東海大菅生高校野球部の若林弘泰監督。
中日ドラゴンズでピッチャーをされていた元プロ野球選手の監督さんです。
「選手に好かれたいと思ったことは、一度もない」
「優しい言葉をかけても子どもたちのためにはなりません」
と話すなど、かなり厳しい、昭和気質の監督さんのようですね。
今回はそんな若林弘泰監督の家族や現役時代などについて調べてみました。
⚾第93回選抜 プロ出身の監督紹介⚾
— オフィス61ぶんの19 (@mouhitotunofanc) February 23, 2021
🥎東海大菅生=若林弘泰監督(54歳)
🌟東海大出身→1991年ドラ4中日入団
🌟07年社会科教諭とし着任09年監督に
🍀「選手に優しい言葉もかけないし
好かれたいと思った事などない」と…
🍀「勝利は全てではないが勝たないと
過程が報われない!目標は優勝」と…🎤 pic.twitter.com/ESHzeYEhvh
〜もくじ〜
若林弘泰のプロフィール
名前:若林 弘泰(わかばやし ひろやす)
生年月日:1966年4月22日
出身:神奈川県茅ヶ崎市
身長:185cm
体重:80kg
経歴:横浜市立永田台小学校→横浜市立永田中学校→東海大学付属相模高等学校→東海大学→日立製作所→中日ドラゴンズ
若林弘泰の現役時代
神奈川県茅ヶ崎市で生まれた若林弘泰監督は、幼い頃に横浜市南区に転居。
小学3年生から永田オックスで野球を始めます。
ピッチャーやキャッチャーとして活躍し、区大会で優勝したこともありました。
中学卒業後は、当時、東海大相模高校の中心選手として活躍していた原辰徳さん(現・巨人監督)に憧れ、東海大相模高校に進学します。
東海大相模高校では1年春からベンチ入り。
3年夏にはエースナンバーの背番号1を付けましたが、甲子園出場はなりませんでした。
高校卒業後は、東海大学に進学。
大学2年次には首都春季リーグにて防御率0.00で最優秀投手賞を獲得しています。
しかし、3年次には右ひじを痛め、手術を経験。
そのため、大卒でのプロ入りは叶わず、卒業後は日立製作所に入社されています。
日立製作所では3年間プレーし、1991年のドラフトで中日ドラゴンズに4位で指名され、入団しました。
プロでは大学時代に痛めた肘の影響で、思うような活躍はできず、
中日には合計6年間、在籍し、17試合に登板、1勝1敗、防御率8.85という成績を残して、1997年に現役を引退しています。
中日時代の時とそんなに雰囲気変わらんなあw@東海大菅生 若林弘泰監督 pic.twitter.com/ek32xe1JSN
— 番人@(愛知県名古屋市在住) (@1makubannin) August 14, 2017
若林弘泰の現役引退後
現役引退後は、中日時代の指揮官だった星野仙一さんの紹介してくれた運送会社で5年間勤務していました。
その後、同じ地元の先輩が岐阜県の高校の監督をしている姿を見て、野球への情熱が再燃!
「本当にやりたかったのはこれだったと思ったんです」
と、指導者になるために37歳で、名城大学に入学します。
大学には働きながら、2年間通い、教員免許を取得。
2007年春に東海大時代の恩師・岩井監督の推薦で東海大菅生高校に社会科の教師として着任しました。
当時は現在のように、プロとアマ両方の研修会を計3日間受講すれば、学生野球資格が回復されるようになってはおらず、元プロ野球選手が高校野球で指導するには2年間、教壇に立つ必要がありました。
そして、2年間の教員生活を経て、2009年4月に東海大菅生高校の野球部監督に就任しました。
若林弘泰の指導者時代
監督就任当初は都大会においても早い段階で都立高校に敗退するなどしていました。
しかし、徐々に力を付け、勝俣翔貴選手(現・オリックス)らを擁し、2015年春に監督就任後、初の甲子園出場を達成します。
夏は2014年から3年連続で西東京大会決勝で敗れていましたが、
2017年夏に清宮幸太郎選手のいた早稲田実業を決勝で下し、西東京大会優勝を果たしました。
ナインに胴上げをされる、東海大菅生の若林弘泰監督。中日でプレーした経験があり、同校の監督は2009年に就任。センバツ出場はありましたが、夏の大会に出場するのは初めてとなります。 pic.twitter.com/fP5loegzzd
— THP☆高校野球・甲子園 (@thp_koshien) July 30, 2017
続く甲子園大会では、同校史上最高成績となるベスト4まで勝ち進んでいました。
若林弘泰の結婚と嫁
若林弘泰監督は社会人時代に結婚されています。
奥さんの名前は祐美子さんです。
若林弘泰監督が37歳で大学に通われていた時も、陰ながら支えてくれていました。
現在は、東海大学菅生高校のある、あきる野市で、夫婦二人で暮らされています。
若林弘泰の息子
若林弘泰監督には、尚義さんと、泰生さんという二人の息子さんがいます。
息子さんが野球をされているかはわかりませんでした。
若林弘泰監督が28歳と26歳の時に産まれた息子さんですので、二人ともすでに成人されていています。
もし、野球をされていたとしても、現在は辞められているのかもしれませんね。
若林弘泰の教え子
髙橋 優貴(たかはし ゆうき)
投手。2018年巨人ドラフト1位。
勝俣 翔貴(かつまた しょうき)
内野手。2019年オリックスドラフト5位。
勝俣翔貴(国際武道大)現在は?ドラフトや成績や出身中学高校も!
戸田 懐生(とだ なつき)
投手。2020年巨人育成選手ドラフト7位 ※中退
戸田懐生(徳島)の現在は?東海大菅生を退学した理由は? ドラフト指名はある?
若林弘泰のまとめ
最近では、高校野球でも元プロ野球選手の監督というのが増えてきました。
それでも、平成以降、甲子園で優勝した元プロ野球の監督はまだいません。
元プロ野球選手で初の甲子園優勝監督になるとしたら、智辯和歌山の中谷仁監督か、東海大菅生の若林弘泰監督の可能性が高いと思います。
西東京都大会を勝ち抜くだけでも大変でしょうが、若林弘泰監督には甲子園でも頂点を目指せるようなチームを作り上げてほしいですね!
中谷仁監督についてはこちらを→中谷仁監督(智辯和歌山)阪神でプレーも携帯で失明?嫁や子供は?