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中村晃斗(志學館大)のwiki風経歴!出身中学高校や自己ベストは?

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学生三大駅伝の一つ、第57回全日本大学駅伝で、鮮烈な走りを見せたランナーをご存知でしょうか。

それは、初出場の志學館大学のエース・中村晃斗選手です!

中村晃斗選手は、最重要区間である1区(9.5km)で見事区間賞を獲得し、全国の舞台でその実力を証明しました 。

この快挙は、九州勢の日本人選手としては1999年、2000年に2年連続で区間賞を獲得した永田宏一郎選手(鹿屋体大)以来という、25年ぶりの快挙です 。

今回は、この歴史を塗り替えた中村晃斗選手のランニング人生を深掘りしていきましょう。

中村晃斗のプロフィール

名前:中村 晃斗(なかむら あきと)
生年月日:2004年度生まれ
出身鹿児島県出水郡長島町
経歴:長島町立鷹巣中学校→出水中央高等学校→志學館大学

中村晃斗の中学高校時代

中村晃斗選手長島町立鷹巣中学校の出身です 。

中学時代の詳しい成績などはわかっていませんが、陸上の強豪・出水中央高校に進学しているところを見ると、
少なくとも中学の頃から陸上に取り組んでおり、それなりの成績を残していたものと思われます。


高校時代は疲労骨折をはじめ、故障に悩まされることが多く、実際に練習できたのは「1年くらい」だったそうです 。

高校3年の夏には全国高校総体(インターハイ)男子1500mに出場しましたが、怪我は完治しておらず、予選落ちという悔しい結果に終わっています。


出水中央高校の1学年下には順天堂大学玉目陸選手青山学院大学飯田翔大選手らがいました。

玉目陸選手についてはこちらを→玉目陸の父親やおじもすごい!出身中学高校や自己ベスト記録は?

飯田翔大選手についてはこちらを→飯田翔大(陸上)の進路は青学? 出身中学や自己ベストは?

中村晃斗の大学時代

中村晃斗選手は高校時代に故障に苦しんだ経験から、関東の強豪大学からの誘いを断り、
「強度の高い練習で、また故障を繰り返したくない。自分のペースで練習できるところを」という理由で、地元の志學館大学進学しました 。

進学した当時の志學館大の陸上部は、新型コロナウイルスの影響もあり「崩壊状態」で、部員は3〜4人という状況でした 。

しかし、中村晃斗選手の入学がチームを大きく変えることになります 。

入学当初は駅伝とは無縁で、トラックを中心に戦っていましたが、1年時のU20日本選手権1500m9位などの活躍を見せました 。

その活躍に吸い寄せられるように、翌年には有力な高校生ランナー8人が入学し、一気に駅伝メンバーが組める態勢になりました 。

陸上部の前迫勇太監督は
「(中村が)自分の人生を変えてくれた」
と語っていますね 。

3年時日本インカレで1500m5位5000m4位2種目入賞を果たし、
「九州にいても、個人で戦えることが証明できた」
と自信を深めていました 。

初出場となった3年時出雲駅伝1区では、脇腹を痛めて区間13位という悔しい結果に終わりました 。

しかし、そのリベンジを誓った全日本大学駅伝では、1区で積極的なレースを展開 。

終盤、大混戦から9km手前で他校の選手がスパートを仕掛ける中、中村晃斗選手は残り200mで一気にギアチェンジ 。

下り坂を利用してラストスパートで抜け出し、27分20秒区間賞を獲得しました 。

中村晃斗の自己ベスト

5000m:13分45秒74
10000m:30分06秒20

中村晃斗のまとめ

故障を乗り越え、「自分のペースで練習できる」環境を選んだ中村晃斗選手

低迷していた大学に入学し、そのストイックな姿勢と結果が、新たな仲間を呼び寄せ、チームの歴史すら変えてしまいました 。

全日本大学駅伝での鮮やかな走りは、まさに有言実行の賜物です 。

中村晃斗選手
「将来は五輪の5000メートルで日本代表をめざす」
と熱く語っています 。

目標に向かって前進し続ける中村晃斗選手を、これからも応援していきたいですね!