早実、早大で活躍した前JX-ENEOSの内田聖人投手が、アメリカ独立リーグ・キャナムリーグのニュージャージー・ジャッカルズと契約!
内田投手は早稲田実業時代には“斎藤佑樹2世”とも呼ばれ、プロからも注目されていたピッチャーです。
一時は、肘を故障した影響で、野球を辞め、社業の天然ガスの営業マンに専念していましたが、野球への想いを捨てきれず、リハビリ、トレーニングを続けていました。
そして、今年の2月に単身渡米し、アメリカ独立リーグのトライアウトを受け、見事、契約を勝ち取っています。
プロフィール
名前:内田 聖人(うちだ きよひと)
生年月日:1994年3月1日
出身:静岡県伊東市
身長:178cm
体重:78kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ピッチャー
経歴:伊東市立対島中学校→早稲田実業→早稲田大学→JX-ENEOS
小中学生時代
兄の影響で小学1年生から野球を始めました。
中学時代は『伊東シニア』でプレー。
中学3年夏にはシニア日本代表に選出され、松本剛選手(現・日本ハム)らとともに全米選手権に出場しました。
斎藤佑樹投手に憧れ、早稲田実業に進学
中学1年生の時に、斎藤佑樹投手が夏の甲子園で優勝したのを見て、
「こんな強いチームなのか。斎藤さん、カッコイイな」
と憧れを持ったことがきっかけで、中学卒業後は、早稲田実業に進学します。
高校では1年春からベンチ入り。
2年夏には西東京都大会を制して、甲子園に出場しています。
甲子園では中京大中京戦でリリーフとして、1イニングだけですが、甲子園のマウンドを経験しました。
3年夏の西東京都大会では、エースとして奮闘し、決勝まで進出しています。
決勝では、その年日本一になった日大三高校と対戦。
高山俊選手(現・阪神)、横尾俊建選手(現・日本ハム)らのいた強力打線を5安打2失点に抑えましたが、1対2で惜しくも敗れました。
大学・社会人時代
高校卒業後は、4年後のプロ入りを目指して、早稲田大学に進学しています。
大学では1年春からリリーフとしてリーグ戦に登板。
しかし、3年生以降は右肘を痛めた影響で、満足できるような成績を残せませんでした。
大学卒業後は、社会人野球の名門・JX-ENEOSに進みますが、肘は回復せず、2年で戦力外に。
それでも野球への想いは衰えず、仕事をこなしながら、空き地に自費で購入した移動式ネットを置き、たった1人で投げ込むなどのトレーニングを続けていました。
そして、戦力外から約1年後の今年2月に、アメリカでトライアウトに挑戦し、見事、合格!
会社を辞め、2Aクラスの独立リーグ・キャナムリーグのニュージャージー・ジャッカルズと契約を結びました。
プレースタイル
最速150km/hを投げていた本格派のピッチャーです。
また、スライダー、カーブ、カットボール、チェンジアップ、フォークなど、多彩な変化球を投げることができます。
大学では主にリリーフとして活躍していました。
遠投110m、50m6秒3。
まとめ
一流企業を辞めて、メジャーに挑戦するなんて、誰にでもできることではありませんよね。
ここからメジャリーグまでの道のりは、まだまだ険しいと思いますが、注目して、応援を続けていきたいと思います。