神戸国際大附属野球部の青木尚龍監督。
「青木尚龍」の名前の読み方は“あおき よしろう”
就任して30年以上になるベテラン監督です。
その間、甲子園には、春5回、夏3回出場。※2021夏時点
教え子にもプロ野球選手がたくさんいます。
今回はそんな青木尚龍監督のプロフィールや韓国人であるという噂についてまとめてみました。
神戸国際大付⚾青木尚龍監督 pic.twitter.com/Xb2Msho7G5
— メロディー@ (@sbglassmo) March 26, 2017
〜もくじ〜
青木尚龍(よしろう)のプロフィール
名前:青木 尚龍(あおき よしろう)
生年月日:1964年9月18日
出身:神戸市長田区
経歴:八代学院高校(現・神戸国際大附属高校)→愛知工業大学
青木尚龍(よしろう)は在日韓国人なの?
青木尚龍監督について調べてみると「青木尚龍 韓国」で検索している人が多いことがわかります。
青木尚龍監督は在日韓国人なのかな?と思って、私も調べてみましたが、特に在日韓国人であるという確証は得られませんでした。
おそらく、青木尚龍監督が生まれ育った神戸市長田区が在日韓国人の多い土地柄であるため、そう思われる方が多いのではないでしょうか?
また、「青木」という名字が在日の方に多く使われている通名だからというのもあるかもしれませんね。
一部では在日の方を毛嫌いする人もいますが、プロ野球選手にも在日の方はたくさんいますし、彼らの日本の野球界への貢献には大きいものがあります。
たとえ、青木尚龍監督が在日だとしても、感謝こそすれ、特に問題視するものではないですね!
青木尚龍(よしろう)の現役時代
青木尚龍監督は小学3年生から、地元の少年野球チームで野球を始めました。
高校時代は八代学院(現・神戸国際大附属高校)でプレー。
当時の八代学院はあまり強くなく、3年夏は1番・センターを務めましたが甲子園出場はなりませんでした。
高校卒業後は愛知工業大学に進学。
大学では2年秋からベンチ入り。
愛知工業大学の同期のチームメイトには”トレンディエース”と呼ばれた西崎幸広投手(元・日本ハム)がおり、3年秋には明治神宮大会準優勝を経験。
さらに4年次には副キャプテンを務め、1986年の明治神宮大会では日本一を達成しています。
青木尚龍監督率いる神戸国際大付が1回戦で北海を2-1で下した。北海にはセンバツ開幕戦に続く春夏連続1点差勝利。監督の采配が冴えた。
— 社会人野球のミカタ📰 (@shakaijin_base) August 15, 2021
青木監督は八代学院高(現神戸国際大付高)出身。愛知工大では”トレンディエース”西崎幸広(日本ハムほか)と同期で、1986年明治神宮大会で日本一になっている。
青木尚龍(よしろう)の指導者時代
青木尚龍監督は1989年から母校でコーチ、翌年8月には25歳で監督に就任しました。
最初はグラウンドづくりと生徒指導からのスタートででしたが、1992年に現校名となったころから、野球部は徐々に力をつけていきます。
そんな最中、1995年には阪神・淡路大震災を被災。
青木尚龍監督の神戸市長田区の自宅は半壊し、親が住んでいた実家は全壊されたそうです。
2001年春には2年生エースの坂口智隆選手(現・ヤクルト)を擁して、甲子園初出場を達成!
さらに、2005年に2度目のセンバツ出場を果たすと、ベスト4まで勝ち進みました。
夏の甲子園には2014年に初出場。
以後、2021年8月の時点で甲子園には、春5回、夏3回出場しています。
#高校野球 神戸国際2-1で勝っておめでとうございます!青木監督さんこの笑み良いですね! pic.twitter.com/fSO31SDtdY
— yuki (@koruku361) August 15, 2021
青木尚龍(よしろう)の教え子
坂口 智隆(さかぐち ともたか)
外野手兼内野手。2002年近鉄ドラフト1巡目。
塩川 達也(しおかわ たつや)
内野手。2004年東北楽天ドラフト5巡目
大西 正樹(おおにし まさき)
投手。2005年ソフトバンク高校生ドラフト3巡目。
山本 徹矢(やまもと てつや)
投手。2008年ロッテドラフト5位
岡本 健(おかもと けん)
投手。2013年ソフトバンクドラフト3位。
石岡 諒太(いしおか りょうた)
内野手兼外野手。2015年中日ドラフト6位。
宗接 唯人(むねつぐ ゆいと)
捕手。2016年ロッテドラフト7位。
蔵本 治孝(くらもと はるたか)
投手。2017年ヤクルトドラフト3位。
小深田 大翔(こぶかた ひろと)
内野手。2019年東北楽天ドラフト1位。
平内 龍太(へいない りゅうた)
投手。2020年巨人ドラフト1位。
青木尚龍(よしろう)のまとめ
神戸国際大学附属の甲子園での最高成績は2005年春のベスト4です。
青木尚龍監督がいる間に、その成績を超えて、一度は日本一を達成してほしいですね!