野球

首藤玄大(日大準硬式)はドラフト注目!出身中学高校や進路は?

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日本大学準硬式野球部2026年ドラフト候補首藤玄大投手

高校時代は無名だった首藤玄大投手は、大学で急成長を遂げ、なんと最速150km/hを計測するほどの剛腕へと変貌しました 。

「ここまで続けているんだからやっておくか」という曖昧な気持ちで始めた大学野球で、彼はどのようにして進化し、プロ注目の存在にまでなったのでしょうか。

首藤玄大投手の野球人生を深掘りしてご紹介します。

 
 
 
 
 
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首藤玄大のプロフィール

名前:首藤 玄大(しゅとう げんと)
生年月日:2004年5月20日
出身:東京都練馬区
身長:175cm
体重:77kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ピッチャー
経歴:練馬区立北町小学校→練馬区立北町中学校→日本大学豊山高等学校→日本大学

首藤玄大の小中学時代

首藤玄大投手の野球人生は北町小1年の時に、北町ファイヤーズで野球を始めたところからスタートしました 。

練馬区立北町中学校へ進学した後も野球を続け、中学時代は軟式野球部に所属。

中学3年生の時には関東育成会でもプレーし、育成会ドリームカップに出場しています。

関東育成会とは中学軟式野球を終えた中学3年生を対象に、高校野球への移行準備を目的としたチームです。

首藤玄大の高校時代

中学卒業後、首藤玄大投手日本大学豊山高校に進学し、硬式野球に取り組みます。

しかし、高校時代は最速140km/hに満たず、チームでは4番手投手という立場だったそうです。

3年夏東東京大会では4回戦関東第一高校に敗れ、甲子園出場はなりませんでした。

首藤玄大の大学時代

首藤玄大投手日本大学へ進学後、準硬式野球を始めますが、その理由は
「ここまで続けているんだからやっておくか」
という、軽い気持ちからでした。

そもそも自分に特別な実力があるわけではなかったため、その先を思い描くこともできなかった、と振り返っています。

しかし、準硬式の同期や先輩、後輩との出会いが、彼の野球に対する思いを大きく変えていきます。

そこで野球の楽しさや難しさに気づき、向き合い方も次第に深まっていきました。

そんな彼に、大きな転機が訪れます。

1年生の2月の合宿で、不慮の事故により前十字靭帯を断裂してしまったのです。

手術後は約8ヶ月にわたってリハビリに励み、完治を目指して必死に取り組みました。

そして迎えた2年生の秋季リーグ戦。

復帰登板では、なんと自己最速を更新します。

そこから首藤玄大投手の姿勢は、さらに真剣なものになっていきました。

まず1日4食の「食トレ」に取り組み、高校時代から体重を10キロ増やして77キロに到達。

さらに日本最大級のアスレティックセンターや、個人契約のジム週4〜5回通い、徹底した肉体改造を進めました。

西武・今井投手らを指導するスポーツトレーナー・鴻江寿治さんから助言を受け、グラブを持つ左手の使い方を修正してフォームを固めたことも、大きな成長につながっています。

その努力の結果、3年秋のリーグ戦では自己最速となる150km/hをマークしました。

鴻江寿治さんについて詳しく知りたい方はこちらの本がおすすめです↓


日大準硬式野球部には首藤玄大投手以外にもう一人150mk/h超のピッチャーがいます。

竹川葉流投手についてはこちらを→竹川葉流(日大準硬式)はドラフト注目!出身中学高校や球速は?

首藤玄大の進路

首藤玄大投手の目標は社会人野球に進み、都市対抗に出場することです。

大学時代に準硬式でプレーし、社会人に進んだ選手にはオリックスの髙島泰都投手(明大準硬式→王子)らがいます。

首藤玄大投手も社会人で都市対抗に出場した後は、NPB入りという新たな扉が開かれるかもしれませんね。

首藤玄大のまとめ

大学での出会いや挫折、そして努力を力に変えて成長してきた首藤玄大投手

「なんとなく」の気持ちで始めた準硬式野球が、いまや彼の人生を切り拓く大きなステージになりました。

高校時代は無名だった首藤玄大投手が、どこまで成長していくのか楽しみですね!