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エミールプレンサ(幸福の科学)はドラフト注目!父や日本語は話せるの?

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幸福の科学学園ドラフト候補エミール・プレンサ選手。

身長189cm体重105kgの恵まれた体格を持つ二刀流選手です。

お父さん元メジャーリーガーNPBでもプレーしたことがあります。

今回はそんなエミール・プレンサ選手経歴家族について調べてみました。

エミール・プレンサのプロフィール

名前:エミール・セラーノ・プレンサ
生年月日:2007年度生まれ
出身:ドミニカ共和国
身長:189cm
体重:105kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ピッチャー兼外野手
経歴:幸福の科学学園高等学校

エミール・プレンサの父・ドミンゴ・グスマン

エミール・プレンサ選手お父さん元メジャーリーガードミンゴ・グスマンさんです。

正式な名前は「ドミンゴ・グスマン・セラーノ

ドミニカの姓名のシステムがどのようになっているのかわかりませんが、エミール・プレンサ選手の正式な名前は「エミール・セラーノ・プレンサ」ですので、セラーノの部分だけ同じですね。

ピッチャーだったドミンゴ・グスマンさん1999年サンディエゴ・パドレスメジャーデビューを果たしています。

しかし、メジャー定着までには至らず、台湾プロ野球を経て、2002年に日本の横浜ベイスターズに入団。

NPBでは横浜ベイスターズ中日ドラゴンズ東北楽天ゴールデンイーグルス合計7年間プレーし、通算30勝をマークしました。

ピッチャーながら非常に足が速く、中日時代にはサイン無しで盗塁を決行し、何度か成功させています。


エミール・プレンサ選手
ドミニカにいた頃は、主に野手としてプレーし、お父さんからバッティングを教わっていたそうです。

ちなみにお父さんドミンゴ・グスマンさん18打席連続三振という不名誉な世界記録を持っています。

できればピッチングを教えてあげれば良かったのに・・・と思わなくもなくはないですね。

エミール・プレンサの経歴

エミール・プレンサ選手は中学まではドミニカ共和国で過ごしています。

高校進学の際に、父の中日時代の恩師で、幸福の科学学園高校特別コーチを務めている森繁和さんから声を掛けられ、日本への進学を決意しました。

森繁和さん幸福の科学学園高校後藤部長が同じ駒澤大学のOBという縁でコーチを務められています。

幸福の科学学園高校栃木県にある全寮制の学校です。

特別、野球に力を入れているわけではなく、野球部員は3学年合わせても20人弱しかいません。


高校入学後に、エミール・プレンサ選手ピッチャーに本格転向。

2年夏栃木県大会2回戦敗退

2年秋栃木県大会初戦敗退

それでも、エミール・プレンサ選手には複数のNPBスカウトが視察に訪れていました。


幸福の科学学園高校同期のチームメイトには、エミール・プレンサ選手とバッテリーを組むユニオール・ヌニエス選手
2学年下には中日でプレーしたリカルド・ナニータの息子リカルド・ペレス選手らがいます。

エミール・プレンサの球速球種

エミール・プレンサ選手ストレートの最速は145km/hです。

変化球カーブフォーク

また、バッティングも得意で、投げない時も4番・センターとして出場しています。

3年春の時点で高校通算15本塁打

エミール・プレンサの日本語

エミール・プレンサ選手は日本に来るまでは、ほとんど日本語を話すことはできませんでした。

しかし、日常会話には困らなくなるほど、日本語を話せるようになっています。

日本語でのコミュニケーションも大きな支障はない。理解できない単語は翻訳アプリを使って対処するが、私のインタビュー中には1回しか翻訳アプリを起動しなかった。

Sportiva

エミール・プレンサの進路

エミール・プレンサ選手はチームメイトのユニオール・ヌニエス選手とともに、高卒でNPBを目指すことを明らかにされています。

「できれば、日本のプロでも一緒のチームでバッテリーを組みたい」
と話されていますね。

エミール・プレンサのまとめ

エミール・プレンサ選手についてはピッチャーとしてよりバッターとして評価しているスカウトもいるそうです。

高校での実績があまりないため、もしかしたら育成選手としての指名になるかもしれませんが、親子二代でのNPB入りを目指して、活躍を続けていってほしいですね!