春高バレー、そしてインターハイ。
全国の大舞台で「福岡女学院」の名を一気に押し上げた中心人物がいます。
それが、主将でセッターの萩原千尋選手です。
巧みなトスワークと冷静な判断力。
さらにキャプテンとしてチームを束ねる姿が、多くのバレーファンの注目を集めています。
なぜ彼女はここまで成長できたのか。
その答えは、小学生時代から積み重ねてきた経験にありました。
全中3位、インターハイ2位も
— スポーツ応援WEBメディア「西スポWEB OTTO!」 (@nishispo_online) January 3, 2026
「目指すのはそこじゃない」
コンビバレーの担い手、
福岡女学院のセッター萩原千尋が見据える未到の頂点
【 #春高バレー 】
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萩原千尋のプロフィール
名前:萩原 千尋(はぎわら ちひろ)
生年月日:2007年10月3日
出身:宮崎県
身長:170cm
最高到達点:286cm
ポジション:セッター
経歴:宮崎市立高岡小学校→福岡女学院中学校→福岡女学院高等学校
萩原千尋の姉
萩原千尋選手の成長を語るうえで欠かせない存在が、1学年上の姉の萩原菜摘(なつみ)さんです。
菜摘さんもバレーボール経験者で、ポジションはセッター。
萩原千尋選手は小学生時代から、常に姉の背中を追いかけてプレーしていました。
中学・高校でも同じチームでプレーし、全国大会にも出場しています。
萩原千尋の小学中学時代
萩原千尋選手は宮崎市立高岡小学校の出身です。
元バレーボール日本代表の木村沙織さんに憧れ、小学校1年生から宮崎県西都市の「都於郡(とのこおり)スポーツ少年団」でバレーボールを始めています。
当時はセッターではなく、アタッカー。
思い切りの良いスパイクが武器だったそうです。
その後、中高一貫校である福岡女学院中に進学。
ここで、競技人生の大きな転機を迎えます。
ポジションはセッターへ。
視野の広さと判断力が評価され、司令塔を任されました。
中学3年時には、全国中学校大会(全中)で3位入賞。
福岡県選抜として出場した全国都道府県対抗中学大会でも3位に輝いています。
全国レベルを肌で感じたこの経験が、後の成長につながっていきました。
萩原千尋の高校時代
福岡女学院高校に進学後、萩原千尋選手は一気に頭角を現します。
1年生ながらインターハイと春高バレーに出場。
全国大会の空気を早くから知ることができました。
しかし、順風満帆ではありません。
1年時のインターハイでは、キャッチやダブルコンタクトを取られ苦しんだ場面もあります。
それでも逃げませんでした。
トスのフォームを見直し、体全体を使ったセットを徹底的に磨き上げます。
その努力が実を結んだのが3年生のシーズン。
主将に就任し、チームの中心として君臨しました。
九州大会では初優勝を2度達成。
インターハイでは、強豪校を次々と撃破し、準優勝という歴史的快挙を成し遂げます。
令和7年度皇后杯・JVA全日本バレーボール 選手権大会 九州ブロックラウンド(女子) 2025年09月21日 熊本菊陽町総合体育館 九州ブロック 福岡女学院 3番 萩原選手 pic.twitter.com/1fepl4fxF9
— kiyoe.love (@love_kiyoe) September 27, 2025
萩原千尋のプレースタイル
萩原千尋選手の最大の武器は、配球の幅広さです。
相手ブロックを迷わせるトス回しは、全国トップレベルと言えるでしょう。
また、強気な性格でありながら、周囲の声に耳を傾けられる柔軟さも魅力です。
失敗を成長の糧にできる選手でもあります。
キャプテンとしては、
「勝つのが当たり前」
という意識をチーム全体に浸透させました。
ちなみに名前の「千尋(ちひろ)」には「千人を受け止められるぐらい、心の広い人に」との意味があります。
萩原千尋の進路
高校3年生となり、気になるのが萩原千尋選手の進路です。
全国トップレベルのセッターだけに、注目が集まるのも当然でしょう。
現時点では、大学進学が有力と見られています。
ただし、具体的な大学名までは公表されていません。
インターハイ準優勝、九州大会優勝という実績。
さらに主将としてチームを率いた経験を考えれば、バレーボールの強豪大学から声がかかっていても不思議ではありません。
正式な進路発表があり次第、改めて追記させていただきますね。
萩原千尋のまとめ
福岡女学院高校の躍進の中心には、常に萩原千尋選手の存在がありました。
姉と始めたバレーボール。
全国3位の中学時代。
そして、インターハイ準優勝の高校時代。
すべての経験が、今の司令塔を形作っています。
春高バレーで目指すのは、日本一。
その挑戦から、まだ目が離せません!

