許定捷のドラフト指名は?盛岡大附・台湾留学生の経歴と進路を解説!
「盛岡大附高校に、台湾から来たすごい留学生がいるらしい」——そんな噂を耳にした方もいるかもしれません。
その人物が、許定捷(きょ・ていしょう/台湾読みはシュウ・ティンチェ)選手です。
岩手の強豪・盛岡大附属高校で、勝負強い打撃と堅実な守備を武器にチームを支える外野手。
中学時代には「U-15台湾代表」としてアジア制覇を経験しながら、憧れの甲子園出場と日本のプロ野球入りを目指し、単身で日本へ野球留学を果たしました。
その輝かしい実績の裏には、言葉も通じない異国の地で向き合った苦労と努力がありました。
この記事では、許定捷選手の詳細なプロフィールや経歴、台湾から日本への留学を決意した理由、言葉の壁を乗り越えた勉強法、そしてNPB入りを目指す今後の進路まで、じっくり紹介していきます。
盛岡大付高・許定捷(外野手) 甲子園に魅せられた台湾留学生
「3年間、支えてくれた先生に恩返ししたいなと思います。プロのことは考えず、チームが勝つためにやる」#許定捷 #盛岡大付高 #高校野球 #ドラフト #ドラフト2026https://t.co/nOuxSqyQtN
— 週刊ベースボールONLINE (@BaseBallMOnline) July 4, 2026
許定捷のプロフィールと経歴
ここでは、台湾から岩手の盛岡大附属高校へと進学した許定捷選手の基本プロフィールと、中学時代から高校までの球歴を詳しく紹介します。
基本プロフィール一覧
許定捷選手の基本情報を一覧表にまとめました。
| 項目 | 詳細 |
| 名前 | 許 定捷(きょ・ていしょう/ Hsu Ting-Chieh/シュウ・ティンチェ) |
| 生年月日 | 2008年6月14日 |
| 出身地 | 台湾・台東市 |
| 身長・体重 | 175cm / 75kg |
| 守備位置 | 外野手(主に中堅手)、投手 |
| 投打 | 右投左打 |
| 所属 | 盛岡大学附属高等学校 |
中学時代からの主な経歴
許定捷選手は小学3年生の時、「豐田小学校」の野球チームで内野手として競技を始めました。
早くから頭角を現し、小学校5・6年時には全国大会準優勝を経験しています。
中学時代に進学したのは、地元・台湾の強豪校・台東県立卑南國民中学校。
主力としてチームを牽引し、中学2年・3年時にも全国大会準優勝を果たしました。
幼少期から台湾トップレベルの過酷なトーナメント戦や勝負どころを数多く経験したことが、彼の代名詞である勝負強さの原点になっています。
そして中学3年時の2023年、高いポテンシャルが認められ「BFA U-15アジア選手権」の台湾代表メンバーに選出されます。
二塁手として国際大会というプレッシャーの中でも高いパフォーマンスを発揮し、チームのアジア制覇に貢献しました。
中学卒業後の2024年には、憧れの日本高校野球に挑戦するため親元を離れ、単身で盛岡大学附属高校へ入学。
高校でも入学当初は内野手でしたが、俊足と遠投110メートルの強肩を買われ、外野手へ転向します。
1年秋から早くもベンチ入りを果たすと、主に「6番・センター」として定着。
地区予選では全試合で安打を放ち、打率.500という好成績を記録しました。
その後も成長を重ね、2年春の岩手県大会では15打数8安打と打線を牽引し、チームを8年ぶりの優勝へ導きます。
第72回春季東北地区高等学校野球大会
盛岡大学附属 許定捷(2年、臺東縣立卑南國民中學)
2025/6/10 pic.twitter.com/TfnpdnmCxq
— チョコパン (@smalto19) June 10, 2025
東北大会にも2年連続(2年春・3年春)で出場。
2年・3年の春夏の岩手県大会でも不動のレギュラーとして打撃と守備でチームを支え続け、岩手屈指の注目選手として、その名を知られる存在になっていきました。
台湾から日本へ野球留学した理由
台湾でU-15代表として活躍するなど輝かしい実績を持っていた許定捷選手が、なぜ生まれ育った故郷を離れ、岩手県の盛岡大附属高校への野球留学を決意したのでしょうか。
海を渡る決断の背景には、日本野球への強い憧れと明確な目標がありました。
きっかけは、中学時代に地元・台東市で見ていた「夏の甲子園」のテレビ中継でした。
球場で繰り広げられるハングリーなプレーはもちろん、選手たちが見せる礼儀正しさや、審判・道具を重んじる姿勢に心を打たれます。
「自分もこの雰囲気の中でプレーしたい、甲子園の土を踏みたい」——そんな思いが、日に日に強くなっていきました。
数ある日本の高校から盛岡大附を選んだ理由は、同校が誇る伝統の強打スタイルに魅せられたからです。
2021年夏の甲子園で見せた豪快な打撃に心を奪われ、「この先輩たちのように、力強いバッターになりたい」と心に刻みました。
また彼を突き動かした憧れの存在も、ふたりいます。
ひとりは、幼少期から豪快なフルスイングに魅了されてきた福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手。
もうひとりは、同じ台湾出身で日本の高校・大学を経てNPB(埼玉西武ライオンズなど)で活躍した呉念庭(うー・ねんてぃん)選手です。
「呉念庭選手のように日本で学び、プロ野球選手になる」
その志があったからこそ、国境を越える決断ができたのです。
