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為永皓(横浜)は父もドラフト候補だった?出身中学や進路は?

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横浜高校ドラフト候補為永皓選手

「為永 皓」名前の読み方“ためなが ひかる”

名門校で1年春からベンチ入りをしている強打の内野手です。

2年秋に攻守でチームを引っ張り、日本一に貢献しています。

また為永皓選手お父さんもアマチュア野球界では有名な人物とのこと。

そこで今回は為永皓選手経歴家族について調べてみました

為永皓のプロフィール

名前:為永 皓(ためなが ひかる)
生年月日:2007年10月13日
出身:神奈川県横浜市
身長:173cm
体重:84kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:サード
経歴:横浜市立六つ川西小学校→横浜市立六ッ川中学校→横浜高等学校

為永皓の父・為永聖一

為永皓選手為永聖一さん元高校球児です。

現役時代のポジションは内野手

佐賀商業高校の出身で、同期には新谷博さん(元西武、日本ハム)がいました。

為永聖一さん4番打者として活躍し、3年夏甲子園に出場。

甲子園では3回戦まで進出しています。

高校卒業後は新谷博さんとともに駒澤大学進学しました。

ちなみヤクルトからドラフト2位で指名された新谷博さんが拒否して大学に進学したのは、佐賀商業高校の監督がドラフト前に為永聖一さんと一緒に新谷博さんを駒澤大学に進させると決めていたからだそうです。

為永聖一さんがいなかったら、新谷博さんは高卒でプロ入りしていたかもしれませんね。

新谷 同級生の4番・為永聖一の駒大進学が決まっていたのですが、監督が「新谷も一緒にお願いします」ということで、ドラフト前に進学が決まっていたんです。ただドラフトで強行指名されたので、教員志望というのはお断りの理由でした(笑)。

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大学では為永聖一さん4年時日本代表に選出され、4番打者を任されていました。

大学卒業後はNTT東京に入社。

社会人でもやはり日本代表に選出され、4番打者を任されていました。

おそらく為永聖一さんドラフト候補として注目していたプロのチームもあったのではないでしょうか。

為永皓の小中学時代

為永皓選手小学1年生から平戸イーグルスで野球を始めています。

小学生時代はキャッチャーで、6年時には神奈川県大会優勝に貢献しました。

中学時代は中本牧シニアでプレー。

3年時には主将兼サードのレギュラーを務め、ベイスターズ大会優勝を経験しています。

為永皓の高校時代

横浜高校に進学後は1年春から背番号21ベンチ入り

1年秋神奈川県大会から背番号4関東大会から背番号5を付けています。

2年夏神奈川県大会では決勝で東海大相模高校に4対6で敗れ、甲子園出場はならず。

2年秋公式戦では主に2番・サードで出場し、43打数10安打8打点1本塁打の成績で、神奈川県大会関東大会、明治神宮大会優勝を達成しました。


横浜高校同期のチームメイトにはエースの奥村奥村頼人投手、2年春から主将を務めている阿部葉太選手らがいます。

阿部葉太選手についてはこちらを→阿部葉太(横浜)は主将でドラフト候補!出身中学や身長体重は?

為永皓の進路

為永皓選手はまだ高校卒業後の進路に関しては明らかにされていません。

ちなみに為永皓選手将来の夢プロ野球選手好きな球団横浜DeNAです。

為永皓のまとめ

名門・横浜高校のレギュラーとしてセンバツ出場を決めている為永皓選手

お父さんのなしえなかった甲子園優勝&プロ入りを目指して、活躍を続けていってほしいですね。