野球

吉田礼志(中央学院大)のwiki風経歴!出身中学高校や自己ベストは?

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

中央学院大学駅伝部エース吉田礼志選手

「吉田 礼志」名前の読み方“よしだ れいし”

今年(2023年)の8月には中国・成都で行われたワールドユニバーシティゲームズハーフマラソン日本人トップとなる4位入賞を果たしています。

今回はそんな吉田礼志選手経歴自己ベストなどを調べてみました。

吉田礼志のプロフィール

名前:吉田 礼志(よしだ れいし)
生年月日:2002年6月19日
出身:千葉県
身長:168.8cm
体重:50.4kg
経歴:袖ケ浦市立蔵波小学校→袖ケ浦市立蔵波中学校→拓殖大学紅陵高等学校→中央学院大学

吉田礼志の小中学時代

吉田礼志選手は中学までは野球部に所属し、外野を守っていました。

中学2年生の頃から急に長距離走のタイムが伸びたため、駅伝の選手に選ばれ大会にも出場しています。

しかし、特に目立った成績を収めたことはなかったそうです。

吉田礼志の高校時代

高校でも野球を続けるつもりでしたが、第一志望の公立高校に進めず、私立拓大紅陵高校進学することになりました。

拓大紅陵高校甲子園出場経験もある強豪だったため、高校では他のスポーツをしようと陸上を始めたそうです。

中学時代は野球部に所属し、外野を守っていた。公立高校に進んでいたら野球を続けるつもりだったが、私立の拓大紅陵高校に進学することになり「野球は下手なので」と陸上を始めた。

中央学院大・吉田礼志が学生ハーフ2位

高校時代には全国大会への出場はありませんでしたが、3年時関東高校駅伝大会に出場。

チームは総合22位に沈んだものの、吉田礼志選手1区区間賞を獲得しています。

吉田礼志の大学時代

高校卒業後は中央学院大学進学

1年生8月の夏合宿の初日に肺気胸を発症し、約1カ月間入院生活を経験しています。

しかし、そこから驚異の回復力を見せ、大学三大駅伝の一つ全日本大学駅伝にも1年生から出場。

全日本大学駅伝では4区で出走し、区間10位の走りで、チームの総合11位に貢献しました。

箱根駅伝にも1年生から出場し、エース区間である2区を任されています。

この時は区間18位で、チームは総合16位でした。



2年時には全日本大学駅伝の2区を走り、区間5位(チームは総合13位)。

箱根駅伝には予選会を突破できずに出場できませんでした。


3年生6月全日本大学駅伝関東選考会では体調不良で、フラフラになってトラックの内側に入ってしまい失格

そのため、チームは11年連続全日本大学駅伝出場を逃してしまい悔しい想いをしました。


8月には日本代表として中国・成都で行われたワールドユニバーシティゲームズハーフマラソンに出場。

日本人トップとなる4位入賞を果たすとともに、団体でも銅メダルを獲得しています。

吉田礼志の自己ベスト

5000m:13分45秒39
10000m:27分58秒60
ハーフマラソン:1時間00分31秒

吉田礼志のまとめ

吉田礼志選手ライバル視しているのは駒澤大学篠原倖太朗選手です。

篠原選手吉田礼志選手と同じ千葉県出身同学年ということもあり、高校時代から鎬を削ってきています。

ともに日本代表として臨んだワールドユニバーシティゲームズハーフマラソンでは、吉田礼志選手4位で、篠原選手6位でした。

これからも2人で切磋琢磨して、記録を伸ばしていってほしいですね!