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柳本優飛はYouTuberのドラフト候補!商社時代や甲子園での活躍がすごい!

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「商社を辞めて、プロ野球選手を目指します」

この一言が、約29万回再生という大きな反響を呼びました。発信したのは、YouTuber柳本優飛さんです。

愛知の名門・愛工大名電1年夏からレギュラーを掴み、3年夏に甲子園の舞台に立った野球エリート。

近畿大学でもリーグ戦に出場し、プロを意識していた柳本優飛さんでしたが、足首の古傷と向き合いながら苦渋の決断として野球を断念。

卒業後は野球とは無縁の商社へと就職しました。

それから3年。同期トップクラスの成績を残し、「Mr.ドラ愛」というYouTubeチャンネルも順調に成長させてきた柳本優飛さんが、突然ともいえる決断を下します。

25歳で、もう一度プロを目指す。

「この年齢でプロは無理でしょ」という周囲の声をバネに、商社を退職してグラウンドへと戻ってきた柳本優飛さん

甲子園球児からYouTuber商社マン、そして再びプロ野球選手を目指す挑戦者へ。

その唯一無二のストーリーを、詳しく紹介していきます。

柳本優飛のプロフィール

まずは、柳本優飛さんのプロフィールから見ていきましょう。

項目 詳細
名前  柳本優飛(やなぎもと ゆうひ)
生年月日  2000年8月16日
出身  大阪府松原市
身長・体重  172cm・72kg
投打  右投げ左打ち
ポジション  外野手
経歴  松原ボーイズ → 愛工大名電 → 近畿大学 → 商社


