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岩下准平のwiki風経歴!父母や兄弟もすごい?出身小学校や中学校は?

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大学ナンバー1ガードと呼ばれることもある筑波大学岩下准平選手

福岡大大濠高校時代には日本一に貢献するなど、常に世代のトップを走り続けてきました。

さらに注目を集めている理由は、度重なる大怪我を乗り越え、再びコートに立ち続けている点です。

今回はそんな岩下准平選手の歩みを、家族とのエピソードも交えながら詳しく見ていきます。

岩下准平のプロフィール

名前:岩下准平(いわしたじゅんぺい)
生年月日:2003年4月2日
出身:福岡県
身長:180cm
体重:82kg
利き手:右
ポジション:ポイントガード
経歴:新宮町立新宮東小学校→福岡市立西福岡中学校→福岡大学附属大濠高等学校→筑波大学

岩下准平の小学中学時代

岩下准平選手バスケットボールを始めたのは小学3年生からです。

きっかけは、友人に誘われたことでした。

しかし、バスケへの理解が深まる環境がありました。

中学は福岡市立西福岡中学校進学

この選択が、人生の大きな転機になります。

2年時には全国中学校大会優勝

3年時はエースとして決勝へ進出し、全国準優勝

決勝では38得点を記録するも、わずか1点差で涙をのみました。

この頃から、
「勝負どころで託されるガード」
として評価が高まります。

岩下准平の高校時代

進学先は、福岡大学附属大濠高校

幼い頃から憧れていた名門です。

入学直後から、伝統あるエースガードの番号「13」を託されました。

1年時から試合に絡み、ウインターカップ準優勝を経験。

しかし2年夏、左膝前十字靱帯断裂という大怪我に見舞われます。

復帰まで約10か月。

長く、苦しいリハビリ生活でした。

それでも3年時、完全復活。

インターハイ3位ウインターカップでは主将としてチームを牽引します。

ウインターカップ準決勝では、3ポイント9本、38得点の大爆発。

決勝でも逆転3ポイントを沈め、福大大濠を28年ぶりの全国制覇へ導きました。

岩下准平の大学時代

筑波大学へ進学後も、岩下准平選手の挑戦は続きます。

しかし大学2年時、再び左膝を負傷

前十字靱帯再断裂に加え、内側側副靱帯断裂半月板損傷という重傷でした。

普通なら心が折れても不思議ではありません。

それでも岩下准平選手は、前を向き続けます。

復帰後はチームの司令塔として奮闘しました。

岩下准平の家族

岩下准平選手を語るうえで、家族の存在は欠かせません。

お父さんお母さんはともにバスケットボール経験者です。

小学時代からNBAをテレビで観る生活で、自然と「本物」に触れる時間が多かった少年でした。

中学進学時には、家族全員で西福岡中学校の近くへ引っ越し。

「本気でバスケに向き合う環境」を、家族が一丸となって整えたのです。

また、2学年下の弟岩下愛育(あいすけ)選手

現在は明治大学でプレーするシューティングガードです。

やはり福岡大学附属大濠高校の出身で、3年生のウインターカップでは準優勝に貢献しました。

岩下准平のプレースタイル

岩下准平選手の最大の武器は、高精度のシュート力冷静なゲームメイクです。

ピック&ロールからの判断力、勝負所で沈める3ポイント、どちらも大学トップレベルといわれています。

また、ガードながらリバウンドも取ることができ、大学3年時のインカレでは、17得点11リバウンドのダブルダブルも記録していました。

まさに、世代を代表するポイントガードですね。

岩下准平のまとめ

岩下准平選手は、才能だけで語れる選手ではありません。

努力、覚悟、そして家族の支え。

すべてを背負って、今も走り続けています。

筑波大学で磨かれた司令塔としての力。

次に待つのは、プロの舞台です。

これからも、岩下准平選の一歩一歩から目が離せません!