2026年春、関西学生野球の舞台に一人の左腕投手が現れました。

聖地・甲子園で繰り広げられた伝統の「関関戦」で準完全試合を達成し、NPB9球団のスカウトをどよめかせた男──関西大学4年生・米沢友翔(よねざわ・ゆうと)投手です。

能登半島地震による被災、1年近くに及ぶ故障との闘い。

そのすべての困難を乗り越えてつかんだリーグ戦初勝利は、単なる数字以上の重みを持っていました。

今回は今秋ドラフト候補として急浮上した米沢友翔投手の歩みを、じっくりとご紹介します。

米沢友翔のプロフィール

名前:米沢 友翔(よねざわ ゆうと)
生年月日:2004年6月1日
出身:石川県珠洲市
身長:180cm
体重:80kg
投打:左投げ左打ち
ポジション:ピッチャー
経歴:珠洲市立緑丘中学校→金沢高等学校→関西大学

米沢友翔の小中学時代

米沢友翔投手の野球との出会いは小学2年生のとき。

地元宝立サマンズに入団し、最初は外野手としてスタートしています。

小学4年生になると投手もするようになり、6年生ではJBC珠洲に所属。

少しずつピッチャーとしての素地を積み上げていきました。

中学校では珠洲市立緑丘中学校の軟式野球部でプレー、ここで本格的に投手へ転向。

外野手からマウンドへ──この転換が、のちのドラフト候補を生み出す原点となります。

石川の地でこつこつとボールを投げ続けた少年は、やがて高校野球の舞台へと進んでいくのです。

米沢友翔の高校時代

高校は石川県の強豪・金沢高校へ進学。

1年生の秋にはさっそくベンチ入りを果たすなど、入学当初から頭角を現しました。

2年生の夏には石川大会の決勝まで勝ち進み、準優勝という輝かしい成績を残します。

惜しくも甲子園の土は踏めませんでしたが、この経験は米沢友翔投手にとって大きな財産となりました。

2年生の秋からはエースナンバーを背負い、チームの核として躍動。

3年生の夏はベスト16(3回戦)で敗退し、高校野球に幕を下ろしました。

米沢友翔の大学時代

関西大学に進学した米沢友翔投手は、1年生の秋からリーグ戦に登板するなど、早くからその才能の片鱗を見せていました。

ところが、大学2年の夏に転機が訪れます。

肩と肘を同時に痛め、約1年間もマウンドに立てないという苦しいリハビリ期間を余儀なくされたのです。

「みんなが投げている姿を見て、うらやましいなと思ったこともあった」──そう語る孤独な日々。

完全ノースローを貫く中、ひたすら下半身を鍛え続けました。

関大OBのトレーナーに体の使い方を学びながら投球フォームを見直し、この長いリハビリ期間が後の球威アップへとつながっていきます。



ケガの影響でリーグ戦は通算13試合、0勝0敗のまま迎えた4年春。

2026年4月11日、聖地・甲子園で行われた伝統の「関関戦」で、米沢友翔投手はその4年間の集大成を見せます。

初回3者連続空振り三振でスタートを切ると、2回に中前打を1本許したものの直後の打者を遊ゴロ併殺に仕留め、以降は走者を一人も許さない完璧な投球を継続。

最終9回には110球を超えながら自己最速タイの149キロを計測し、球場をどよめかせました。

1安打・無四球・13奪三振・114球の準完全試合で、待望のリーグ戦初勝利を果たしています。

米沢友翔のプレースタイル

米沢友翔投手の最大の武器は、打者の手元で鋭く動くストレートです。

最速149キロのその球は、単に速いだけでなく「空振りが取れる」質の高さが特徴。

変化球はスライダー・カーブ・チェンジアップ・スプリット。

特にスプリットは「決めるところで決められる」と本人も手応えを感じています。

またコントロールが乱れることなく計算できる投球ができるのも大きな強みです。

スタミナ面も申し分なく、114球を投じた9回に最速タイを叩き出したのはその証明です。

米沢友翔の父母

関西大学のエースとして活躍する米沢友翔投手。

その成長の陰には、温かく寄り添い続けた両親の存在がありました。

