています。
4年春のリーグ戦では8試合に投げ、3勝3敗、防御率2.66。
4年秋のリーグ戦は、4勝1敗、防御率1.38という好成績を収め、ベストナインを受賞しています。
大学卒業後は、Honda鈴鹿に入社。
1年目から先発を任され活躍。
10月に行われた「第28回 BFA アジア選手権」には、社会人日本代表に選ばれ、優勝に貢献しています。
○スカウトの評価
「左腕で体格もあるし、球速も高校・大学時代に比べて格段に上がっている。高校時代から好素材として注目していたが、大学、社会人で大きく成長した」
「社会人では1年目から日本代表に入って、このままでも十分指名候補だが、さらに来年、実績を残せば一気に上位候補になる可能性も秘めている」
ぜひプロ入りを果たして、今度は、平尾投手が病気と闘っている人の心の支えになってほしいですね。
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