城西大学時代には3年連続で箱根駅伝に出場し、現在の強い城西大学の礎を築いた石田亮選手。
そんな石田亮選手ですが初めて出場した箱根駅伝では途中棄権という悔しい想いも味わっています。
あれから10年以上経ち、石田亮選手が現在、何をされているのか気になったので、経歴と併せて調べてみました。
生初観戦の箱根駅伝で悲劇を目撃、この写真は日テレでも使用(ご本人の承諾があれば可として提供)。
— 千葉 高校スポーツ応援団 (@sportschiba) January 1, 2021
途中棄権
当時2年の城西大学石田亮選手、原因は低血糖症。
重苦しい気分で帰宅したが、1年後見事に晴らしてくれた。
区間2位の記録で城西大学を初シードに導いた。
この時初めて撮影しながら涙😢 pic.twitter.com/I3kqS6Mp9C
石田亮のプロフィール
名前:石田 亮(いしだ りょう)
生年月日:1988年9月7日
出身:青森県
経歴:東北町立蛯沢小学校→東北町立東北中学校→青森山田高校→城西大学
石田亮の学生時代
石田亮選手は青森山田高校時代から3年連続で全国高校駅伝に出場するなど活躍されていました。
城西大学に進学後は2年生から箱根駅伝に出場。
石田亮選手は8区を任されましたが、一時的な低血糖症のため、途中棄権となってしまい、襷をつなぐことはできませんでした。
特にこの時は続く9区では当時主将だった伊藤一行選手が区間1位相当の走りを見せたもの、石田亮選手の棄権により記録が残らない参考記録となり、『幻の区間賞』となってしまっただけに、いっそう悔しかったに違いありません。
今日ふと伊藤一行さんの幻の区間賞のこと思い出しちゃって潤んだ
— 妖怪ツケマツゲ (@ooooomeat) October 10, 2023
石田亮さんのあの涙も鮮明に思い出してしまった🥺
それでも石田亮選手は3年時の箱根駅伝では7区で区間2位の好走を見せ、城西大学史上初のシード権獲得に大きく貢献しました。
さらに4年時の箱根駅伝ではチームは11位で惜しくもシード権を逃したものの、石田亮選手自身は9区で区間5位の好成績を残しています。
石田亮の大学卒業後
大学卒業後、石田亮選手は自衛隊体育学校に所属し、陸上を続けています。
自衛隊体育学校とは
「オリンピアンを輩出するとともにオリンピックにおけるメダルの獲得」及び「部隊における体育格闘指導者の育成」
を主な目的として1961年に陸上自衛隊朝霞駐屯地に創設され組織です。
石田亮選手の大学卒業後の主な成績としては以下のようなものがあります。
2014年延岡西日本マラソン3位
2017年新潟ハーフマラソン4位(日本人1位)
2017年長野マラソン7位
2019年北海道マラソン8位
\\ 🌟happy birthday🌟 //
— 自衛隊体育学校 (@pts_pr_official) September 6, 2021
▶︎9月7日
陸上(長距離)#石田亮 2等陸曹
お誕生日おめでとうございます☺️🎀#お誕生日おめでとう #birthday #自衛隊体育学校 #陸上 pic.twitter.com/xMowv41d2y
石田亮の結婚と子供
石田亮選手はすでに結婚されています。
石田亮選手の奥さんについては一般人のため、詳細は不明です。
子供は息子さんが一人いるようで、石田亮選手のX(旧ツイッター)に息子さんのかわいらしい写真がアップされていて子煩悩な様子が見てとれます。
#逃走中出たい
— 石田亮 (@ishitadayo) May 16, 2021
長距離選手の息子を出させてあげたい。 pic.twitter.com/yFOZEklMgy
ママ「なにしてるの?」
— 石田亮 (@ishitadayo) August 24, 2018
息子「パパがテレビ観てる時の真似っこ!」
父「子供の観察力ってスゲーな」
まさか息子にモノマネされるとは思いませんでした。 pic.twitter.com/nbLTktjrAl
石田亮のまとめ
箱根駅伝での石田亮選手の走りはとても記憶に残るものでした。
きっと箱根駅伝が続く限り語り継がれていくと思いますね。
石田亮選手の城西大学時代の恩師・櫛部静二監督についてはこちらを→櫛部静二監督(城西大)の結婚した嫁は?箱根でのブレーキの原因は?