引津少年野球クラブの馬原拓海投手。
元プロ野球選手を父に持つ二刀流のピッチャーです。
野球を始めてわずか2年ながら、小学6年生の今年は、3800名の中から16名しか選ばれない福岡ソフトバンクホークスジュニア入りを果たしています。
今回はそんな馬原拓海投手の経歴や家族について調べてみました。
ソフトバンク・馬原ジュニア 父見守る中、同じ背番号「14」で出場 12球団ジュニアトーナメントhttps://t.co/fbI3vTkPWK
— スポーツニッポン新聞社(スポニチ)【公式】 (@sponichiannex) December 26, 2024
馬原拓海のプロフィール
名前:馬原 拓海(まはら たくみ)
生年月日:2012年5月
出身:福岡県糸島市
投打:右投げ右打ち
ポジション:ピッチャー兼外野手
馬原拓海の父・馬原孝浩
馬原拓海投手のお父さんはソフトバンク、オリックスで活躍された馬原孝浩さんです。
馬原孝浩さんは熊本市立高校、九州共立大学を経て、2003年の自由獲得枠で福岡ダイエーホークスに入団。
プロでは主にリリーフとして活躍し、通算182セーブを挙げています。
2006年、2009年には日本代表としてWBCに出場し、連覇に貢献していましたね。
2015年に現役を引退した後は、柔道整復師と鍼灸師の国家試験を取得し、トレーナーや指導者、解説者として活動。
現在は火の国サラマンダーズのゼネラルマネージャーを務めています。
【馬原孝浩ゼネラルマネージャー就任について】
— 【公式】火の国サラマンダーズ 🦎 (@KpbProject) October 8, 2024
この度、#火の国サラマンダーズ は、#馬原孝浩 がゼネラルマネージャーに就任すること
が決定しましたのでお知らせいたします。#熊本#野球 pic.twitter.com/MA6lziRFSz
馬原拓海の母・畑野優理子
馬原拓海投手のお母さんは元テレビ西日本アナウンサーの畑野優理子さんです。
畑野優理子さんは熊本県八代市出身で、熊本信愛女学院高校、早稲田大学人間科学部を卒業後、テレビ西日本に入社。
早稲田大学人間科学部の同期には、ホークスで馬原孝浩さんのチームメイトになる和田毅さんがいました。
馬原孝浩さんとは2007年に結婚。
結婚後は表舞台とは距離をおき、テレビなどにはほとんど出演されていません。
馬原拓海の兄弟
馬原拓海投手は2人きょうだいの2番目で、お姉さんが一人います。
お姉さんは特に野球などはされていないようで、馬原拓海投手より3歳上ということぐらいしかわかっていません。
でも、馬原孝浩さんと畑野優理子さんの娘さんだったら、きっと美人でしょうし、もしかしたら将来はテレビに出るような仕事をされるかもしれませんね。
馬原拓海の小学校時代
馬原拓海投手は小学4年生か、5年生から引津少年野球クラブで軟式野球を始めています。
引津少年野球クラブの活動拠点が糸島市立引津小学校であることから、おそらく馬原拓海投手も糸島市立引津小学校に通っているのではないでしょうか。
馬原拓海投手が野球を始めてわずか2年で、福岡ソフトバンクホークスジュニアに選ばれるほどの実力を身に着けたのには、お父さんとの厳しい練習がありました。
その練習とは、1.5kmのランニングから始まり、
1時間16種目に及ぶ体幹レーニング、
40分間休みなしのノック、
1時間かけて140球の投げ込み、
40分間休みなしのバッティング練習、
最後はジムで筋力トレーニングというものです。
大人でもこなせないような厳しいトレーニングですね。
怪我が怖い気がしますが、そこはプロのトレーナーでもあるお父さんがコントロールされているのでしょうね。
同じ背番号・同じ守護神 元ホークス馬原さんの長男が親子二人三脚で日本一へ(テレQ(TVQ九州放送)) https://t.co/Ramxo05Xjz
— アビさん@将棋・野球・文化・芸能 (@abizokuken) December 26, 2024
馬原拓海のまとめ
馬原拓海投手は福岡ソフトバンクホークスジュニアではお父さんの現役時代と同じ背番号14を付けてプレーする予定です。
NPB12球団ジュニアトーナメントでは再び「馬原」がホークスを日本一に導いてくれるかもしれませんね!