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吉崎琢朗(上田西野球部監督)の経歴は?兄がすごい!指導教科や佐久長聖時代は?

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センバツ初出場を決めた上田西野球部吉崎琢朗監督。

普段は学校では国語を教えている1982年生まれ若い監督です。

2019年冬に原公彦前監督(現・総監督)から野球部を引き継ぐと、就任1年目でチームを初のセンバツ出場に導きました。

吉崎琢朗のプロフィール

名前:吉崎 琢朗(よしざき たくろう)
生年月日:1982年12月5日
出身:長野県上田市
趣味:料理、得意料理はギョーザ
選手歴:上田市立第三中学校→佐久長聖高校→大東文化大学→一光
指導歴:大東文化大学→上田西高校

吉崎琢朗の現役時代

中学時代吉崎琢朗監督上田シニアに所属。

卒業後は佐久長聖高校進学し、4番・エースとして活躍!

3年夏長野県大会準々決勝敗退で、甲子園出場はなりませんでした。

その後、大東文化大学社会人野球一光(名古屋市)では外野手としてプレー。

吉崎琢朗の指導者時代

現役引退後はスポーツ用品メーカーに勤務。

退職後に母校・大東文化大学コーチを務めながら、通信教育で国語科の教員免許を取得しました。

2013年に原公彦前監督の誘いを受け、上田西高校コーチに就きます。

原前監督は、吉崎琢朗監督佐久長聖にいた頃、同校野球部の顧問をされていました。

その時には選手寮で勉強も教えており、勉強も頑張っていた吉崎琢朗監督が印象に残っていたそうです。

後を継いだ吉崎監督は、自身が佐久長聖の顧問として午後10~11時に選手寮で開催される学習会の指導をしていた時の教え子。練習で疲れて居眠りする部員も多くいた中、「吉崎は全く寝ないで頑張っていた」と振り返る。

YAHOO!JAPANニュース

吉崎琢朗監督は原前監督の下で、コーチとして2013年夏2015年夏2度、甲子園出場を経験。

2019年12月に原前監督の後を受け、監督に就任にしました。

監督に就任後は、2020年秋長野県大会準優勝。

続く北信越大会でも準優勝を果たし、初となるセンバツ出場を達成しています。

吉崎琢朗の兄・吉崎正嗣

吉崎琢朗監督トレーナーとして支えているのが、お兄さんの吉崎正嗣さんです。

吉崎正嗣さんは上田市立第三中学上田高校サッカーをされていました。

体育の教員を目指して進学した中京大体育学部に在学中、
「スポーツを仕事にするなら超一流の選手と働きたい」
と思い、トレーナーに必要な国家資格を取得。

卒業後は鹿島アントラーズ東京ヴェルディなどのJリーグクラブで経験を積みます。

そして、2013年からはドイツの移住し、内田篤人選手や川島永嗣選手たちの施術を担当されていました。

2013年にドイツ・デュッセルドルフへ。きっかけは当時ドイツ1部リーグのクラブに在籍し、現在は鹿島でプレーするDF内田篤人選手(30)だ。けががちの内田選手は、現地に相談できる日本のトレーナーがいなかった。そこで、吉崎さんが所属していたスポーツマッサージなどを事業とする日本の会社が、ドイツ支社というかたちでデュッセルドルフに治療院を開設。吉崎さんがドイツに渡り、内田選手のサポートを引き受けた。


吉崎正嗣さんは上田西高校でも海外で学んだことを惜しみなく発揮。

大リーグなどでも取り入れられている「PRI呼吸法」を取り入れた「マサトレ」を考案し、選手たちのフィジカルアップにつなげています。

こんな世界レベルのトレーナーの指導を受けられるなんて、上田西高校の選手たちがちょっとうらやましいですね。 

「PRI呼吸法」とは、横隔膜を十分に使った呼吸法のことです。

横隔膜に刺激を与え、ストレングストレーニングと組み合わせると強度が格段に上がるといいます。

また、副交感神経を優位にすることで緊張が和らぎ、緊迫した場面で体が硬くならないようにする効果もあるそうです。

「PRI呼吸法」のトレーニングについてはこちらの本がお勧めです。↓

吉崎琢朗のまとめ

吉崎琢朗監督は、2021年のセンバツ出場校の中で1位のチーム打率を誇る強力打線を作り上げ、甲子園に臨みます。

主将の柳澤樹選手や笹原操希選手などプロ注目の選手もいますし、センバツでの躍進が期待されます!

上田西野球部についてはこちらを→上田西野球部の2021メンバー!出身中学や監督は?ドラフト注目選手は?