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我喜屋優監督(興南)の名言や現役時代がすごい!嫁や娘は?教え子は?

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興南高校野球部我喜屋優監督

今年(2022)年で72歳になる大ベテラン監督です。

興南高校では校長理事長も兼任されています。

2010年には沖縄県勢初甲子園春夏連覇を達成!

教え子にもプロ野球選手がたくさんいますね。

今回はそんな我喜屋優監督経歴妻子名言などについて調べてみました。

我喜屋優のプロフィール

名前:我喜屋 優(がきや まさる)
生年月日:1950年6月23日
出身:沖縄県島尻郡玉城村(現・南城市)
経歴:興南高校→大昭和製紙→大昭和北海道

我喜屋優の現役時代

我喜屋優監督9人兄弟の8番目として、沖縄県に生まれました。

現役時代のポジションは外野手

興南高校3年時には主将を務め、甲子園に出場しています。

当時はまだ沖縄県が本土に復帰する前で、甲子園に行くにはパスポートドルから円への両替が必要な時代でした。

甲子園では「興南旋風」と呼ばれる活躍を見せ、沖縄県勢初ベスト4入りを果たしています。


高校卒業後は静岡にある大昭和製紙入社

入社4年目には北海道白老町大昭和製紙北海道へ移籍しています。

1974年都市対抗野球では、5番・センターとして北海道勢初日本一に貢献しました。

我喜屋優の指導者時代

現役引退後は、大昭和北海道および後身のクラブチーム・ヴィガしらおい監督を歴任。

2007年から沖縄に戻り、興南高校野球部監督に就任します。

2010年には春のセンバツと、夏の選手権大会で優勝に導き、
沖縄県勢初の夏の甲子園優勝とともに史上6校目の春夏制覇を同時に達成しました。

我喜屋優の嫁と娘

我喜屋優監督結婚されています。

奥さんの名前は万里(まり)さんです。

万里さんは北海道出身とのことですから、おそらく我喜屋優監督北海道にいた頃に知り合い、結婚されたものと思われます。

2人の間には娘が2人いて、名前は里(のり)さんと尚(なお)さんです。

2人とも一般人のため、詳しい経歴などはわかっていませんが、
長女の里さんは興南高校野球部アドバイザー役をされているようです。

我喜屋優の名言

我喜屋優監督はこれまで多くの名言を残しています。

・小さな積み重ねをおろそかにする者に、大きな仕事はできない。

・逆境は宝だ。逆境の中に将来の宝物がいっぱい落ちている。野球は9回までだが人生は続く。人生のスコアボードで勝たなければいけない。

・逆境は友達になったほうがいい。逃げたら追いかけてくる。

・野球は改革。古いものは捨てる。

・自分で計画を立て、実行し、結果から学ぶことが大切。試合で打席やマウンドに立つのはあなただから。

野球以外にも通用しそうな言葉がいっぱいですね!

我喜屋優の主な教え子

島袋洋奨

投手。2014年福岡ソフトバンクホークスドラフト5位。
現・興南高校野球部コーチ。次期監督?

大城滉二

内野手兼外野手。2015年オリックス・バファローズドラフト3位。

高良一輝

投手。2016年北海道日本ハムファイターズドラフト3位。

宮城大弥

投手。2019年オリックス・バファローズドラフト1位

我喜屋優のまとめ

2022年沖縄が本土に復帰して、50年目にあたる特別な年です。

そんな年に我喜屋優監督率いる興南高校甲子園に出場するのは運命的なものを感じます。

甲子園では12年ぶりの優勝を目指して、再び興南旋風を巻き起こしてほしいですね!