中日ドラゴンズの松木平優太投手。
松木平優太投手は最速151km/hのストレートを投げる本格派のピッチャーです。
現在は育成選手ですが、今年は開幕から好投を続けており、支配下登録はもう間もなくではないかと言われています。
そんな松木平優太投手ですが、幼い頃からかなり過酷な人生を歩まれているようです。
そこで今回は松木平優太投手の生い立ちや家族について調べてみました。
松木平くん、7回無失点!!
— ぷぅPhoto (@pooh_photo_1011) April 7, 2024
めちゃくちゃ良い!
ドラゴンズの投手層じゃなければとっくに支配下になって1軍で投げれてるレベルやろ……
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松木平優太のプロフィール
名前:松木平 優太(まつきひら ゆうた)
生年月日:2003年2月24日
出身:大阪府大阪市
身長:178cm
体重:78kg
投打:投げ打ち
ポジション:ピッチャー
年俸:339万円(推定)
経歴:大阪市立田中小学校→大阪市立港南中学校→精華高等学校→中日ドラゴンズ
松木平優太の苗字
松木平優太投手の「松木平」という苗字は、全国に220人ほどしかいない、とても珍しい苗字です。
名字由来netによりますと、奈良県に多く、特に吉野郡十津川村迫西川に集中してみられる苗字だそうです。
現奈良県である大和起源とも言われる。近年、奈良県に多く特に吉野郡十津川村迫西川に集中してみられる。「平」は平らな地形を表す。
【名字】松木平
ちなみに「優太」と名付けたのはお母さんの由美さんで
「優しく、たくましい男になれ」
という思いが込められています。
松木平優太の父母
松木平優太投手のお父さんはインドネシア人、お母さんは日本人です。
しかし、両親は松木平優太投手が2歳の時に離婚・・・。
その後は大阪市内のお母さんの実家で祖父母、1つ年上の姉と5人で暮らしていました。
松木平優太投手はお父さんについて
「父とは公園で遊んだ記憶くらいしかないです。物心がついた時にはいませんでした。今も連絡は取れていません」
と話されていますね。
また、松木平優太投手のお母さんは小学2年生の時に亡くなられています。
死因は肝臓がんで、亡くなる3年前から入退院を繰り返していたそうです。
肝臓がんだった。亡くなる3年前から入退院を繰り返していたという。
「救急車が苦手でした。音がすると、また母が連れて行かれるんじゃないかと。だから、救急車の音が近付くと、いつも布団を被っていました」
母に、祖父に、父に届け。中日の育成・松木平優太が“珍しい名前”を世界に轟かせる日
松木平優太の祖父母
お母さんの死後は、お姉さんとともに祖父母に育てられていた松木平優太投手でしたが、高校2年夏の大阪府大会初戦の2日前に祖父・正弘さんも亡くしています。
祖父は近所をサイクリングするのが日課でしたが夜になっても帰って来ず、翌朝、警察から「川に転落死した」
と連絡があったと言います。
さらに松木平優太投手の祖母・栄子さんは、松木平優太投手が高校3年生の時から体調を崩しており、現在は千葉県の親戚の家で暮らしているそうです。
松木平優太投手は入団会見の際には
「お金を稼げる選手になって、おばあちゃんと住みたいです」
と話していました。
松木平優太の姉
松木平優太投手のお姉さんの名前は松木平ゆにさんと言います。
現在、お姉さんは看護師になるために、勉強とアルバイトを日々頑張っているそうです。
もしかしたらお母さんが早く亡くなられたことがきっかけで、医学への道を志されたのかもしれませんね。
松木平優太のまとめ
今年で高卒4年目の松木平優太投手。
このまま好調を維持していければ、早ければ交流戦頃、遅くても支配下選手登録期限の7月末までには支配下に上がれるとみられています。
天国のお母さんと祖父、千葉にいる祖母のためにも、1日も早く支配下登録を勝ち取ってほしいですね!