八戸学院光星のドラフト候補・洗平歩人投手。
「洗平歩人」の名前の読み方は“あらいだい あると”
元プロ野球選手の父を持つ本格派のピッチャーです。
中学時代には日本一も経験!
高校進学後は1年生から主力として活躍を続けています。
悲運の父に誓う甲子園 光星・洗平歩人投手 https://t.co/qxpS9tjMck pic.twitter.com/AlzXyUVRqz
— 東奥日報(青森) (@toonippo) May 25, 2020
〜もくじ〜
洗平歩人(あると)のプロフィール
名前:洗平 歩人(あらいだい あると)
出身:千葉県
身長:180cm
体重:72kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:ピッチャー
経歴:船橋市立御滝中学校→八戸学院光星
洗平歩人(あると)の父・洗平竜也
洗平歩人投手の父・洗平竜也さんは元プロ野球選手です。
息子の洗平歩人投手は右投げですが、父・洗平竜也さんは左のサイドスローでした。
八戸学院光星のOBで、高校時代は1年生からエースとして活躍!
夏の青森県大会では3年連続で決勝まで進出しましたが、いずれも決勝で敗れ、“悲運のエース”と呼ばれていました。
青森、八戸学院光星がまだ光星学院で甲子園に出る前に3年連続決勝で敗退というのがありました。
— ねこそぎくん。 (@nekosogi1091) January 26, 2022
その時のエース(確か1年からだったような)の洗平投手が凄く印象に残ってます。
もっとじっくりと甲子園で見たかった投手の一人です。
高校卒業後は東北福祉大学を経て、当時存在していた逆指名制度を通じて中日ドラゴンズへドラフト2位で入団しています。
プロではイップスによる制球難に苦しみ、一度も一軍の試合に出場できないまま、2003年に引退。
引退後は社会人野球の東海REXでプレーし、2007年に現役引退しました。
洗平歩人(あると)の弟・洗平比呂
洗平歩人投手は3人兄弟の長男です。
2学年下の弟・洗平比呂さんも野球をされていて、ポジションはピッチャーです。
弟の比呂さんは父と同じ左投げですね。
小学6年時には千葉ロッテマリーンズジュニアに選出されたほどの実力で、佐倉シニア時代にはエースとして全国大会にも出場!
父は元中日左腕!10人8Kの圧巻投球も見せた名門・佐倉シニアの左のエースに注目!
— 高校野球ドットコム (@5589com) March 13, 2022
選手名鑑はこちら🔻https://t.co/M3ryAqRSxJ#洗平比呂 #佐倉シニア #中学野球 pic.twitter.com/opeZitvq1a
今年(2022年)からは兄のいる八戸学院光星に進学しています。
一部では兄以上の才能の持ち主と言われており、こちらも今後が楽しみです。
洗平歩人(あると)の小中学時代
洗平歩人投手は小学生から二和タイガースで野球を始めました。
中学時代は名門・佐倉シニアに所属。
最速138km/hのストレートを武器に中学3年春のリトルシニア全国選抜野球大会では日本一を達成しています。
洗平歩人(あると)の高校時代
中学卒業後は
「小学校の頃から、父と同じユニホームを着て甲子園に行きたい、活躍したいという気持ちがあった」
と青森県にある八戸学院光星に進学します。
高校では1年春からベンチ入り。
八戸学院光星1年投手の洗平歩人、主力組デビューで2回3安打2失点…父はOBで元中日投手の竜也さん https://t.co/XTgLtuFkHn pic.twitter.com/kRoePwTH7x
— 高校野球ニュース (@Kokoyakyu_News) June 1, 2020
1年夏の青森県独自大会は準優勝、
2年夏の青森県大会は準々決勝で優勝した弘前学院聖愛に6対7で敗退。
2年秋の新チームからはエースでキャプテンも務めます。
2年秋の青森県大会は準々決勝で優勝した青森山田に0対1で敗退。
洗平歩人(あると)のプレースタイル
洗平歩人投手はプロ注目の右のスリークォーターのピッチャーです。
ストレートの最速は140km/h。
変化球はスライダーなど。
試合終了。
— ダル君 (@mukaikomagi) August 7, 2021
洗平投手140㌔計測! pic.twitter.com/phQhiNMduZ
洗平歩人(あると)の進路
洗平歩人投手はまだ高校卒業の進路については明らかにされていません。
高卒即プロというよりも大学や社会人経由でプロ入りしそうなタイプではないでしょうか。
根拠はありませんが、父の母校である東北福祉大学に進学しそうな気がしますね。
洗平歩人(あると)のまとめ
甲子園出場を目標に八戸学院光星に進学した洗平歩人投手ですが、まだ達成できていません。
父のためにも高校最後の夏は何とか青森県大会を制して、甲子園出場を果たしてほしいですね!