こうして経歴を並べてみると、その異色さが際立ちますよね。

大阪府松原市出身でありながら、愛知の名門・愛工大名電へ越境入学。

さらに近畿大学でプレーし、商社勤務を経てプロ野球を目指すという、なかなか他では見られないキャリアを歩んできた方です。

25歳という年齢に込められた意味

プロ野球の世界では、ドラフト指名される選手のほとんどが高校生(18歳)か大学生・社会人(22〜23歳)です。

25歳という年齢でゼロからプロを目指すとなると、それだけで「現実的ではない」と思われてしまいがちです。

実際、退職を告げた会社からも「この年でプロは無理でしょ」という言葉を受けたといいます。

でも、少し立ち止まって考えてみてください。

25歳といえば、まだまだ人生のど真ん中。

柳本優飛さん自身も
「あと何十年も続く人生の中で、後悔しない選択は何か」
と自問した末に、この決断を下しています。

また、柳本優飛さんが自ら期限として設定しているのは2027年のドラフト

逆算すると、挑戦できる時間は約2年です。

「挑戦できるうちは、やり切る」という覚悟が、この年齢でのチャレンジに込められているんですね。

無謀に見えて、実はとことん考え抜かれた決断。

そんな柳本優飛さんの野球人生を、もう少し詳しく追いかけていきましょう。

甲子園出場!「イチロー二世」と呼ばれた高校時代

大阪府松原市出身柳本優飛さんが野球を始めたのは、小学3年生のころ。

ソフトボールからスタートし、小学4年生で硬式野球に転向。

中学時代は「松原ボーイズ」でセンターとしてプレーし、強豪校からも注目される存在へと成長していきました。

そんな柳本優飛さんが憧れていたのが、イチロー選手の母校でもある愛工大名電です。

山崎武司さんや堂上兄弟など、中日ドラゴンズで活躍した選手を多数輩出してきた名門校で、大の中日ファンだった柳本優飛さんにとっては夢の舞台でした。

しかし愛工大名電は、毎年20人前後しか推薦入学できない狭き門。

そこで柳本優飛さんが頼ったのが、なんと自宅の隣に住んでいた元プロ野球選手・杉本正志さん(元広島)でした。

幼いころから野球を見てもらっていた杉本さんに相談したところ、愛工大名電の関係者との縁をつないでもらい、セレクションを受けるチャンスを掴んだのです。

そして見事合格。大阪から愛知へ、柳本優飛さんの越境入学が実現しました。

1年夏からレギュラー奪取、そして甲子園へ

入学直後は、先輩たちのスケールの大きさに圧倒されたといいます。

当時の愛工大名電には高校通算47本塁打を誇る大型スラッガーも在籍しており、身長165cmだった柳本優飛さんは「レベルの違いを感じた」と振り返っています。

それでも持ち前のバットコントロールで結果を出し続け、1年夏からスタメン入りを果たします。

練習試合ではその後プロ入りする山﨑颯一郎さん(オリックス)や京山将弥さん(DeNA)といった本格派投手からもヒットを量産。

「プロに進む投手のほうがヒットを打てていた」
と語るほど、対応力の高さは際立っていました。

そして迎えた3年夏西愛知大会を勝ち抜いてついに甲子園出場を果たします。

2回戦の白山戦では4安打の大活躍で初戦突破に貢献。

打率4割超え・7試合中4試合で長打を放つなど、チームの甲子園出場に大きく貢献した存在でした。

誕生日当日の甲子園、忘れられないあの瞬間

3回戦の報徳学園戦、その日は柳本優飛さん18歳の誕生日(8月16日)でした。

1回表、無死一・二塁で打席に入った瞬間、三塁アルプス席からバースデーソングが流れ始めます。

その温かい手拍子は、やがてネット裏、そして相手チーム・報徳学園の応援席にまで広がっていきました。

「今までで一番大きな声援。この18年で一番、幸せな瞬間でした。一生、忘れることはないと思います」

試合はあいにく2対7で敗れ、3回戦での甲子園幕切れとなりました。

それでも大会通算9打数5安打打率.555をマークした柳本優飛さんは、週刊朝日編集部が決めたベストナインにも選出されていました。

倉野監督が認めた「イチロー二世」の打撃センス

倉野監督から「イチロー二世」と称された柳本優飛さんの最大の武器は、卓越したバットコントロールです。

ボール球までヒットにしてしまうほどの対応力を持ち、遠投118m50m走5.9秒という身体能力も高校トップレベル。

打撃だけでなく、守備・走塁においても「イチロー二世」の名にふさわしい選手でした。

同期15人の中で、1年夏からレギュラーに抜擢されたのは柳本優飛さんただ一人。

それほどまでに監督から信頼された選手が、のちに商社マンを経てプロを目指すことになるとは、当時は誰も想像していなかったはずです。

近畿大時代〜佐藤輝明との同期エピソード

甲子園での活躍が評価され、関西の強豪・近畿大学からの誘いを受けた柳本優飛さん

大学でも1年生からベンチ入りを果たし、リーグ戦に出場するなど、その才能は大学レベルでも十分に通用することを証明していきます。

そして2年生になるころには、ある大きな同期との出会いが柳本優飛さんの野球人生に彩りを添えることになります。

あの佐藤輝明と上位打線を組んだ日々

近畿大時代柳本優飛さんを語る上で欠かせないのが、現・阪神タイガースの佐藤輝明選手との同期エピソードです。

現在はNPBを代表するスラッガーとして活躍する佐藤輝明選手ですが、近畿大時代にその佐藤輝明選手とともに上位打線を組んでいたのが柳本優飛さんなんです。

今でこそ「プロの世界のスター選手」となった佐藤輝明選手と肩を並べて打線を組んでいたという事実は、柳本優飛さんの実力の高さを改めて示すエピソードといえるでしょう。

