野球

西谷浩一監督(大阪桐蔭)の嫁や体重や年収!名スカウトマンの若い頃は?

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

史上初の2度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭の西谷浩一監督
今回の優勝で、春夏通算7度目の全国制覇を達成となりました。
これは、元PL学園の中村順司監督を抜き歴代最多です。
間違いなく現在の日本の高校野球の中で一番の名将と言えますね。
今回は、日本一の監督でありながら、どこか憎めないユーモラスな雰囲気も併せ持つ西谷監督についてまとめてみました。

 


名前:西谷浩一(にしたに こういち)
生年月日:1969年9月12日
出身:兵庫県宝塚市
経歴:報徳学園→関西大学

 

○体重
最初に気になったのは、やはり西谷監督に体重についてです。
選手と違って、監督は公式発表があるわけではありませんが、ネット情報だと体重125kgというのが有力なようです。
身長は180cm弱といったところですから、あきらかに太り過ぎですよね。
しかも、年々増加中とのこと。
長く高校野球の監督を続けてほしいので、健康には気を付けてほしいですね。

 

○家族
芸能人ではありませんので、プライベートな情報が公にされていません。
ですので正確性には欠けますが、ネットの情報によると妻と子供が2人いるようです。
妻の名前は勢子(ちかこ)さん。
子供は娘2人で、長女が瑞希さんで、次女が朱里さん。

 

○年収
強豪校の監督って、いくらくらい貰っているのでしょうか?
調べましたが、確かな情報はありません。
まぁ、当然と言えば当然ですね。

西谷監督は、野球部の監督であると同時に、社会科の教師でもあります。
ですので、監督+教師としての収入がありますから、結構な額になっていることでしょう。
ネットの情報からすれば、1000万円以上は確実だと思います。

 

○現役時代
ところで、西谷監督の現役時代のポジションはどこだと思いますか?
あの体型からキャッチャーだと思った人!
・・・・正解です!
西谷監督は、小学2年から野球をはじめ、小学4年の頃よりキャッチャー一筋でプレーしています。

高校は、兵庫県の名門・報徳学園に進学。
西谷監督がいた時代も、甲子園を狙えるだけの力はありました。
しかし、西谷監督が高校3年生の時に、下級生が不祥事(暴力事件)を起こし、夏の県大会は辞退することになってしまいます。

この時の心中は、察するに余りあるものがありますね。
もしかしたら、自分が高校時代に甲子園に出られなかった悔しさが、現在の常勝軍団を作る原動力になっているのかもしれません。

その後、西谷監督は、一年間の浪人生活を経て、一般入試で関西大学に入学。
2年秋から控え捕手としてベンチ入りを果たし、
3年春には、リーグ戦優勝全日本大学野球選手権大会準優勝に貢献しています。

4年生の時には、主将を任され、100人以上の部員をまとめあげました。
しかし、選手としては怪我のためベンチを外れ、主にブルペン捕手を務めています。
その時の経験が、控えも含めて部員全員で戦うことの大切さ知る経験となったそうです。

 

○コーチ・監督時代
大学卒業後は、母校の報徳学園高校野球部の臨時コーチを務めた後、大阪桐蔭高校のコーチに就任。
1998年には大阪桐蔭高校の監督を務めて、その後一度監督を退けますが、2004年から再び監督として指揮をとっています。

 

○スカウト
西谷監督といえば、自ら全国を周って、有力な中学生を熱心にスカウトすることで有名です。

現・日本ハムの中田翔選手が中学生の時には、広島まで50回以上も足を運び口説き落としました。
また、根尾選手の場合には、
「根尾の試合には必ず西谷監督が視察に来ている」
と、東海地区のボーイズリーグ関係者の間で評判になるほど、頻繁に試合を観に訪れていたようです。
さらに、根尾選手の実家がある岐阜県内のホテルに連泊して、実家へ通い続けたと言われています。

そんな努力の成果によって、大阪桐蔭には、毎年、中学日本代表クラスが大勢進学してきているのですね。

 

○ベビースターラーメン
西谷監督の大好物として有名なのが、ベビースターラーメンです。
毎年、OBの藤浪投手が、抱えきれないくらい大量のベビースターラーメンを持って差し入れに訪れるのは、シーズンオフの風物詩となっています。
大阪桐蔭の監督室には、ベビースターラーメン専用サーバーというものが置いているそうです。

ベビースターラーメン専用サーバーなんてものがあるのですね。
初めて知りました。
西谷監督が年々、太っていく理由が分かった気がします…。
藤浪投手には、西谷監督の健康のために、こんにゃくとかきゅうりのようなもう少しヘルシーな食べ物を差し入れしてほしいですね。