近江高校野球部の多賀章仁監督。
「多賀章仁」の名前の読み方は“たがあきと”
甲子園には春夏通算19回出場しているベテラン監督です。
※2021年8月時点。
2001年の夏には滋賀県勢としては最高成績となる甲子園準優勝も経験されています。
残るは悲願の日本一だけです!
近江の多賀監督が涙で目が赤くなってる…素晴らしいサヨナラ勝ちでした。
— k a z u m a (@kazutan__1220) August 26, 2021
20年ぶりの決勝進出見せてください。 pic.twitter.com/2Pqxkzzxv6
〜もくじ〜
多賀章仁(たがあきと)のプロフィール
名前:多賀 章仁(たが あきと)
生年月日:1959年8月18日
出身:滋賀県彦根市
経歴:彦根市立南中学校→平安高校(現・龍谷大平安高校)→龍谷大学
多賀章仁(たがあきと)の年齢
多賀章仁監督の年齢は62歳です。※2021年8月27日時点。
今年(2021年)は、誕生日の8月18日には甲子園で試合が行われる予定でしたが、残念ながら、雨で順延で、バースデー勝利とはなりませんでした。
多賀章仁(たがあきと)の現役時代
多賀章仁監督は小学2年生から三角ベースで野球を始めました。
漫画『巨人の星』に夢中になり、プロアマ問わず、テレビの野球中継にかじりついていたといいます。
このエピソードだけで、すごく時代を感じますね。
中学時代は学校の野球部でショートとしてプレー。
中学卒業後は、甲子園を目指して、京都にある平安高校(現龍谷大平安高校)へ進学しました。
高校ではファースト兼キャッチャーとして活躍!
当時の平安高校は毎年のように甲子園に出場していた強豪でしたが、多賀章仁監督が入学した頃から、低迷期に入っています。
結局、多賀章仁監督の代では、3年夏の3回戦進出が最高成績で、甲子園出場はなりませんでした。
平安高校の1学年下には現・龍谷大平安の原田英彦監督がいました。
多賀章仁(たがあきと)の指導者時代
高校卒業後は、龍谷大学で野球を続けていた多賀章仁監督は、大学4年生の頃から、指導者の道を志すようになります。
そして、大学を卒業後も、龍谷大学のコーチを務めながら、聴講生として週2回ほど授業を受け、教員免許を取得。
1983年から近江高校に社会科の教師として赴任し、野球部のコーチに就任しました。
その後、野球部部長を経て、1989年に監督就任。
甲子園には1992年夏に監督として初出場を果たしています。
以後、2021年夏の時点で、甲子園には春5回、夏14回出場。
2001年夏には、滋賀県勢としては最高成績となる甲子園準優勝を達成されています。
多賀章仁(たがあきと)の主な教え子
村西 辰彦(むらにし たつひこ)
外野手。2001年日本ハムドラフト8巡目。
島脇 信也(しまわき しんや)
投手。2001年オリックスドラフト4巡目。
竹内 和也(たけうち かずや)
投手。2001年西武ドラフト5巡目。
木谷 寿巳(きたに ひさし)
投手。2005年東北楽天大学生・社会人ドラフト6巡目。
伊奈 龍哉(いな りゅうや)
外野手。2006年福岡ソフトバンク高校生ドラフト3巡目。
小熊 凌祐(おぐま りょうすけ)
投手。2008年中日ドラゴンズドラフト6位。
植田 海(うえだ かい)
内野手兼外野手。2014年阪神ドラフト5位。
京山 将弥(きょうやま まさや)
投手。2016年横浜DeNAドラフト4位。
土田 龍空(つちだ りゅうく)
内野手。2020年中日ドラフト3位。
多賀章仁(たがあきと)のまとめ
すでに還暦を超えている多賀章仁監督。
まだまだ元気で頑張ってほしいですが、いつ退任報道が出てもかしくない年齢です。
ぜひ、退任までに、滋賀県勢初の甲子園優勝を達成してほしいですね!