明治大学野球部の戸塚俊美監督。
大学時代にはボールも触らせてもらえないような期待されていない選手から、主将にまで上り詰めた叩き上げの監督さんです。
現役引退後は神戸製鋼のコーチ、監督や審判を務めていました。
今回はそんな戸塚俊美監督の経歴や指導方針などについて調べてみました。
明治大学体育会硬式野球部 体育会硬式野球部新監督に戸塚俊美氏が就任 https://t.co/GeLq1JWEiC pic.twitter.com/nDOOOaxDuJ
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戸塚俊美のプロフィール
名前:戸塚 俊美(とつか としみ)
生年月日:1964年9月8日
出身地:東京都東大和市
経歴:明治大学付属中野高等学校→明治大学→神戸製鋼

戸塚俊美の現役時代
戸塚俊美監督は明治大学の付属校である明治大学付属中野高校の出身です。
戸塚俊美監督の現役時代のポジションは内野手。
高校時代に甲子園出場経験はありませんでした。
高校卒業後は明治大学に進学しますが、明治大学野球部では付属高校の出身者は立場が弱く、入学から1年半はボールに触らせてもらえなかったそうです。
「明大中野高校出身なんですが、(付属高校出身は)、相手にされなかったんです(苦笑)。明治高校出身者はおらず、明大中野の先輩は2学年上にいたぐらい。入学から1年半、練習でボールを触ったこともありませんでした」
週刊ベースボール
それでもレギュラー練習が終わった後、泥だらけになって懸命に個人練習をする戸塚俊美監督の姿が島岡吉郎元監督の目に留まり、2年秋からレギュラーに抜擢されました。
4年時には主将を務め、春のリーグ戦では史上6人目のサイクルヒットを達成しています。
大学卒業後は神戸製鋼に入社。
選手として6年間プレーし、最後の3年間は主将を務めていました。
戸塚俊美の指導者時代
現役引退後は神戸製鋼でコーチを2年間、監督を4年間、経験。
東京へ戻り、社業に専念するタイミングで明大の審判員だった吉川芳登さんから声がかかり、2001年に東京六大学野球連盟の審判員となりました。
そこから19年間、審判を務め、2017年センバツ決勝の大阪桐蔭対履正社では球審をされていました。
その後、田中武宏前監督をサポートする形で、2020年2月から明治大学野球部の助監督に。
そして、勇退した田中武宏前監督の後を受け、2025年1月1日、監督に就任しました。
明治大学は助監督だった戸塚俊美さんが新監督に pic.twitter.com/GHjz8qiwTU
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戸塚俊美の指導方針
戸塚俊美監督は島岡吉郎元監督の教え子ということもあり、「人間力野球」の継承を表明しています。
明治大学の「人間力野球」とは、単なる勝利を追求するだけでなく、選手たちが社会で通用する人間へと成長することを重視する理念です。
この考え方は、1952年から37年間にわたり監督を務めた島岡吉郎元監督によって築かれました。
監督就任した際に戸塚俊美監督は
「(島岡吉郎元監督は)一生懸命、やっている学生にはチャンスをくれた。良い意味で、競争もできる。私もそういうチーム、監督でありたいと思います」
と話されていましたね。
戸塚俊美のまとめ
東京六大学100周年という節目の年に就任した戸塚俊美監督。
明治大学のすばらしい伝統を、次の100年につなげていってほしいですね!