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西村太監督(尽誠学園)のwiki風経歴!父母もすごい!現役時代や指導方法は?

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尽誠学園野球部を率いる西村太監督

選手とのコミュニケーションを重視されている監督さんです。

2020年にはセンバツ出場を決めていましたが、コロナによる大会中止の憂き目にあっています。

それから5年、夏の香川県大会を制し、監督として初の甲子園出場を果たしました。

今回はそんな西村太監督経歴家族について紹介します。

西村太のプロフィール

名前:西村 太(にしむうら ふとし)
生年月日:1979年度生まれ
出身:大阪府大阪市
職業:地歴公民科教諭
経歴:尽誠学園高校→大阪学院大学

西村太の父母

西村太監督父・西村良孝さんは、元バレーボール選手です。

現役時代は住友金属でプレーし、引退後は指導者へ転身。

2004年には女子バレーボール日本代表のコーチとしてアテネオリンピックに参加しています。


西村太監督西村やえみさん(旧姓・松川やえみ)も、元バレーボール選手で、現役時代はユニチカ貝塚に所属していました。

両親がともにバレーボール選手という環境で育った西村太監督が、野球を選んだ理由ついては
「小学1年のとき、親に言わず友達に誘われて行った野球の練習が楽しくて」
と語っていますね。

現在は既婚で、二人の息子一人の娘を育てています。

西村太の現役時代

西村太監督尽誠学園の出身です。

高校時代のポジションはピッチャー兼外野手

高校の同期には大沼幸二さん(元・西武、横浜)1学年下には木村昇吾さん(元・広島)がいましたが、甲子園出場経験はありません。

高校卒業後は大阪学院大学進学

大学では外野手に専念し、野球を続けていました。

西村太の指導者時代

大学を卒業した2002年春に母校に戻り、尽誠学園寮監兼コーチに。

そこから15年間、4人の監督の下でチームを支えていました。

そして2017年11月監督に就任。

就任翌年の夏の県大会直前にはコーチによる部員への暴力事不祥事が発覚!

西村太監督自身報告遅れを指摘され、3ヶ月間の謹慎処分を受けています。

香川県善通寺市の尽誠学園野球部でコーチによる暴力行為が発覚しました。監督も報告義務を怠ったとして謹慎処分となっています。

 高校によりますと、野球部の男性コーチ(27)は、今年3月と4月、寮の規則違反や練習態度を理由に、2人の部員の顔を平手打ちしたということです。  監督はコーチの暴力行為を把握していましたが、学校や高野連には報告していませんでした

尽誠学園野球部コーチが部員に暴力 監督を交代し香川大会に出場へ


その後、2019年秋には四国大会準優勝を果たし、センバツ出場校選出

しかし、センバツコロナ禍のため中止となってしまいました。

2025年夏にはエースで、4番打者で、主将の廣瀬賢汰投手を擁し、香川県大会優勝!

改めて監督として初の甲子園出場を決めています。

廣瀬賢汰投手についてはこちらを→廣瀬賢汰(尽誠学園)はドラフト注目!出身中学や球速球種は?

西村太の指導方針

西村太監督は、選手との対話を軸にしたコミュニケーションを重視する指導者です。

その目的は、選手一人ひとりの「自主性」「考える力」を引き出し、チーム全体で新しいカラーを築き上げること。

また、選手同士のコミュニケーションにも力を入れ、練習中に疑問や課題が生じた際には、納得できるまで話し合える環境を整えています。

特にバッテリー間では「野球ノート」を活用し、意見や考えを共有して相互理解を深める工夫も導入。

こうした取り組みが、選手の成長とチーム力の向上を後押ししています。

西村太のまとめ

選手時代から母校・尽誠学園を愛し続け、指導者としてもチームを支え続けてきた西村太監督

家族から受け継いだスポーツへの情熱と、独自のコミュニケーション重視の指導法で、選手たちの自主性と考える力を育んできました。

コロナ禍によるセンバツ中止という悔しさを乗り越え、ついに2025年夏、監督として初めて甲子園出場を果たしています。

これからの尽誠学園、そして西村太監督の挑戦からも目が離せません!