土浦日大高校野球部の小菅勲監督。
現役時代には取手二高校で甲子園優勝を経験している監督さんです。
指導者としては、母校の取手第二高校と土浦日大高校の2校で甲子園出場を果たしています。
小菅監督もインタビュー慣れてきたなꉂ pic.twitter.com/Nq8NNhdsz7
— 【北茨城市】割烹旅館さらしな店主の日常♬.*゚ (@sarashinaryokan) August 12, 2023
小菅勲のプロフィール
名前:小菅 勲(こすげ いさお)
生年月日:1966年度生まれ
出身:茨城県常総市
経歴:茨城県立取手第二高校→法政大学
小菅勲の現役時代
小菅勲監督は茨城県立取手第二高校の出身です。
高校時代はサードとしてプレー。
高校野球史に残る名監督だった故・木内幸男さんのもと1984年夏の甲子園では日本一を果たしています。
土浦日大
— (@baseball_nk1977) August 6, 2023
甲子園37年ぶり勝利おめでとう㊗️
小菅監督甲子園️初勝利おめでとう㊗️ pic.twitter.com/RTBaBrir29
高校卒業後は法政大学に進学し、野球を続けていました。
小菅勲の指導者時代
大学卒業後は、
「本気の野球は、もういい」
と野球から離れ、町役場に勤めていました。
しかし、やはり野球への想いは断ちがたくかったようで、野球指導者になることを志し、退職。
「本気の野球は、もういい」と野球から離れて町役場に勤めていたが、役場のソフトボール大会で、勝利の味を思い出した。
「木内野球継承」の下妻二・小菅監督、常総破り甲子園へ
木内幸男さんが監督を務めていた常総学院でコーチをしながら、教員免許を取得しています。
1993年から1999年にかけては茨城県立伊奈高校の監督を務めた後、
2000年に母校・茨城県立取手第二高校の監督に就任しました。
2004年夏に監督として甲子園初出場!
さらに2009年春にはセンバツ出場を果たしています。
そして、2016年からは土浦日大高校の監督に就任。
小菅勲監督はそれまで土浦日大高校とは縁のなかった外様監督ということで、最初の頃はかなり苦労されたようです。
今年1月、OB会の50周年記念(の会合)に行ったときは60~70代の方々の刺すような目線がとっても怖かったです(笑い)。久しぶりに怖さを覚えました。中には『おまえ、いい度胸してんな。ヨソモンがうちに来て』という言い方をされる方もいて、さすがにこたえました。(出身が)取手二で、かつては決勝戦を戦うライバル関係だったので、敵地に乗り込んできたという感じ。
31年ぶり甲子園 土浦日大・小菅監督“外様”の苦労明かす
それでも、翌2017年には31年ぶりとなる夏の甲子園出場に導きました。
その後も、2018年夏、2023年夏にも甲子園出場を果たしています。
2016年に下妻二から土浦日大監督に就任。2017年に土浦日大を31年ぶりの夏の甲子園に導く。2018年に夏連覇を達成。小菅監督凄い pic.twitter.com/hWCYyWsT2Y
— mito_nista (@chin_syu) July 25, 2018
小菅勲の指導方針
小菅勲監督は“木内マジック”と呼ばれる大胆な采配を振るっていた木内幸男さんの薫陶を受けており、自身の采配にもその影響が見られます。
「いずれ木内野球を継承するのは私だと思っています」
と話されていますね。
ただ、小菅勲監督に言わせると、木内幸男さんの采配は“木内マジック”ではなく、理論に裏付けてされた“木内ロジック”だそうです。
木内さんの代名詞といえば「木内マジック」だが、小菅監督はその正体について「あれはマジックではありません。『木内ロジック』です」と持論を展開した。
【高校野球】土浦日大・小菅勲監督が恩師・木内幸男さんの神采配に持論「あれはマジックではありません」
小菅勲のまとめ
「木内野球の継承」を目標とする小菅勲監督。
そのためにも、そろそろ恩師・木内幸男さんに続いての日本一を達成したいところですね!
日本一も狙える今年の土浦日大野球部についてはこちらを→土浦日大野球部メンバー2023!鼻ストローとは?チアがかわいい?
木内幸男さんから常総学院の監督を受け継いだ持丸修一監督(現・専大松戸)についてはこちらを→持丸修一(専大松戸監督)の常総学院や藤代/竜ヶ崎一時代は?息子や経歴は?