それほどまでに、柳本優飛さんは大学時代から将来を嘱望される存在だったんです。

コロナ禍と古傷の再発、忍び寄る暗雲

順風満帆に見えた近畿大時代でしたが、やがて柳本優飛さんに試練が訪れます。

まずコロナ禍による活動自粛で、練習がままならない日々が続きました。

さらに追い打ちをかけるように、高校時代から抱えていた足首の古傷が再発。

思うように体を動かせない状況が長引き、レギュラー獲得への道が少しずつ遠のいていきます。

高校時代に右足を骨折した経験も持つ柳本優飛さんにとって、足の不安は長年の悩みでした。

懸命にリハビリを続けながらも、上級生になっても万全の状態でプレーできない日々。

プロを夢見て近畿大学の門を叩いたはずが、気づけば4年生を迎えていました。

苦渋の決断「一般就職」を選んだ心境

4年生になった柳本優飛さんは、進路について真剣に悩みます。

社会人野球、海外での野球、独立リーグ——あらゆる選択肢を頭に並べながら、長い時間をかけて向き合い続けました。

そして最終的に選んだのが、野球とはまったく無縁の世界への一般就職でした。

「迷いに迷ったんですけど、野球を諦め一般就職することに決めたんです」

この言葉の裏には、どれほどの葛藤があったことでしょう。

小学生のころから積み上げてきた野球人生に、自ら幕を引く決断です。

簡単に出た言葉でないことは、想像に難くありません。

それでも柳本優飛さんは前を向きます。

「一回、社会経験をしたい」という新たな気持ちを胸に、厳しい就職活動を乗り越えて商社への就職を勝ち取りました。

野球しか知らなかった青年が、まったく新しいフィールドへと踏み出した瞬間でした。

この「一度諦めた」という経験が、のちの再挑戦をより力強いものにしていくことになります。

商社マンとしての3年間とYouTuber活動

近畿大学を卒業した柳本優飛さんが選んだのは、野球とはまったく接点のない商社という業界でした。

営業・接待・取引交渉など、グラウンドとはかけ離れた世界。

「右も左も分からない」状態からのスタートでしたが、柳本優飛さんにはひとつの確信がありました。

「熱量があれば、行動に起こすことができる」

その言葉通り、商社マンとしての柳本優飛さんは目覚ましい活躍を見せます。

接待の多い業界でも、野球で培ってきたコミュニケーション力や話題が大きな武器になったといいます。

野球しかやってこなかった自分が、まったく異なるフィールドで結果を出せるのか——そんな不安は、入社後すぐに自信へと変わっていきました。

同期トップクラスの成績という新たな自信

商社での柳本優飛さんの活躍は、決して「普通」ではありませんでした。

なんと同期の中ではトップクラスの成績を収めるほどの活躍を見せたのです。

「野球以外でもできるんだと、新しい自信と成功体験を掴むことができました」

甲子園を目指してひたむきに練習を重ねてきた日々、足の怪我と向き合いながら苦しんだ大学時代、そして野球を諦めて一般就職するという苦渋の決断。

そういった経験がすべて、ビジネスの世界での粘り強さや精神力につながっていたのでしょう。

一度野球を諦めたからこそ掴めた、新しい自分の可能性。

この商社での成功体験が、のちのプロ挑戦宣言の大きな土台となっていきます。

「Mr.ドラ愛」として登録者急増、YouTuberとしての顔

商社マンとして働きながら、もう一つの顔も育てていました。

それが「Mr.ドラ愛」というYouTubeチャンネルです。

もともとの始まりはコロナ禍の近畿大時代

練習ができない時間を持て余していたころ、友人の勧めでスマホゲーム「プロ野球スピリッツA(プロスピ)」の実況動画を投稿し始めたのがきっかけでした。

当初は顔出しもせず、趣味の延長線上としてひっそりと続けていたといいます。

「まさかあそこまで登録者が伸びるとは思いませんでした」

商社に就職してからも顔出しなしで活動を続けながら、着実に登録者を伸ばしていった柳本優飛さん

仕事とYouTubeを両立させながら、充実した日々を送っていました。

しかし心のどこかで、「何か変えていきたい」という思いがくすぶり続けていたのも事実でした。

「名も無き野球部」結成、そして野球との再会

転機が訪れたのは、YouTubeの活動を通じてつながったプロスピ系YouTuber仲間との出会いでした。

YouTuber同士で野球チームを作ろうという話が持ち上がり、「名も無き野球部」が結成されることになります。

声をかけてくれた仲間からは、こんな言葉をもらったといいます。

「ドラ愛くんがまじで野球をやってみるならば、野球部やるよ」

この一言が、柳本優飛さんの背中を押しました。

顔出しを決意し、久しぶりにバットを握った柳本優飛さん

最初は「趣味程度」のつもりだった野球部活動でしたが、グラウンドに立つうちに、封印していたはずの感情がふつふつと湧き上がってきます。

打球を弾き返す感触、仲間と汗をかく喜び、ファンからの「上手い!」という応援コメント——それらがひとつひとつ積み重なり、柳本優飛さんの中で眠っていた「プロへの夢」が再び目を覚ましていったのです。

商社退職→プロ野球挑戦宣言の舞台裏

野球への情熱が再燃した柳本優飛さんでしたが、いきなりプロを目指すと宣言する前に、自分自身に課したミッションがありました。

それがフルマラソンの完走です。

なぜマラソンなのか。理由は明快でした。

「足首を痛めて野球選手を辞めました。足に不安があった身だったからこそ、フルマラソンを乗り切れる体力、心の強さがなければ、野球選手を再開したところで無理だろうと思っていました」