米沢友翔投手が野球を始めたのは野球経験者である父親の影響からです。

幼少期は実家から離れた珠洲市内の祖父母宅で、巨人戦の中継を見る日々。

家族みんなでプロ野球を応援しながら育ったそうです。

高校や大学へ進むと、親元を離れて大阪での生活が始まりました。

母親は遠く離れた息子を常に心配し、優しく見守り続けます。

大学2年から3年にかけては、肩や肘の故障に苦しむ時期もありました。

約1年半も試合に出られない苦難のなか、両親の存在が心の支えとなります。

そんな親子に最大の試練が訪れたのは、大学1年の冬でした。

2024年の元日、帰省先の珠洲市で能登半島地震が発生。

家族は全員無事だったものの、海側にある祖母の家は津波被害を受けます。

両親や祖父母は約1ヶ月間にわたる避難所生活を余儀なくされました。

地元の大惨事を目の当たりにした米沢友翔投手は苦悩します。

「大阪に戻らず珠洲に残る」と両親に意向を伝えました。

しかし、両親は息子の気持ちを受け止めた上で、強く背中を押します。

「こっちは任せろ。大阪で野球を頑張れ」

自分たちの身を案じるより、息子の夢を優先した両親の一言。

この言葉に突き動かされ、米沢友翔投手は大阪へ戻る決意を固めました。

「結果で恩返ししたい」という思いが苦しい時期を乗り越える原動力に。

そして4年春の全日本大学野球選手権で見事な投球を見せます。

チームを54年ぶりの全国制覇(日本一)へ導き、MVPを獲得しました。

最高の形で果たした両親への恩返し。

絆の強さが手繰り寄せた、見事な日本一の栄冠でした。

米沢友翔のきょうだい

米沢友翔投手は弟と妹を持つ3人兄弟の長男です。

幼い頃から弟妹を引っ張る頼もしいお兄ちゃんとして過ごしてきました。

実はきょうだい全員がスポーツに打ち込むスポーツ一家でもあります。

次男である弟は、大学で準硬式野球部に所属してプレー中です。

兄と同じく野球の道を歩み、互いに切磋琢磨し合っています。

末っ子の妹はテニス部に所属し、日々練習に励んでいる最中です。

種目は違っても、それぞれがスポーツに情熱を注いでいます。

きょうだいたちは、怪我や被災に苦しむ長男の姿も間近で見守ってきました。

「活躍で元気や感動を届けたい」という米沢友翔投手の強い思い。

その原動力の根底には、大好きなきょうだいの存在もありました。

全国制覇とMVPという偉業を成し遂げた頼もしい長男の姿。

活躍し続ける背中は、弟や妹にとっても大きな誇りとなっています。

米沢友翔のスカウト評価

千葉ロッテ・三家スカウト
「ストレートで空振りが取れるのが魅力。ゲームメークもできる。十分、インパクトがあった」

広島・鞘師スカウト
「真っすぐも強いし変化球もいいし、落ちるボールもいい。これが続いたら上位候補になるかなというくらい。すごい良かったからびっくりした」

巨人・岸スカウト
「スライダー、フォークが良い。三振も取れる。これからも注目しておかなければならないピッチャー」

埼玉西武・前田俊郎育成アマチュア担当チーフ
「ピッチングがうまいし、計算できるピッチャー。コントロールが乱れることがないね」

横浜DeNA・八馬アマスカウトグループリーダー
「直球の質、コントロールもいい。変化球の精度もいい」

米沢友翔のまとめ

関大の背番号21といえば、2024年のドラフト1位で中日に入団した金丸夢斗投手を思い浮かべる方も多いはず。

米沢友翔投手は金丸投手から練習メニューを教わったり、食事に連れて行ってもらったりと、その背中を間近で見てきました。

米沢友翔投手は大卒でのプロ入りを志望しており、
「尊敬できる先輩。憧れもあるが、追いつきたい」
と話されていますね。

4年間でやっとつかんだ1勝。

その笑顔の先に、石川・珠洲から上京してきた左腕のプロへの夢が広がっています。

今秋のドラフト会議に向け、米沢友翔投手からますます目が離せません!

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