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秋利雄佑(三菱重工名古屋→ヤマハ)ドラフト候補の経歴!中学高校大学は?

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三菱重工名古屋の大型ショート・秋利雄佑選手。
※2021年からヤマハに移籍

高校卒業後、一度は日本の大学に進学しますが、3ヶ月で中退。

その後渡米し、アメリカの大学で野球を続けました。

その活躍はめざましく、メジャーリーグのドラフト候補に名前が挙げられるほどでした。

大学卒業後は日本に帰国し、三菱重工名古屋で野球を続けています。


名前:秋利雄佑(あきとし ゆうすけ)
生年月日:1992年7月31日
出身:福岡県行橋市
身長:182cm
体重:85kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:内野手
血液型:A
家族:両親と姉
経歴:豊中市立桜塚小学校→豊中市立第三中学校→常葉学園菊川高校→スカジット・バリー短大→カリフォルニア州立大ノースリッジ校→三菱重工名古屋→ヤマハ

福岡県行橋市で生まれた秋利選手は、1歳の時に大阪府豊中市に引っ越しをします。
そこで友達の誘われたことがきっかけで、小学1年生から野球を始めました。

中学時代は、「宝塚ボーイズ」に所属。

高校は、静岡県にある常葉学園菊川高校に進学します。

2年秋からセカンドでレギュラーを獲得。

3年夏の静岡県大会では、決勝まで進みますが、常葉橘高校に敗れ、甲子園出場はなりませんでした。

○中退&渡米
高校卒業後は、愛知学院大学に進学します。

しかし、「もっと上のレベルで野球をやりたい」という思いが日に日に強くなり、3ヶ月で中退

他大学への編入などを検討する中、母親が見つけてくれたというアスリートブランド社の記事を見て、海外留学を決意しました。

※アスリートブランド社というのは、野球をはじめ、サッカーやテニスなどの海外留学をサポートしている会社です。

プレーヤーだけではなく、トレーナーやコーチを目指す人のサポートもしています。

中退から1年後に渡米。

最初は、ワシントン州にあるスカジット・バリー短大で2年間プレーしました。

渡米直後は言葉の壁に苦しみますが、野球を通じて覚えていきます。

野球では、高校時代にみっちり鍛えた守備でアピール。

大学から挑戦したショートのポジションで、アメリカでもレギュラーの座を掴みました。

1年目は、打率2割台とバッティングに苦しみますが、アメリカ式のトレーニングでパワーアップを果たすと、2年目には、打率3割6分2厘を記録するまでに成長しました。

アメリカ大学球界でも評価され、2年目には、アメリカ大学野球の名門・カリフォルニア州立大学ノースリッジから編入のオファーを受けます。

スカジット・バリー短大を卒業後、全額奨学金を受けて、カリフォルニア州立大学ノースリッジに編入しました。

〇カリフォルニア州立大学ノースリッジ
カリフォルニア州立大学ノースリッジでは、2年連続で全試合スタメン、打線も上位(1~5番)で起用され、活躍します。

2015年と2016年には、メジャーリーグのドラフト候補に名前が挙げられました。

秋利選手はアメリカ留学について
「アメリカでプレーするなんて想像もしていなかったけど、やれている自分がいますし、日本では絶対に経験できないことをたくさん経験させてもらっています。打撃、守備、またメンタルにしても、日々、学ぶことばかりです。変な話ですが、いま、すぐに野球をやめさせられたとしても、それすら乗り越えられるぐらいの辛いことを克服してきました。本当にきて良かったと思っています」
と話しています。

アメリカの大学は日本の大学と違い、学業をおろそかにすると、どんなスター選手でも試合に出られないと言います。

言葉や文化の違う異国の地で、学業と野球を両立させた秋利選手は、本当にすばらしいですね。

○帰国
大学卒業後は帰国し、三菱重工名古屋に入社。

主に2番ショートとしてスタメンを張り、都市対抗にも2017年、218年と2年連続で出場を果たしています。

アメリカの大学を経て、日本の社会人チームでプレーしている秋利雄佑選手を、日本のプロ野球チームがドラフトで指名できるようになるのは、2018年からです。

ぜひ、秋利選手にはプロに進んでもらいたいですね。

そして、日本のアマチュア選手に、日本の大学だけではなく、アメリカの大学で野球をすると言う選択肢があるということを広めてほしいと思います。

 

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