さらに柳本優飛さんらしいのが、その取り組み方です。

「あまり走っていないのに、フルマラソンにあえて応募して、逃げ道がない状況を作った」というのですから、その徹底ぶりには驚かされます。

仕事をしながら走り込みを続け、昨年10月下旬についにフルマラソンを完走。

自らが立てた目標をクリアしたことで、プロを目指す決心がさらに固まっていきました。

成功体験を一つひとつ積み重ねながら、着実に前へ進む。

この姿勢こそが、柳本優飛さんの大きな強みといえるでしょう。

意を決して母校へ、倉野監督への報告

プロを目指す決意を固めた柳本優飛さんには、どうしても直接報告しなければならない人物がいました。

母校・愛工大名電の倉野光生監督です。

中学時代のセレクションで柳本優飛さんの才能を見出し、1年夏からレギュラーに起用し、「イチロー二世」と期待をかけてくれた恩師。

大学時代に思うように試合へ出られなかったとき、「何やっているんだ」と叱咤激励してくれた父親のような存在でもありました。

「監督には野球の件でお会いしたいとお願いをしましたが、お会いするのも、プロを目指すということを切り出すのもかなり緊張していました」

東京から愛知・春日井市にある愛工大名電のグラウンドまで足を運び、これまでの経緯をすべて話した上でプロ挑戦を打ち明けた柳本優飛さん

緊張しながら言葉を絞り出した先に待っていたのは、監督をはじめ指導スタッフ全員の温かい笑顔でした。

「その場がとても温かくて救われました」

倉野監督は挑戦を快く応援してくれただけでなく、愛工大名電の施設使用も快諾。

コーチや寮の館長も笑い声を交えながら話を聞いてくれたといいます。

厳しい世界に飛び込もうとしている教え子を、母校全体で後押ししてくれる——そんな温かい場面が、春日井のグラウンドで生まれました。

「高校時代にプロにいくためにいろいろ指導していただいた倉野監督に、恩返しをしないといけないと思いました」

この言葉に、柳本優飛さんのプロ挑戦にかける思いの深さが凝縮されています。

周囲の反応、そして「逆に火がついた」メンタル

倉野監督への報告を終えた柳本優飛さんは、商社を退職してプロ挑戦を本格的に宣言します。

周囲の反応は、さまざまでした。

会社からは、率直な言葉が返ってきました。

「『何やっているの?この年でプロは無理でしょ』という反応でした」

厳しい言葉です。でも柳本優飛さんはこう受け止めました。

「それは当然だと思いますが、逆に火がついた感じですね」と。

批判や懐疑的な声をバネに変えてしまうメンタルの強さは、商社での3年間と野球人生で培ってきたものでしょう。

両親からは、最初こそ驚きの声が上がりました。

「最初は『アホか?』といわれました。商社マンになって3年目でサラリーマンとしてこれからという時でしたので」

それでも柳本優飛さんが「プロを目指すために真剣に野球をやる」と真剣な思いを伝えると、両親の言葉は一変します。

「じゃあ応援する」と、大きく背中を押してくれたのです。

親だからこそ分かる、息子の本気。

その言葉がどれほど心強かったことでしょう。

母校の仲間たちからは、温かいエールが届きました。

愛工大名電の同期や近畿大の関係者からは「頑張れ!俺も頑張るよ」という言葉をもらい、プロ挑戦宣言の動画には視聴者から応援コメントが次々と寄せられました。

「あの動画を出してから野球部の関係者から『頑張れ!』『俺も頑張るよ』とエールをもらえるんです」

批判する声も、応援する声も、すべてを受け止めながら前へ進む柳本優飛さん

約29万回再生という大きな反響は、この挑戦が多くの人の心を動かしている証といえるのではないでしょうか。

柳本優飛の現在と目標〜2027年ドラフトへ

商社を退職し、現在は名古屋を拠点に母校・愛工大名電のグラウンドで練習を重ねている柳本優飛さん

YouTubeやSNSでは日々の練習動画を公開しており、正確無比にボールを弾き返すバットコントロールは、ブランクを感じさせないほどの鋭さを見せています。

現在は独立リーグ、もしくはクラブチームへの所属先を模索中です。

どれだけ実力があっても、所属チームなしではアピールの場がありません。

まずは試合に出られる環境を整えることが、プロへの道を切り開く第一歩となります。

「まずは所属先が決まらなければアピールができないので、探しているところです」

焦らず、しかし着実に。

柳本優飛さんらしい冷静な視点で、現状を見極めながら動いています。

武器はバットコントロールとユーティリティ性

所属先が決まった先に、柳本優飛さんが描くアピールポイントは明確です。

