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藤田琉生のwiki風経歴!態度が悪い?父母や出身中学校は?

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東海大相模高校ドラフト候補藤田琉生投手

中学時代には日本一を達成している身長198cm左ピッチャーです。

高校ではなかなか活躍できていませんでしたが、初めて背番号1を付けた3年春の神奈川県大会では準優勝に貢献しています。

藤田琉生のプロフィール

名前:藤田 琉生(ふじた りゅうせい)
生年月日:2006年11月17日
出身:神奈川県藤沢市
身長:198cm
体重:96kg
投打:左投げ左打ち
ポジション:ピッチャー
経歴:藤沢市立羽鳥中学校→東海大相模高校

藤田琉生の父母

藤田琉生投手藤田佳典さん賢枝さんはともにバレーボール経験者です。

特に母の賢枝さんは高校卒業後2年半、NECレッドロケッツでプレーされていました。

佳典さん身長185cm賢枝さんは身長183cmもあります。

藤田琉生投手の背が高いのは両親譲りのようですね。

毎年、お正月には家族全員で、近所の広場でバレーボールをすることが藤田家の恒例行事となっているそうです。

藤田琉生の小中学時代

藤田琉生投手お兄さんの影響で小学1年生から羽鳥ファイターズ軟式野球を始めています。

小学生の時から背が高く、6年生の時には175cmもあり、ピッチャーとして活躍していました。

中学からは
「自分をさらに成長させたい」
と名門の湘南ボーイズに入団。

湘南ボーイズでは下級生時代から公式戦に出場し、
中学3年時にはボーイズ春季全国大会ではベスト8
ボーイズ選手権大会では14年ぶりの優勝を果たしています。

藤田琉生の高校時代

中学卒業後は湘南ボーイズの先輩でもある小笠原慎之介投手(現・中日)に憧れ、東海大相模高校進学

高校では1年秋からベンチ入りを経験しますが、結果を残せない日々が続きました。

背番号18を付けた2年秋の神奈川県大会では、準決勝横浜高校戦で9回からリリーフで登板。

9回は無失点に抑えたものの、4点リードの10回裏にKOされ、チームもサヨナラ負けを喫してしまいました。

その悔しさから2年冬には下半身強化食トレに取り組むと、3年春からは背番号1を獲得!

3年春の神奈川県大会では4回戦桐蔭学園戦では、公式戦初完封を記録するなどエースにふさわしい活躍を見せ、準優勝に貢献しました。

東海大相模高校同期のチームメイトには才田和空選手らがいます。

才田和空選手についてはこちらを→才田和空(東海大相模)はドラフト注目!兄弟もすごい!出身中学や進路は?

藤田琉生のプレースタイル

藤田琉生投手はプロ注目の大型サウスポーです。

二段モーションフォームから最速144km/hの角度あるストレートを投げ込みます。

変化球
カーブチェンジアップなど。



バッティングも長打力があり、3年春の神奈川大会準決勝では試合を決定づけるスリーランホームランを放っていました。

藤田琉生の態度

「藤田琉生」で検索すると、関連ワードとして「藤田琉生 態度」と出てきます。

藤田琉生の態度

藤田琉生投手態度が悪かったりするのでしょうか?

調べてみたところ、実はその通りで、藤田琉生投手は2年生のまでは上手くいかないとフテくされ、感情が表情や態度に出てしまっていました。

しかし、3年春エースナンバーをもらったことをきっかけに、改めるようになり、どんな時も顔に出さないように意識するようになったそうです。

「1、2年生の頃は上手くいかないとフテくされ、感情が表情や態度に出てしまいました。春の大会でエースナンバーをもらって自分を変えるチャンスだと捉え、ゲームセットになるまで、どんな時も顔に出さないように意識してきました

「1、2年時ならフテくされましたが」東海大相模198cm左腕・藤田琉生…スカウトと原監督の“特大評価”「5年後ワクワクです」「大人の体になれば」

藤田琉生のまとめ

藤田琉生投手今年の目標について
「もっとストレートの球威を挙げ、全体的なレベルも上げて、エース番号らしい投球をして、甲子園優勝。日本一になる。(2015年夏に全国制覇へ導いた)小笠原さんと並び、さらに超えていきたいと思います」
と話されています。

東海大相模高校5年ぶりの夏の甲子園出場9年ぶりの日本一は、エースの藤田琉生投手の肩にかかってくると思いますね!