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吉川孝成(明豊)の死因は事故?出身や父母は?仲間たちとのエピソードが感動!

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3年連続夏の甲子園出場を決めた大分・明豊高校

その明豊高校の選手たちの心の支えとなっているのが、吉川孝成さんです。

吉川孝成さんは将来を嘱望された選手でしたが、昨年の秋に不慮の事故によって亡くなら
ています。

ムードメーカーだった吉川孝成さんの存在は、明豊高校のメンバーにとって、とても大きなものだそうです。

そこで今回は吉川孝成さんを偲んで、どんな人物だったのかまとめてみました。

吉川孝成のプロフィール

名前:吉川 孝成(よしかわ こうせい)
生年月日:2005年度生まれ
出身:大阪府羽曳野市
投打:右投げ右打ち
ポジション:キャッチャー
経歴:明豊高校

吉川孝成の小中学時代

吉川孝成さん大阪府曳野市で生まれ育っています。

元高校球児の影響で、小学3年生からで野球を始めました。

中学時代藤井寺ボーイズに所属。

藤井寺ボーイズ同期のチームメイトには明豊高校でも一緒にプレーしていた西川昇太選手らがいました。

中学2年時にはボーイズ春季全国大会ボーイズ選手権大会に出場。

中学卒業後は、憧れの今宮健太選手(ソフトバンク)の母校である明豊高校進学しました。

吉川孝成の事故

明豊高校吉川孝成さん1年生の夏2年生の夏甲子園に出場していますが、どちらもベンチ外でした。

吉川孝成さんに不幸が訪れたのは、2年夏の甲子園が終わり、新チームになって直後です。

8月下旬に行われた宮崎県での練習試合に出場した吉川孝成さん鎖骨付近ファウルチップが直撃し、倒れこみます。

そして、そのまま意識を失い、心肺停止状態に陥り入院・・・。

結局、意識が戻ることなく、約2か月半後11月5日に亡くなられています。

医師によると、元々あった脳動脈瘤破裂した可能性があるそうです。

昨夏の甲子園が終わり、吉川さんたちの代が中心の新チームとして動き出した直後の昨年8月下旬、練習試合で飛んできたファウルボールが吉川さんの鎖骨付近に当たった。ボールを拾おうとした吉川さんはそのまま倒れ、一時は心肺停止状態に陥った。意識は戻らず、ベッドに寝たままの状態が続いた。医師からは元々あった脳動脈 りゅう が破裂した可能性が指摘された。

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吉川孝成の父母

吉川孝成選手元高校球児の父・聖哉さんと・久美さんの間に生まれています。

の久美さんは今年の夏の大分県大会を全試合、大阪から観戦に訪れていました。

「みんなが『孝成のために』とか、『孝成と一緒に甲子園行く』って言ってくれたことが、すごくうれしくて…」
と話されていますね。

また、昨年秋に九州大会準々決勝で沖縄尚学に敗れた後には、吉川孝成さんご両親バッティングマシーン明豊高校寄贈されていました。

そんな時、孝成さんの両親からチームに打撃練習マシンが贈られた。「選手たちにいっぱい元気をもらったから、お礼がしたくて」「野球が大好きだった孝成を感じてくれたら」。父の聖哉さん(41)と母の久美さん(44)は、孝成さんの遺影の前で口をそろえた。

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吉川孝成の仲間たちのとのエピソード

吉川孝成さん正捕手の座を争っていた義経豪選手は、毎日吉川孝成さんの母・久美さんにラインを送っています。

内容はたわいもない日常、試合の報告などですが、義経豪選手にとって吉川孝成さんは今でも一緒に戦っている仲間なんだそうです。

本来は正捕手を争うはずだった義経豪(よしつね・ごう、3年)は吉川さんの母久美さん(44)に、毎日欠かさずにラインを送る。たわいもない日常、試合の報告を長文でつづってきた。義経は「チームの状況であったり、学校の行事のことを孝成には報告したいと思って…。いつも一緒に戦ってくれている」。久美さんは仏壇の前で亡き息子へ報告する。「豪君からラインきたよ」

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また、エースの中山敬斗投手の帽子のつばには「孝成と共に」と書かれています。

ピンチの時にはその文字を見て、パワーをもらっているそうです。


どちらも生前、吉川孝成さんがどれだけ仲間たちに慕われていたか、わかるエピソードですね。

中山敬斗投手についてはこちらを→中山敬斗(明豊)はドラフト注目!出身中学や球速球種は?

吉川孝成のまとめ

吉川孝成さんの魂は明豊ナインの中に今でも生き続けているのだと思います。

明豊高校には甲子園でも吉川孝成さんと共に一つでも多く勝ち進んでいってほしいですね!


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