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打川和輝(東日本国際大)はドラフト注目!金足農業時代や進路は?

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東日本国際大学ドラフト候補打川和輝選手

身長185cm体重90kgの恵まれた体格を持つスラッガーです。

金足農業時代には同期の吉田輝星投手(現・日本ハム)ともに“金農旋風”を巻き起こし、甲子園準優勝を経験しました。

大学進学後は、やや大学のレベルの高さに苦しむ場面も見られましたが、4年春には4番打者として全国大会出場を果たしてます。

打川和輝のプロフィール

名前:打川 和輝(うちかわ かずき)
生年月日:2000年7月20日
出身:秋田県秋田市
身長:185cm
体重:90kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ファースト兼サード
家族:父、母、妹
経歴: 秋田市立八橋小学校→秋田市立泉中学校→秋田県立金足農業高校→東日本国際大学

打川和輝の小中学時代

打川和輝選手小学4年生から野球を始めました。


中学時代軟式野球部に所属。

中学3年時には秋田市内23の中学校から選抜された秋田クラブのメンバーとして全日本少年春季軟式野球大会に出場しています。

また、軟式野球が終わった後は、硬式球に慣れておくために秋田北シニアに入団。

そこには吉田輝星投手ら、のちに金足農業に進む選手たちがそろっており、
「みんなで金足農に行かない?」
という話になったそうです。

最初は別の強豪校への進学を考えていた打川和輝選手ですが、吉田輝星投手に誘われ、金足農業への進学を決意しました。

 菅原天の父・天城さんは金足農OBで現コーチ。吉田の父も金足農OBで、天城さんの同級生。そんな偶然の巡り合わせがそこにあった。

 「みんなで金足農に行かない?」

 当然の流れだった。主将の佐々木大夢、6番打者の高橋佑輔たちも同調した。

 中学時代から秋田では名の知れた存在だったという4番の打川和輝は別の強豪校への進学を考えていたという。吉田が笑って振り返る。「お前も来いよって、無理やり引っ張りました」

「みんなで金足農に行こう」選手交代ゼロ、無類の結束力

打川和輝の高校時代

打川和輝選手は高校では1年秋からベンチ入り

3年夏秋田県大会では18打数7安打5打点打率.389の活躍で、11年ぶりの甲子園出場を果たしました。

続く甲子園大会では全6試合4番・サードで出場。

決勝で大阪桐蔭に敗れたものの、23打数7安打2打点打率.304の成績で、準優勝に貢献しました。


さらに、10月に行われた国体では初優勝を達成しています。

※台風の影響で準決勝と決勝は行われず、大阪桐蔭、近江、浦和学院との4校優勝。

打川和輝の大学時代

東日本国際大学に進学後は、3年秋までリーグ戦わずか1打席だけの出場でした。

しかし、東日本国際大学の藤木豊監督とともに神主打法に挑戦すると、持ち前の長打力を発揮できるようになります。

4年春には4番・ファーストとしてリーグ優勝を達成しました。


東日本国際大学の同期のチームメイトには、打川和輝選手とともにクリーナップを組み、チームを支えている上崎彰吾選手らがいます。

上崎彰吾選手についてはこちらを→上崎彰吾(東日本国際大)はドラフト注目!出身中学高校や進路は?

打川和輝のプレースタイル

打川和輝選手はプロ注目の強打の内野手です。

勝負強いバッティングが持ち味。


高校時代にはピッチャーとしても活躍し、甲子園の決勝では吉田投手のあとを受け、マウンドも経験しています

金足農業の中泉一豊監督は
「吉田がいなければ、文句なしにエース」
と、ピッチャーとしての才能も高く評価していました。

打川和輝の進路

打川和輝選手大学卒業後の進路はまだわかっていません。

打川和輝のまとめ

打川和輝選手率いる東日本国際大学は、今年の全日本大学野球選手権では準決勝まで勝ち進んでいます。

このまま頂点を目指して、勝ち続けていってほしいですね!