「自分はバットコントロールだけは自分でも分からないぐらい自信があります」

高校時代から「イチロー二世」と称され、プロ注目の速球投手からもヒットを量産してきた柳本優飛さんの最大の武器は、やはりこのバットコントロールです。

加えて意識しているのが、ユーティリティプレイヤーとしての付加価値です。

複数のポジションをこなせる選手としての需要を高めることで、プロのスカウトの目に留まる可能性を広げようという戦略です。

甲子園で磨いた技術、大学で培った経験、そして商社での3年間で鍛えた精神力——これらすべてを武器に、柳本優飛さんは一軍のグラウンドを目指します。

「支配下指名相当」という妥協なき目標

プロを目指すにあたって、柳本優飛さんが掲げる目標は決して低くありません。

ドラフトでは育成指名でも受け入れる覚悟を持ちながらも、目指すのはあくまで支配下指名に値する選手です。

「今の年齢で考えると、即戦力で使えると思えるほどの選手にならなければすぐに切られる世界。支配下でいけると思える評価をいただくのが目標です」

25歳でのプロ入りとなれば、若手選手と同じ扱いでは生き残れない——そのシビアな現実を、柳本優飛さんは誰よりも理解しています。

だからこそ育成ではなく支配下、つまり即戦力としての評価を目指すという、高く険しい目標を自らに課しているのです。

「非常に高い目標なのは承知していますが、高みを目指したいと思っています」

この言葉に、柳本優飛さんの覚悟のすべてが詰まっています。

2027年ドラフト、その先にある覚悟

柳本優飛さんが自らに設定した期限は、2027年のドラフトです。

自身の動画でもこう語っています。

「僕が挑戦できるのはあと2年ぐらいまで。27年のドラフトで指名されなかったら、NPBは諦めたいと思います」

期限を設けることは、逃げではありません。

むしろ「この2年間で必ずやり切る」という覚悟の表れです。

フルマラソンに申し込んで自分を追い込んだように、柳本優飛さんは常に「逃げ道のない状況」を自ら作り出すことで、最大限の力を引き出してきました。

2027年という期限もまた、その延長線上にある自分自身との約束なのでしょう。

「初のYouTuber出身プロ野球選手」という新たな夢

柳本優飛さんがプロを目指す理由は、個人の夢だけにとどまりません。

もう一つの大きな目標が、「初のYouTuber出身プロ野球選手になる」ことです。

YouTubeを通じてプロ野球の魅力を発信し続けてきた柳本優飛さんが、自らその世界に飛び込む選手となれば、それは前例のない新しいストーリーです。

「Mr.ドラ愛」として応援してくれているファンへの、最高の恩返しでもあります。

甲子園球児として輝き、足の怪我で夢を断ち、商社マンとして再出発し、YouTuberとして新たな居場所を見つけ、そして再びプロの世界を目指す——。

これだけの紆余曲折を経てきた柳本優飛さんだからこそ、その挑戦は多くの人の心を揺さぶるのではないでしょうか。

2027年のドラフト会議で、「柳本優飛」という名前が呼ばれる瞬間を、ぜひ一緒に待ち続けましょう。

柳本優飛のまとめ

甲子園球児として聖地のグラウンドに立ち、足の怪我で夢を断ち、商社マンとして新たな世界で結果を出し、YouTuberとして多くのファンと繋がり、そして25歳でもう一度プロの夢に挑む——。


柳本優飛さんの歩んできた道のりは、一言では語り切れないほど濃密なものです。

挫折と再起を繰り返しながら、その都度「自分にできることを全力でやる」という姿勢を貫いてきた柳本優飛さんのストーリーは、まさに唯一無二といえるでしょう。

「この年でプロは無理でしょ」という声を受けながらも、「逆に火がついた」と笑い飛ばせるメンタルの強さ。

フルマラソンにあえて申し込んで逃げ道を塞いでしまう、徹底した自己管理。

倉野監督への恩返しを胸に刻みながら、毎日グラウンドでバットを振り続ける姿。

これらすべてが、柳本優飛さんという人間の本質を表しているように思います。

柳本優飛さんの挑戦は、私たちにこんなことを教えてくれているのではないでしょうか。

夢に挑戦するのに、年齢は関係ない。

20代でも、30代でも、一度諦めた夢でも、「やり切った」と思えるまで向き合うことに遅すぎるということはないはずです。

華やかな甲子園の舞台から、泥臭い再挑戦の日々まで——柳本優飛さんの姿は、くすぶっている誰かの背中をそっと押してくれるはずです。

2027年のドラフト、その日が来るまで柳本優飛さんの挑戦から目が離せません!