日本航空石川高校野球部の中村隆監督。
石川県輪島市にある日本航空石川高校は、能登半島地震のよって大きな被害が受けています。
実は中村隆監督は阪神淡路大震災も経験しているそうです。
今回はそんな中村隆監督の経歴などについて調べてみました。
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— NHK甲子園 (@nhk_koushien) August 16, 2020
⚾選手を誇りに思う
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9回ツーアウト満塁 サヨナラのチャンスも敗れる
日本航空石川 中村隆監督
「チームとして目指してきた粘りのある野球が最後にできました。敗れましたが、3年生を中心に誇りに思います」と話していました。#甲子園 #高校野球交流試合 #日本航空石川 pic.twitter.com/RdidGrTp8Z
中村隆のプロフィール
名前:中村 隆(なかむら たかし)
生年月日:1984年4月8日
出身:兵庫県神戸市
経歴:神戸弘陵高等学校→明治大学
中村隆の現役時代
兵庫県神戸市出身の中村隆監督は10歳の時に阪神淡路大震災に被災されています。
その時は早朝に裸足で避難したため、ガラスや割れているコップを踏んで足の裏が血まみれになってしまったそうです。
「早朝の真っ暗な中でいきなり大きな揺れが来て、まず家の外に飛び出しました。裸足だったので割れた食器とかガラスの破片を踏んでしまって、足の裏が血で真っ赤になっていて……。でも、その傷の痛みよりも、とにかく早く外に出ようと必死だったのを覚えています」
指揮官は阪神大震災も経験
中村隆監督のお父さんが代表を務めていた野球チームのグランドも仮設住宅が並び、野球どころではありませんでした。
それでも震災にも負けずに野球を続けた中村隆監督は中学からは神戸須磨クラブに所属。
神戸須磨クラブの1学年上のチームメイトには元ヤクルトの武内晋一さんがいました。
武内晋一さんは当時から中村隆監督の憧れの人物で、今でも食事に連れて行ってもらうなど親交が続いています。
中学卒業後は神戸弘陵高校に進学。
高校では内野手としてプレーしていましたが、甲子園出場はなりませんでした。
その後、明治大学でも野球を続け、卒業と同時に現役を引退しています。
中村隆の指導者時代
大学卒業後は社会科の教諭として日本航空石川高校に赴任。
2007年から2014年までは野球部のコーチを務めていました。
コーチとしては2009年に夏の甲子園を経験。
2015年から監督に就任すると、2017年夏、2018年春、2020年春、2024年春と甲子園出場に導いています。
※2020年春は新型コロナウイルスの影響で中止。
#日本航空石川 2-1 #星稜 交流試合出場校同士の決勝は、投手戦に。継投で戦った日本航空石川が優勝。中村監督は涙する井口主将の肩をやさしく抱きました。星稜の3年生にとって初めての県内公式戦の敗戦となりましたが、本当に好ゲームでした。#高校野球 pic.twitter.com/VhGBKbFexU
— 小俣勇貴 (@omata_yuki) August 9, 2020
また、中村隆監督は2017年まで10年間ほど日本航空石川高校の寮監をされていました。
寮監を辞めた現在も、金沢に自宅がありますが、帰るのは週に1回だけで、ほぼ寮生活をされているそうです。
中村隆の主な教え子
内藤鵬
内野手/オリックス・バファローズ
嘉手苅浩太
投手/東京ヤクルトスワローズ
中村隆のまとめ
中村隆監督が阪神淡路大震災に被災された時には地元のオリックスの存在が力になったそうです。
自身は小学4年の時、阪神・淡路大震災で被災した。当時、支えとなったのは「がんばろう神戸」を掲げてリーグ優勝したオリックスの存在だった。現地で観戦し、選手のプレーが力になった。
日本航空石川・中村監督「みんなの思いを乗せて」センバツ躍動へ涙の誓い 能登半島地震で練習拠点移動
まだ学校再開のめどはたっておらず、状況は厳しいかもしれませんが、今度は中村隆監督率いる日本航空石川高校が被災された人たちの力になれるようなプレーを見せてほしいですね!