プロ野球

白村明弘(日本ハム)素行不良で謹慎?打撃センスは?野手転向に!

日本ハム白村明弘選手が、野手転向しました!
春季キャンプも後半に差し掛かった、この時期に転向が決まるなんて異例のことです!
普通はシーズンが終わったくらいに決まって、そこから秋季キャンプやオフを利用して練習していくのが一般的です。
やはり、昨年痛めた右肩の状態がよほど良くないのでしょうかね?
栗山監督から打者転向を告げられた際には、突然の話で驚きながらも
「お前のポテンシャルを凄く評価している」
「お前の将来を考えている」
とまで言われたので、「その熱意に応えよう」と思って、すぐに転向を決めたそうです。

果たして、白村明弘選手の野手転向は成功するのでしょうか!?

プロフィール

名前:白村 明弘(はくむら あきひろ)
生年月日:1991年12月11日
出身:岐阜県美濃加茂市
身長:187cm
体重:89kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:ピッチャー→外野手
背番号:43
年俸:1850万円
経歴:美濃加茂市立東中学校→慶應義塾高校→慶應義塾大学→日本ハムファイターズ

小中学生時代

父・信幸さんは、日体大野球部OBで、美濃加茂中学校の軟式野球部監督を務められています。
そんな環境もあり、白村選手は小学3年から野球を始めました。

中学時代は『岐阜ビクトリーズ』に所属してました。
外野手ショートとしてプレーしたのち、3年夏からピッチャーに専念しています。
当時から、最速139km/hの速球を投げていました。

 

高校時代(慶應義塾)

中学卒業後は文武両道を掲げ、神奈川県にある慶應義塾高校へ進学します。
1年春からベンチ入りを果たすと、2年時の春から3季連続で甲子園へ出場しました。
ただ、2年春と夏に出場した際には登板はしていません

2年秋からエースになり、秋季神奈川県大会優勝!
さらに、49年ぶりとなる関東大会優勝、神宮大会初優勝を達成します。

3年春のセンバツでは、開星を5安打に抑えながらも、1対4の逆転負け
3年夏の神奈川県大会には、日米13球団が白村選手も見るために集まりましたが、3回戦で桐蔭学園に1対3で敗れ、甲子園出場はなりませんでした

 

大学時代(慶應)と謹慎処分

高校卒業後は慶應大学に進学します。
しかし、入学直後に右肩を痛めてしまいました
それでも、1年春の終了後に行われた新人戦でリリーフ登板すると、いきなり自己最速となる153km/hをマークしています!

順調に大学でのスタートを切ったかに見えた白村選手でしたが、2年時の秋季リーグ戦期間中
「(当時生活していた硬式野球部の合宿所で)チームの規律を乱す行動があった」
という理由で、当時の慶應大学監督の江藤省三さんから自主休部を勧告されてしまいました。
結局、退部こそ免れたものの、3年時の7月末まで、10ヶ月もの謹慎を余儀なくされてしまいます。

実は白村選手、才能はあるものの、とにかく練習嫌い素行不良は有名でした。
当時のチームメイトからも信頼はなく
「白村が投げる、打たれる、やっぱりな。だってあいつは練習しないし」
という名文句を残されています。

そのため、大学4年生の時には日本ハムにドラフトで指名され入団しましたが、順位は6位と低い評価でした。

 

プロ入り後

プロ入り後は改心したようで、悪い評判は聞きません

プロ2年目には50試合に登板し、1勝1敗13ホールド、防御率2.03と、ピッチャーとしてのキャリアハイを記録しています。

しかし、その後は相次ぐケガに悩まされ、苦しんでいます。
そして、2018年シーズンは3試合のみの登板に終わると、翌2019年の春のキャンプで野手転向を言い渡されました。

 

プレースタイル

ピッチャーとしての白村選手は、最速154km/hを投げる本格派でした。
変化球はスライダー、ツーシーム、カーブ。

遠投120m、50m6秒1と、高い身体能力を備える選手です。
野手としては未知数ですが、 交流戦前の打撃練習では何度もホームラン性の当たりを放っていました。

 

過去、野手転向した選手は?

ピッチャーとして入団しながら、プロ入り後に野手に転向した選手は、これまでもいっぱいいました。
現役選手では、阪神・糸井嘉男選手ヤクルト・雄平選手などが有名ですね。

ただ、野手に転向したのは、糸井選手が25歳を迎えるシーズンの時で、雄平選手は25歳のシーズンオフでした。
白村選手は今年の12月で28歳になります。
2人に比べると遅いですね。

ここから野手として成功することができるのでしょうか?
若い頃から、才能と身体能力はすごい! と言われてきた白村選手ですから、まじめに練習しさえすれば、野手でも成功出来そうな気がしますね。
今後も白村選手には注目です!