千葉県の名門・習志野高校野球部の小林徹監督。
2019年のセンバツでは「サイン盗み疑惑」でも有名になりましたね。
本当にサイン盗みをやっていたかどうかはわかりませんが、小林監督は“千葉県と言えば小林徹”と言われるほどの実績のある監督です。
今回は、そんな小林監督に経歴や指導方針、家族について調べてみました。
プロフィール
名前:小林 徹(こばやし とおる)
生年月日:1962年4月29日
出身:千葉県習志野市
経歴:習志野市立第三中学校→習志野高校→青山学院大学
現役時代
習志野高校出身です。
現役時代、ポジションはピッチャーでした。
3年生の夏にエースとして甲子園に出場しています。
また、バッティングも得意で4番を任されるほどの強打者でもありました。
高校卒業後は青山学院大学に進学。
1年の秋からピッチャーとして活躍していました。
監督時代
大学卒業後、千葉県の高校教諭となり、市立船橋高校に赴任します。
そして野球部のコーチを経て、1991年に野球部監督に就任しました。
すると、早くも2年後の1993年には、春夏と連続で甲子園に出場をしています。
さらに1995・96・97年には、3年連続夏の甲子園出場を果たしました!
激戦区の千葉県で、しかも公立高校で3年連続優勝と言うのは、かなりすごいことですね!
その後、2001年秋にも千葉県を制しましたが、その年度いっぱいで松戸南へ異動となります。
松戸南には計5年間在籍し、最初の3年間はバレー部顧問を務めていました。
最後の2年間は野球部の部長を務めましたが、若い監督の邪魔になるのを避け、野球部の練習には一切顔を出しませんでした。
小林監督は野球の監督というのにあまり執着がないそうで、
「野球の現場から離れて悶々とするのかと思っていたら、案外そうでもありませんでした」
と当時を振り返って、インタビューで答えていらっしゃいます。
2008年の春に母校の習志野高校の監督に就任します。
1年後には春のセンバツに出場!
その後も2009年春、2011年夏、2019年春と母校を甲子園出場に導きました。
市立船橋高校の時もそうですが、結果を出すのが早いですね。
早すぎると言ってもいいくらいです。
よほどすごい指導をされているのでしょうか?
指導方針
指導において一番大切にされていることは
「感性を磨くこと」
だそうです。
選手たちには、常日頃からニュースを見るように言われています。
様々な情報に触れる事で、「感性が磨かれるから」というのが理由です。
例えば、
「雨の日に、雨が降る事を予想して傘を持ってくる子と、情報を入れずに何も持ってこない子では、意識の差はとても大きい」
ということを言っています。
このような指導は、高校時代の恩師・石井博好監督の影響を強く受けているようです。
石井監督は、習志野高校で選手としても、監督としても全国制覇を果たしたこともあります。
また石井監督は、学生時代から小林徹監督の指導者としての素質を見抜いていたようで、高校生の頃から指揮をとらせた事もあったそうです。
小林監督は恩師・石井監督について
「当時から先輩であり、監督であり、雲の上の存在です。いまこうしている筋道をつけてくれたのも石井監督。一番ラッキーだったのは、監督さんの下で野球ができたことです」
と言っています。
家族
小林監督は口数が少ない“取材者泣かせ”な監督でもありますので、なかなか家族について話されることがなく、詳しいことはわかっていません。
ただ結婚されて、息子さんがいることは分かっています。
以前インタビューで
「5歳くらいの時に祖父である自分の父親がグラブを買い与えたんですね。それで近所の公園で近くから『捕ってごらん』と軽くボールを投げたんですけど、2球目に顔にぶつけて泣いたんですよ。それからは無理に野球をやらせませんでしたし、本人も野球に興味を示さなかったので結局野球はやりませんでした」
と語られていました。
サイン盗み疑惑
2019年3月28日に行われたセンバツ高校野球2回戦の星稜高校と試合で、サイン盗みをした疑惑をかけられ、試合終了後に星稜の林和成監督が2度にわたって、小林監督のところに抗議にやってくるという出来事がありました。
星稜・林監督は証拠の映像があると主張していますが、小林監督は疑惑を否定しており、今のところ、本当にサイン盗みをしたのかはわかっていません。
私に真実はわかりませんので、この件に関してコメントをすることは控えさせてもらいますが、ただ、小林監督がこのような形で注目を浴びたことは残念に思います。
できれば、甲子園の優勝監督になったりして、注目されてほしかったです。
公立の古豪を復活させた小林監督の手腕は本物だと思いますので、今後の采配に影響がでないことを祈りたいですね。