野球

土屋奏人(鶴岡東)はドラフト注目!父母や祖母もすごい?出身中学は?

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

鶴岡東高校ドラフト候補土屋奏人選手

「土屋 奏人」名前の読み方“つちや かなと”

プロ注目の強肩強打のキャッチャーです。

3年夏甲子園では1試合2本塁打を記録し、注目を集めています。

土屋奏人(かなと)のプロフィール

名前:土屋 奏人(つちや かなと)
生年月日:2004年9月7日
出身:長野県佐久市
身長:174cm
体重:78kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:キャッチャー兼ファースト
経歴:佐久市立中佐都小学校→佐久市立浅間中学校→鶴岡東高校

土屋奏人(かなと)の父母と祖母

土屋奏人選手は父・竜一さんと母・美和さんの間に生まれました。

竜一さんはシンガー・ソングライターでしたが、土屋奏人選手が高校に進学したばかりの2020年5月、難病の筋ジストロフィーが原因で亡くなられています。

20年5月、父・竜一さんが難病の筋ジストロフィーが原因で亡くなった。まだ55歳だった。アルプス席で見守った母・美和さん(52)は「きっと(竜一さんも)喜んでいると思います。こんなにいっぱい打てるなんてきっとびっくりしていると思う」と感無量の様子だった。

【甲子園】鶴岡東・土屋奏人が大会1号&2号「母に恩返しを」天国の「父にも恩返しを」

お父さん多才な人だったようで、音楽活動の他にも、も書かれています。

「ぼくにできること」は、難病のデュシェンヌ型筋ジストロフィーにより全身が動かず発声もできない著者が、
幼かった2人の我が子に昔語りができないかわりに書き続けて来たもの。

Amazonの本の紹介より

・・・土屋奏人選手のために書かれたなんですね。

本の紹介だけで涙が出そうになりました。


さらに土屋奏人選手祖母(竜一さんの母)は歌人の土屋浩子さんです。

土屋竜一さんも土屋浩子さんもwikipediaに載っていますね。

2人ついて詳しく知りたい方はどうぞ↓
土屋竜一さんのwikipedia

土屋浩子さんのwikipedia

土屋奏人(かなと)の小中学時代

土屋奏人選手小学3年生から浅間スポーツ少年団野球を始めました。

当時はピッチャー兼サードとして活躍し、小学6年生の時には全国大会にも出場しています。

中学時代佐久リトルシニアに所属し、キャッチャーとしてプレー。

卒業後は親元を離れ、山形県にある鶴岡東高校進学しました。

土屋奏人(かなと)の高校時代

高校では1年秋からベンチ入り

2年夏山形県大会準決勝敗退

2年秋山形県大会では正捕手として準優勝を経験しています。

続く東北大会では、初戦(2回戦)青森山田高校2対3逆転サヨナラ負け

3年夏山形県大会では、14打数8安打4打点打率.571ホームラン1本の大活躍で、3年ぶりの7回目の甲子園出場に貢献しました。

さらに甲子園初戦盈進戦ではホームラン2本を放って、12対7で勝利しています。

土屋奏人(かなと)のプレースタイル

土屋奏人選手遠投110メートルに加え、高校通算35本塁打を記録している強肩強打のキャッチャーです。

堅実なリードにも定評があり、3年夏の山形県ではタイプの違う4人のピッチャーを上手くリードし、5試合でわずか2失点に抑えています。

50メートル走6秒4。

土屋奏人(かなと)の進路

土屋奏人選手高校卒業後の進路はまだわかっていません。

土屋奏人(かなと)のまとめ

甲子園の初戦で勝利した後、土屋奏人選手
「遠くの高校に入れてもらって、母に恩返しをしなきゃいけない。父にも恩返しをしないといけないと思ってやってきた」
と話されていました。

両親想いのいい青年ですね!

のためにも、活躍を続けていってほしいですね!

土屋奏人選手出会いと結婚ついて知りたい方はこちらがおすすめです