言葉の壁を克服した勉強法と仲間の支え
大きな夢と期待を胸に膨らませて盛岡大附属高校へ入部した許定捷選手でしたが、実際に日本での生活が始まると、想像を超える「言葉の壁」という現実が立ちはだかりました。
通訳のいない環境の中、練習現場では監督やコーチの指示を正しく理解できず、練習の輪にスムーズに加われない時期もありました。
思うようにコミュニケーションが取れないもどかしさと悔しさに、一時は打ちひしがれることも。
それでも彼は「ここで諦めて台湾に帰るわけにはいかない」と自らを奮い立たせました。
言葉の壁を乗り越えるために許定捷選手が取り組んだのは、泥臭く地道な努力でした。
厳しい全体練習を終えて寮に戻ってからも、毎晩欠かさず就寝前の1時間を日本語学習に充てます。
自分で購入したドリルや教材を広げ、単語や文法をひとつずつ頭に叩き込む日々を継続しました。
授業でも日本語で丁寧にノートを取り、熱心に勉強を重ねた結果、今では日本語で不自由なくコミュニケーションが取れるまでに。
学校の定期試験でも、しっかり合格点を取れる語学力を身につけています。
この苦難を乗り越えるうえで欠かせなかったのが、周囲の温かい支えです。
ミーティングで難解な専門用語や日本語が飛び交うと、チームメイトたちが時間をかけて言葉をかみ砕き、許定捷選手が理解できるまで親身に説明してくれました。
盛岡大附属の関口清治監督は
「非常に真面目で一生懸命。言われたことを実直にやる姿は昭和の日本人のよう」
と評しています。
「台湾には帰れない」という決意のもとで続けた個人の努力と、親身に寄り添ってくれた仲間の存在があったからこそ、許定捷選手は言葉の壁を乗り越え、チームになくてはならない中心選手へと成長できたのです。
走攻守そろう許定捷の選手としての魅力
ここでは高い身体能力と技術的な強み、そして肉体改造を経て進化を遂げた許定捷選手の魅力を、多角的な視点から紹介します。
身体能力とプレースタイル
許定捷選手最大の武器は、走攻守すべてにおいて高水準を誇る身体能力です。
50メートル走6秒0の俊足を活かした広い守備範囲と果敢な走塁が持ち味。
強肩を活かしたバックホームで、チームのピンチを幾度も救ってきました。
本職の外野手に加えて投手もこなす二刀流。
最速141キロのストレートを軸に、スライダーやフォークなどの変化球を精度よく投げ分け、マウンドでも高い適性を示しています。
勝負強さと肉体改造の成果
許定捷選手が勝負所で発揮する勝負強さは、中学時代に台湾の全国大会を何度も経験し、「U-15台湾代表」として国際大会の修羅場をくぐり抜けてきた実績に裏打ちされています。
日本への留学後は、厳しいトレーニングと食事管理によって1年間で体重を約10kg増量。
長靴を履いた雪上ランニングや激しいウエイトトレーニングで下半身と体幹を鍛え上げたことで、スイングの強さとヘッドスピードが大きく向上しました。
日本プロ野球入りを目指す今後の進路
高校生活のすべてを注ぎ込み、憧れの甲子園出場を目指して駆け抜けた3年間。
しかし夏の岩手県大会では3年連続で決勝戦敗退を喫し、あと一歩のところで甲子園の土を踏む夢は叶いませんでした。
3年夏の決勝の直後、涙を浮かべて言葉を詰まらせた許定捷選手。
その胸にあったのは、悔しさ以上に周囲への感謝の気持ちでした。
「結果を出せず申し訳ない気持ちでいっぱいですが、このチームの仲間たちや最高の指導者の方々と出会えて本当に幸せでした」
と振り返り、異国の地で出会った仲間たちとの絆を噛みしめていました。
甲子園への道は絶たれたものの、野球人生はここで終わりません。
幼少期に柳田悠岐選手に憧れ、来日したときから抱き続けてきた「NPBの選手になる」という目標に向け、新たな一歩を踏み出しています。
「憧れていた甲子園には届きませんでしたが、自分の夢はNPBでプロ野球選手として活躍することです。まだまだこれから成長していきます」
許定捷選手はさらなるレベルアップを目指して練習に励んでいます。
憧れた甲子園かなわず、日本プロ野球目指す - 台湾から留学の盛岡大付・許定捷選手https://t.co/gbAJRinxLa
— 共同通信公式 (@kyodo_official) August 30, 2026
盛岡大附属高校野球部部長の前川剛大教諭は
「たくさんの人に愛され、息の長いプレーヤーとして長く野球を続けてほしい」
とエールを送っています。
高い身体能力だけでなく、言葉の壁を乗り越えた努力の姿勢と、素直で誠実な人柄。
すでに多くのファンや関係者を惹きつける存在です。
苦難を糧にして進化を続ける許定捷選手が、次はドラフト会議を経てプロ野球界の扉を開くのか——今後の進路から目が離せません。
許定捷のまとめ
この記事では、台湾から来日し、盛岡大附属高校で活躍した許定捷選手のプロフィールと歩みを紹介しました。
ポイントをおさらいします。
高い実績と能力:「U-15台湾代表」としてアジア制覇を経験し、盛岡大附では走攻守3拍子揃った主力として活躍。
言葉の壁の克服:通訳のいない環境から独学で日本語を学び、仲間や指導者の支えも受けて適応。
次なる目標:3年連続の決勝敗退で甲子園には届かなかったものの、NPB入りを目指して前進中。
異国での苦難や高校野球での悔しさを糧に、許定捷選手はこれからも成長を続けていきます。
プロ野球の舞台で躍動する姿を見られる日を楽しみに、今後の活躍を応援していきましょう!
