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上羽功晃監督(京都外大西)のwiki風経歴!息子や選手宣誓は?

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京都外大西高校野球部上羽功晃監督

「上羽 功晃」名前の読み方“うえば たかあき”

現役時代は内野手としてアマチュア野球界で長く活躍されていた監督さんです。

今回はそんな上羽功晃監督経歴息子について調べてみました。

上羽功晃のプロフィール

名前:上羽 功晃(うえば たかあき)
生年月日:1970年1月23日
出身:京都府
経歴:京都西高等学校(現・京都外大西高等学校)→駒澤大学→神戸製鋼

上羽功晃の現役時代

上羽功晃監督京都西高校(現・京都外大西高校)の出身です。

高校では1年秋から4番に座り、秋季近畿大会ベスト8入りに貢献しています。

近畿大会準々決勝PL学園戦では同学年の野村弘樹投手(元・横浜)からホームランを放っていました。

翌2年春センバツにも4番打者として臨み、ベスト8入り

甲子園には主将を務めていた3年春にも出場しています。

この時は開会式で、英語選手宣誓を行い話題になっていました。

「レッツ・ハブ・ア・ファイティングスピリット、フレンドシップ、アンド・フェアプレー」と英語から始まる、極めて異例の選手宣誓で話題になった。

京都外大西が決勝進出 上羽功晃監督は87年センバツで英語用いた選手宣誓で話題に



駒澤大学進学後1年秋からベンチ入り

当時の駒澤大学は全盛期で、
3学年上野村謙二郎さん(元・広島)
1学年上関川浩一さん(元・中日、阪神)
同期若田部健一さん(元・ダイエー、横浜)竹下潤さん(元・西武)
1学年下鶴田泰さん(元・中日、広島)田口昌徳さん(元・日本ハム、ダイエー)
ら錚々たるメンバーがいました。

4年秋には上羽功晃監督ファーストのレギュラーを務め、2打席連続本塁打を放つなどの活躍で、リーグ優勝を達成しています。


大学卒業後は神戸製鋼入社

社会人では10年間プレーし、都市対抗5回日本選手権5回出場されています。

1999年日本選手権では首位打者を獲得されていました。

上羽功晃の指導者時代

現役引退後は母校・京都西高校コーチに就任。

2005年秋から恩師の三原新二郎監督の後を受けて監督に就任しました。

2005年夏甲子園では京都西高校決勝田中将大投手(現・東北楽天)のいた駒大苫小牧高校に敗れたものの、準優勝を経験しています。

おそらくかなりのプレッシャーがあったものと思われますが、
それでも、上羽功晃監督翌2006年春には大野雄大投手(現・中日)を擁して、監督として初の甲子園出場を果たしました。

その後、甲子園には2007年2010年2024年にも出場しています。

上羽功晃の息子・上羽哲平

上羽功晃監督次男上羽哲平投手野球をされています。

上羽哲平投手京都外大西高校の出身で、高校時代にはお父さんとともに甲子園を目指していました。

3年夏にはエースを務めていましたが、京都府大会準々決勝で敗れ、甲子園出場はなりませんでした。

京都外大西は、今春の県大会で優勝した京都国際に敗れた。上羽功晃(たかあき)監督(49)の次男で先発した哲平投手(3年)は4回1失点と力投。ピンチでも笑顔を絶やさず、4回1死満塁を無失点で切り抜けた。

【京都】京都外大西がベスト8で敗退 上羽親子の夏が終わる


高校卒業後、上羽哲平投手日本体育大学で野球を続けられていました。

そして、今年(2024年)からはマツゲン箕島硬式野球部でプレーすることが決まっています。

上羽功晃の主な教え子

大野雄大

投手/中日ドラゴンズ

辻孟彦

投手/元・中日ドラゴンズ

西村瑠伊斗

内野手/東京ヤクルト

上羽功晃のまとめ

大野雄大投手がいた2006年以来18年ぶりのセンバツ出場を決めた上羽功晃監督

前回は初戦敗退でしたので、今回はまずは監督としてセンバツ初勝利を果たしてほしいですね!