野球

阪上翔也のwiki風経歴!祖父や母は?彼女や出身中学高校は?

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

近畿大学ドラフト候補・阪上翔也選手遠投120mの強肩50m走5秒9の俊足を併せ持つプロ注目の外野手です。

神戸国際大付時代には二刀流として活躍し、3年春夏の2度甲子園に出場していました。

大学では外野手に専念すると、大学4年生の今年は大学日本代表候補に選ばれるほどの活躍を見せています。

今回はそんな阪上翔也選手経歴家族について調べてみました。

阪上翔也のプロフィール

名前:阪上 翔也(さかうえ しょうや)
生年月日:2003年11月1日
出身:兵庫県伊丹市
身長:180cm
体重:85kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:外野手
家族:父、母、姉2人
経歴:伊丹市立瑞穂小学校→紀の川市立打田中学校→神戸国際大学附属高校→近畿大学

阪上翔也の祖父と母

阪上翔也選手お母さんの名前は阪上万季さんです。

阪上万季さんお父さん(阪上翔也選手の祖父)は和歌山県にある中学硬式野球チーム・打田タイガース監督をされていました。

兵庫県伊丹市生まれ阪上翔也選手ですが、中学時代は野球をするために親元を離れ、祖父母と暮らしながら、打田タイガースでプレーしていました。

中学時代には地元の兵庫を離れ、祖父・弘次さんが監督を務めていた「打田タイガース」(現打田ヤングタイガース)で3年間野球づくしの生活を送った。「ご飯をいっぱい食べなさいとか、素振りをしなさいと言われて最初は嫌だった。でも毎日30分の振り込みを続けるうちに、成果が出てうまくなるのが楽しかった」と当時を振り返る。

スポーツ報知

阪上翔也の高校時代

小学1年生から瑞穂チャニーズ軟式野球を始めた阪上翔也選手打田タイガースを経て、高校は神戸国際大附属高校進学しました。

高校では1年春近畿大会からベンチ入り

1年夏兵庫県大会では背番号18を付け、全8試合中2試合7番・ライトスタメン出場

11打数5安打3打点、打率.455の好成績で準優勝に貢献しました。

1年秋からは背番号10番ながら、ライトのレギュラー兼ピッチャーとして活躍。

兵庫県3位&近畿大会初戦敗退を経験します。


翌2年夏
兵庫県独自大会では3年生を出場させるために控えに回りますが、2年秋からは再びレギュラーに。

2年秋の兵庫県大会では背番号8センター兼ピッチャーとして優勝!

続く近畿大会では背番号1を背負い、ベスト8入りを果たしています。


翌3年春センバツでは全2試合先発し3回戦敗退

甲子園には兵庫県大会を制して、3年夏にも出場。

この時は全4試合に登板し、ベスト8まで進出しました。


高校通算33本塁打。

神戸国際大附属高校の同期のチームメイトには現・立教大学主将の西川侑志選手らがいました。

阪上翔也の大学時代

阪上翔也選手は高校時代に右ひじを痛めていたこともあり、近畿大学に進学後は外野手に専念しています。

1年春からベンチ入りすると、2年秋からライトのレギュラーを獲得。

4年春のリーグ戦では主に4番打者として出場し、打点王ベストナインを受賞する活躍で、優勝に貢献しました。

阪上翔也の進路

阪上翔也選手は強いプロ志望を持っている選手です。

ですので、おそらく今秋にはプロ志望届を提出するものと思われます。

ちなみに阪上翔也選手の好きなプロ野球チームは福岡ソフトバンクホークスです。

阪上翔也のスカウト評価

阪神・岡本スカウト
「(犠飛は)きちんとコンタクトして、大振りしなかった。結果を残して能力もあり、楽しみな選手」

阪上翔也の彼女

甲子園でも活躍していた阪上翔也選手は高校時代からとても人気のある選手です。

そのための「阪上翔也 彼女」でよく検索されていますね。

阪上翔也の彼女私も調べてみましたが、残念ながら特に情報は見つかりませんでした。

阪上翔也選手の彼女について何かわかりましたら、改めて追記させていただきます。

阪上翔也のまとめ

阪上翔也選手は人気と実力を兼ね備えた将来有望な外野手です。

家族の支えを受けながら成長してきた彼が、いよいよプロの世界へ羽ばたこうとしています。

これからの進路や活躍に目が離せませんね!