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花田勝彦監督(早稲田大駅伝部)の結婚した嫁や子は?出身高校大学は?

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早稲田大学競走部駅伝花田勝彦監督

現役時代から早稲田大学ヱスビー食品で活躍し、名ランナーとして注目されていました。

オリンピックにも2度出場されていますね。

指導者としても上武大学駅伝部GMOアスリーツ監督を歴任。

今年の6月からは母校監督に就任し、強豪、復活に力を注いでいます。

花田勝彦のプロフィール

名前:花田 勝彦(はなだ かつひこ)
生年月日:1971年6月12日
出身:京都府京都市
身長:175cm
選手歴:近江八幡市立西中学校→滋賀県立彦根東高校→早稲田大学→ヱスビー食品
指導者歴:上武大学→GMOアスリーツ→早稲田大学

花田勝彦の現役時代

小中学校時代

京都府京都市で生まれた花田勝彦監督は、5歳から滋賀県近江八幡市に引っ越しています。

幼少時にはプロ野球選手を目指して、野球をされていましたが、
中学1年生の時にヒジを痛めたことをきっかけに、陸上を始めました。

元々、花田勝彦監督小学3年生の時から学年別マラソン大会でずっと優勝するほど足が速かったそうです。

高校時代

中学卒業後は、進学校滋賀県立彦根東高校進学

高校では専門の指導者がいない中、部員たちだけで話し合いながら練習に取り組んでいました。

2年時の国体では1500メートル6位
3年時インターハイでは1500メートル5位などの好成績を残しています。

大学時代

早稲田大学に進学後は、1年生から主力として活躍!

同期には武井隆次さん、櫛部静二さん(現・城西大監督)がおり、“早大三羽烏”と呼ばれていました。

櫛部静二監督についてはこちらを↓
櫛部静二監督(城西大)の結婚した嫁は?早大時代のブレーキの原因は?


箱根駅伝にも1年生から4年連続で出場しています。

3年時箱根駅伝では4区で出走すると、区間新記録区間賞を獲得し、7年ぶりの往路優勝8年ぶりの総合優勝に貢献しました。

実業団時代

大学卒業後は、ヱスビー食品に入社。

日本代表として、
1996年アトランタオリンピックでは10000m
2000年シドニーオリンピックでは5000m10000m
と、2度オリンピック出場を果たしています。

シドニーオリンピック以降は、ケガの影響もあり目立った活躍はなく、2004年に現役を引退しました。

花田勝彦の指導者時代

花田勝彦監督は現役時代から上武大学陸上部のマネージャーに頼まれメールでアドバイスしていたことが縁で、2004年4月から上武大学駅伝部監督に就任しました。

上武大学駅伝部は創部されたばかりで、なかなか有望な選手がスカウトできないという状態でしたが、2009年には箱根駅伝初出場を達成!

そこから、退任まで8年連続箱根駅伝出場を果たし、指導者としても高い評価を受けています。

2016年4月からはIT大手のGMOインターネットが創設したGMOアスリーツ初代監督に就任。

GMOアスリーツでは、駅伝参入初年度の2020年全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)5位入賞に導いています。

そして、2022年6月からは母校・早稲田大学競走部駅伝監督に就任しました。

花田勝彦の結婚した嫁と子ども

花田勝彦監督はすでに結婚されています。

奥さんについては一般人のため詳しいことはわかっていません。

お子さん2021年10月の時点で、小学5年生になる娘さんがいることがわかっています。

花田勝彦監督noteをされていて、それには娘さんとのほほえましいやり取りが綴られていました。

長女(小5)が家庭学習で使っている通信教育用タブレットには、メールの機能がついている。
解答の結果や、時には長女が私たち(私と妻)宛に書いたイラストメッセージが届いたりする。
私はまめにメールをチェックして、返事も書くようにしている。それが長女の励みになればいいし、どんな形であれ長女とつながっていることが嬉しいからだ。

かたもみけん

花田勝彦のまとめ

箱根駅伝では13回の優勝を誇る早稲田大学ですが、前回大会ではシード落ちするなど、近年は結果を残せていません。

花田勝彦監督がどのような指導で、チームの立て直しをされるのか、とても楽しみですね!