バレーボール日本代表の西山大翔選手。
最高到達点は350cmを記録しているアウトサイドヒッター兼オポジットの選手です。
若くして日本代表に選ばれていることから、これまで順調なバレーボール人生を歩まれてきたのだと思わる方も多いかもしれませんが、
実際は大学を中退し、バレーボールを辞めていた時期あります。
西山大翔選手はどうしてバレーボールを辞められていたのでしょうか?
今回は西山大翔選手の家族についてと併せて、大学を中退した理由についても調べてみました。
2024.5.1 Asueアリーナ大阪#黒鷲旗#パナソニックパンサーズ#西山大翔 選手 pic.twitter.com/mddF74XreU
— オルガン付 (@kefq700) May 15, 2024
西山大翔のプロフィール
名前:西山 大翔(にしやま ひろと)
生年月日:2003年3月4日
出身:神奈川県南足柄市
身長:193cm
体重:80kg
ポジション:OH / OP
最高到達点:350cm
経歴:南足柄市立岩原小学校→南足柄市立岡本中学校→東海大相模高校→東海大学(中退)→パナソニックパンサーズ
西山大翔の家族
西山大翔選手は父、母、兄の4人家族で、家族全員がバレーボール経験者です。
両親は一般人のため職業や詳しい経歴などはわかっていませんが、ネット上では父親は会社員、母親は専業主婦だと言われていますね。
またお兄さんについてですが、こちらも経歴などは不明。
ただ、西山大翔選手は自身のバレーボール人生に大きく影響を与えたのがお兄さんだったのと話されています。
大きく翔ける大翔くん
— mona (@mo_na_oi) July 22, 2023
ほんとうに名は体を表している!#西山大翔 選手#龍神NIPPON pic.twitter.com/WjUYqm5S3Q
西山大翔の小中学時代
西山大翔選手は小学生から中学1年生まではサッカーに打ち込んでいました。
サッカーでのポジションはDF。
中学1年時にサッカー部内でトラブルにあって、退部しています。
そこから半年ほど“帰宅部”として過ごした後、中学2年生からバレーボールを始めています。
南足柄市立岡本中1年まではサッカー部のDF。「ちょっとトラブルがあって」退部し、半年ほど“帰宅部”生活を送るうちに身長がグングン伸び始め、2年になって両親、兄がやっていたバレーボールを始めた。
東海大相模1年西山、強打で勝利貢献「勝ててホッ」
中学3年時にはエースとして春夏の神奈川県大会連覇を達成!
全国大会でもベスト16入りを果たしています。
また県選抜メンバーとして都道府県対抗中学大会にも出場し、活躍されていました。
西山大翔の高校時代
中学卒業後はバレーボールの強豪・東海大相模高校に進学します。
高校では1年生から公式戦に出場。
春高バレーには1年時と3年時に出場していました。(結果はいずれも2回戦敗退)
高校2年生の2月には、有望な高校生を集めたジュニアオールスタードリームマッチに出場し、最優秀選手賞を獲得しています。
西山くんのプレー個人的にめっちゃ好きなプレーでした!!!✨#西山大翔 選手#mrc_OCEAN pic.twitter.com/pIV89VpaIp
— まりち (@marichi_243) February 17, 2019
西山大翔の大学中退の理由は?
東海大学に進学後も1年生からスタメンで試合に出場。
しかし、半年足らずでバレーボール部を退部、大学も中退してしまいました。
中退した理由については
「環境が合わなくて、ちょっとやりづらくなった」
と明かされています。
大学を辞めた後の西山大翔選手はバレーボールに対するやる気も喪失し、自宅で漫画やアニメに没頭する日々を送っていたそうです。
「環境が合わなくて、ちょっとやりづらくなった」。中2から打ち込んできたバレーボールも「もういいかな」と、やる気を喪失。その後はボールに触れることもなく、自宅で漫画やアニメに没頭する日々を送っていた。
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その後、就職活動を始めようとしていた2021年末にVリーグのパナソニックパンサーズから誘いを受けたことで、再びバレーボールへの情熱を取り戻し、翌2022年6月に正式に入団しました。
西山大翔のまとめ
西山大翔選手はバレーボールを再開した2022年にはU-20日本代表入り、さらに2023年には日本代表入りも果たしています。
本来だったらまだ大学在学中の年齢です。
大学生だったら日本代表に選ばれていなかったかもしれませんね。
「人間万事塞翁が馬」
西山大翔選手にはこのまま活躍を続けて、日本をパリオリンピック出場に導いてほしいですね!