野球

松本龍哉(盛岡大附)はドラフト注目!父もすごい?出身中学や進路は?

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

盛岡大学附属高校ドラフト候補松本龍哉選手。

3年春の時点で高校通算60本塁打以上を記録しているスラッガーです。

この世代は2年春から夏にかけて新型コロナウイルスの影響で活動休止を経験しています。

それなのに高校通算60本塁打以上というのはただものではないですね!

松本龍哉のプロフィール

名前:松本 龍哉(まつもと たつや)
出身:福島県須賀川市
身長:175cm
体重:80kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:サード兼ファースト
経歴:須賀川市立大東中学校→盛岡大学附属高校

松本龍哉の父

松本龍哉選手・松本博幸さんも高校時代は学法石川野球をされていました。

同級生には現・ロッテの川越英隆一軍投手コーチがおり、高校3年の春と夏には2季連続甲子園出場を果たしています。

そんなによって、松本龍哉選手は幼い時からプロ野球の試合観戦に何度も連れて行ってもらい、
「将来はプロに入って、日本代表の4番を打ちたい」
と思うようになったそうです。

松本龍哉の小中学時代

松本龍哉選手小学1年生から大東ソフトボール少年団ソフトボールを始めました。

当時から飛距離には自信があり、小学6年間70本以上のホームランを記録しています。

中学からは郡山ボーイズに所属。

中学2年時にはオール福島JAPAN
中学3年時にはボーイズ日本代表に選ばれています。


ボーイズ日本代表では世界少年野球大会に出場し、打率.500の大活躍で日本の準優勝に貢献しました。

松本龍哉の高校時代

高校進学時には県内外の多くの強豪から誘いを受けていた松本龍哉選手は、
「打撃のチームだし、自分の得意分野を伸ばせると思った」
と、岩手県にある盛岡大学附属高校へと進学しました。

関口清治監督率いる盛岡大学附属高校“モリフメソッド”で有名な強打のチームです。

ちなみに盛岡大学附属高校が打撃のチームへと変貌したきっかけは、今を時めく大谷翔平投手を攻略するためでした。

 今でこそ強打のチームとして注目を浴びる盛岡大附。だか、かつては守備を重視するチームだった。それが一転、強打のチームに転換したのはなぜか?”
 
きっかけは昨年、ポスティングシステムでMLB挑戦を決意し、ロサンゼルス・エンゼルスでプレーする「二刀流」。2010年4月に同県のライバル・花巻東に入学してきた大谷 翔平である。

 当時から140キロ台を悠々と投げる大谷。そのピッチングを目の当たりにして、関口清治監督は痛感した。
「大谷を倒さなければ甲子園に行けない」
早速チーム方針を切り替え1点を守り切る野球から、強打の野球に転換した盛岡大附は、強打者育成のスペシャリスト・光星学院監督を退任したばかりの金沢 成奉氏(現:明秀学園日立監督)を招へい。

盛岡大附(岩手)強打のモリフメソッドを特別伝授 自分が打つストーリーを創り出せ!

松本龍哉選手は高校では入学直後の1年春から背番号15ベンチ入り。


1年秋にはファーストレギュラーとして活躍し、岩手県大会優勝に貢献!

続く東北大会では全3試合3番・ファーストで出場。

10打数6安打1打点2四球の好成績で、ベスト4入りを果たしています。

その後、新型コロナウイルスの影響による活動休止を経験。

2年秋には1番・サード岩手県大会優勝東北大会初戦敗退。


3年春岩手県大会では準々決勝満塁ホームランを放つなど打率四割の強打者ぶりを発揮し、準優勝を果たしています。

※追記
3年夏
岩手県大会18打数8安打6打点、1本塁打の活躍で優勝!

盛岡大学附属同期チームメイトには、エースの渡辺翔真投手、岩手県大会5試合連続ホームランの金子京介選手らがいます。

渡辺翔真投手についてはこちらを→渡辺翔真(盛岡大附野球部)はドラフト候補のピッチャー!出身中学や球速球種は?

金子京介選手についてはこちらを→金子京介(盛岡大附野球部)はドラフト注目!出身中学や進路は?ホームラン数は?

松本龍哉のプレースタイル

松本龍哉選手は長打力が魅力の左打ちの内野手です。

フルスイングを信条とし、鋭い打球を広角に飛ばします。

3年7月末の時点で高校通算64本塁打を記録。

松本龍哉の進路

松本龍哉選手はまだ高校卒業後の進路に関しては明らかにされていません。

※追記 高校卒業後は青山学院大学に進学!

松本龍哉のまとめ

1年生からレギュラーで活躍している松本龍哉選手ですが、まだ甲子園に出場したことはありません。

「小さなころから甲子園出場を目指していた。 最後の夏に夢を果たしたい」
と高校最後の夏にかける想いも強いです。

同じ岩手県には花巻東という強豪校もありますが、なんとか花巻東を倒して、甲子園出場を果たしてほしいですね!