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植田響介(慶應大→ENEOS)の高松商業出身のドラフト候補!弟もすごい?

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慶應大学ドラフト候補植田響介選手。

リードに定評のあるプロ注目のキャッチャーです。

高松商業時代には、明治神宮大会で優勝!

さらに3年春センバツでも準優勝を経験。

大学では1学年上に郡司裕也選手(現・中日)がいたためにあまり出番に恵まれていませんが、大学最終学年で活躍してのプロ入りを目指しています。

※追記 大学卒業後はENEOSに入社!

植田響介のプロフィール

名前:植田 響介(うえた きょうすけ)
生年月日:1998年5月16日
出身:香川県東かがわ市
身長:181cm
体重:85kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:キャッチャー
好きな食べ物:うどん
経歴:東かがわ市立白鳥中学校→高松商業→慶應大学

植田響介の弟

植田響介選手の1歳下の弟・植田理久都選手も高松商業出身で、2016年にセンバツ準優勝した時のメンバーです。

ポジションはファースト

現在は兄と同じ東京六大学リーグの明治大学でプレーしています。

2018年の春季フレッシュリーグ戦では植田響介選手がの3番キャッチャー、理久都選手が5番ファーストで出場し、兄弟対決が実現!

この試合では植田響介選手先制ホームランを放ち、兄の意地を見せていました。

慶大の兄・響介捕手(2年)は3番を任され1回に左翼席へ先制本塁打。明大の一塁を守った弟・理久都(1年)の前を気持ちよさそうに通過した。

スポニチ

植田響介の小中学時代

植田響介選手は幼い頃にアニメ『MAJOR』を見て
「俺も吾郎みたいになりたい」
と、本田(茂野)吾郎に憧れ、小学3年生から野球を始めました。

中学時代は軟式野球部に所属。

さらに植田響介選手は学校の部活に加えて、元東北楽天の高橋浩司さんが主宰する野球塾にも通っていました。

野球塾では当時、松家卓弘さん(東大→横浜、日本ハム他)がコーチをされていました。

その時に2人からもらった色紙植田響介選手の宝物となっていて、いつも色紙を見て自分のモチベーションを高めています。

植田響介 色紙

植田響介の高校時代

中学卒業後は古豪・高松商業に進学。

高松商業センバツの第一回大会で優勝したのをはじめ、春夏あわせて4回も甲子園で優勝している県立の高校です。

植田響介選手4番キャッチャーとして、2年秋の香川県大会準優勝四国大会優勝を果たします。


続く明治神宮大会では各地区で優勝したチームを次々と破り、初優勝!
日本一を達成しました。

3年春センバツでも4番キャッチャーで出場。

準々決勝ではホームランを放つなど、21打数8安打4打点、打率.381の活躍で、準優勝を経験しました。


3年夏香川県大会決勝尽誠学園1対5で敗れ、惜しくも甲子園出場はならず。


高校の同期のチームメイトには美濃晃成選手(現・近畿大学)、米麦圭造選手(現・國學院大学)らがいました。

ちなみに高校時代からイケメン主将として話題になっていた米麦圭造選手は現在、野球部を辞め、俳優を目指しているそうです。

植田響介選手とは進む道は分かれましたが、それぞれの世界での活躍を祈りたいですね!

植田響介の大学時代

高校卒業後は慶應大学に進学。

1学年上に郡司裕也選手という六大学で三冠王を獲るほどのすごいキャッチャーがいたためなかなか出番に恵まれませんでした。

しかし、郡司選手が卒業した今年は、レギュラー獲得を目指し、春のオープン戦から好調を維持しています。

植田響介のプレースタイル

植田響介選手強肩強打のキャッチャーです。

高校時代には明治神宮大会では日本一、センバツでも準優勝を経験しており、経験豊富。

植田響介選手本人も
「捕手として様々な投手を上手にリードできる自信があります」
とインタビューで答えています。

植田響介のまとめ

植田響介選手は野球を始めたころからプロ野球選手が目標です。

大学ではまだ実績は少ないですが、今年の活躍次第では十分プロ入りが狙えます。

なんとか先輩の郡司選手に続いてのプロ入りを成し遂げてほしいですね!