バレーボール

三宅綜大のwiki風経歴!兄弟や駿台学園時代がすごい!日本代表候補!

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2024年1月8日、東京体育館。春高バレーの男子決勝、マッチポイントを迎えた駿台学園のコートに、一瞬の静寂が漂いました。

セッターの三宅綜大選手の視線が、ライトサイドに立つ兄・三宅雄大選手へと向きます。

監督からの指示はクイック。

でも、三宅綜大選手の中に迷いはありませんでした。

「先生にはクイックで行けと言われていたけど、最後は雄大で終わりたいなと。打ち切ってくれるだろうと信じてトスを上げた」

その言葉どおり、三宅綜大選手の手からボールが飛んでいきます。

受け取った三宅雄大選手は、左腕を力強く振り切りました。

ボールが相手コートに突き刺さった瞬間、駿台学園の春高2連覇が決まりました。

兄弟で同じコートに立ち、兄弟で日本一を決める――これ以上ない幕切れを演じた2人の名前は、三宅雄大選手三宅綜大選手

千葉県印西市で育ち、の影響で小学1年生からバレーボールを始めた、1歳違いの兄弟です。

あれから約2年半が経ちます。

兄・三宅雄大選手明治大学へ、弟・三宅綜大選手順天堂大学へとそれぞれの道を歩み始めました。

そして今、三宅綜大選手は大学2年生にして、すでに日本バレーボール界の次世代を担う存在として注目を集めています。

今回は、そんな三宅綜大選手の軌跡を追いかけてみたいと思います。

三宅兄弟の原点 ―千葉・印西から始まった物語―

三宅綜大選手がバレーボールと出会ったのは、小学1年生のころのことです。

きっかけは、お姉さんの存在でした。

お姉さんがバレーボールをやっている姿を見ていた三宅雄大選手三宅綜大選手兄弟は、2人揃って地元・千葉県印西市のクラブチーム「印旛ヴィクトリー」に加入します。

1歳違いの兄弟が、ほぼ同じタイミングでバレーボールの世界に飛び込みました。

そこからの2人の成長は目覚ましいものがありました。

三宅雄大選手小学6年生三宅綜大選手小学5年生のときには、兄弟そろって全国大会に出場。

幼いころから、2人は全国レベルの舞台で戦う経験を積んでいたのです。

ただ、バレーボールへの向き合い方は似ていても、コートを離れると2人の性格は「正反対」だったと言います。

三宅雄大選手は「真面目で、ばか正直」。

対して三宅綜大選手「好き勝手やっている」タイプ

三宅雄大選手が苦笑いしながら
「コートを離れたときは素直ではなくて、ぜんぜん生意気」
と話せば、
三宅綜大選手もニヤリとしながら「正反対」と即答する――そんな2人の関係性が目に浮かぶようですね。

でも、だからこそ良かったのかもしれません。

性格が違うからぶつかることもある。でも、同じスポーツを同じ場所でやり続けることで、自然と互いを高め合う関係が生まれていきます。

1歳差の兄弟というのは、ちょうどいいライバルでもあり、ちょうどいい目標でもある距離感です。

その後、2人は中学・高校とバレーボールの強豪校である駿台学園へと進学し、さらに技術を磨いていくことになります。

千葉の小さなクラブチームから始まった三宅兄弟の物語は、ここから大きく動き出すのです。

駿台学園で磨かれた才能

バレーボールの名門・駿台学園高校に進学した三宅綜大選手を待ち受けていたのは、決して順風満帆なスタートではありませんでした。

入学当初、三宅綜大選手Bチームの選手でした。

同じセッターのポジションには、同級生の大坪泰介選手という強力なライバルがいたのです。

大坪選手はJOC杯で東京都選抜を優勝に導き、ベストセッター賞にも選ばれた実力者。

さらに、中学時代にオープンバレーが基本だった駿台学園中から進んだ三宅綜大選手にとって、高校でのスタイルの変化も大きな壁になりました。

入学前には「3年間で出場機会はないのかな」と、自ら覚悟していたほどです。

そんな三宅綜大選手に、大きな気づきを与えてくれたのが梅川大介監督の言葉でした。

「ブロックを見ないセッターは使えない」

口酸っぱく言われ続けたこの言葉の意味を、プレーで体現して見せてくれたのが、2学年上の先輩セッター・吉田竜也選手(現明治大学)でした。

身長170cmと小柄ながら、春高ではチームを7年ぶりの頂点に導いた吉田選手の姿は、三宅綜大選手にとってまさに道標となります。

「2年生になる全国私学大会のときに、先生から『去年と違うのはセッターだ』とずっと言われていたので。そこからインターハイぐらいまでは何回も竜也さんの映像を見ました」

吉田選手のプレー映像を繰り返し見ながら、三宅綜大選手が意識して取り組んだのが「トスを上げる前に相手コートを見る」という習慣でした。

サーブレシーブが返ってくる前に必ず相手コートへ視線を移し、ミドルブロッカーの位置を確認する。

最初はうまくできなかったそうですが、試合経験を積み重ねるうちに「調子がいいときはサイドの選手も見える」というレベルまで視野が広がっていきました。

その成長が実を結んだのが、2年生シーズンです。

レギュラーの座を奪取した三宅綜大選手は、春高バレーでチームを連覇に導きます。

迎えた決勝のマッチポイント――指示を受けながらも、最後は兄・三宅雄大選手を信じてトスを上げた場面は、導入でお伝えしたとおりです。

Bチームから這い上がり、日本一のコートで兄弟リレーを決める。

三宅綜大選手の才能は、逆境の中でこそ光り輝いたのです。

高校三冠の達成と、もう一つの「負け」

2年生シーズンに春高連覇を経験し、絶対的なレギュラーへと成長した三宅綜大選手

3年生となった最終学年では、チームの司令塔として「全国高校総体・国民スポーツ大会・春高バレーの三冠制覇」という高い目標を掲げてシーズンに臨みます。

しかし三宅綜大選手に、三冠達成の1年間で最も印象に残った大会を問うと、返ってきた答えは意外なものでした。

「自分の中では国体の負けがいちばんですね。あの負けがあったからこそ、三冠を達成することができたと思うので」

その「負け」とは、2年生時の秋に東京都選抜として臨んだ国民体育大会のことです。

準々決勝の相手は高川学園高校単独チームの山口県。

大会直前の練習試合では勝利していた相手でしたが、試合が進むにつれてコートに焦りが生まれていきます。

駿台学園高校の代名詞である正確なサーブレシーブが崩れると、三宅綜大選手のトスワークも乱れました。

クイックを絡めた多彩な攻撃が鳴りを潜め、トスはレフトへ一辺倒に。

相手の多彩な攻撃を止めることもできず、第3セットを19-25で落として敗退。

勝者コートには、優勝したかのような歓喜の輪が広がりました。

「駿台はレフトが動いて打って、クイックを生かすチームなんですけど、それができなくなった。焦ってただレフトに上げることしかできなくて、もっと冷静にやらないといけないと思いました」

ひざに手を当て、涙を流した三宅綜大選手

その悔しさが、3年生シーズンへの大きな原動力となっていきます。

そして迎えた3年生の1年間、三宅綜大選手は本当に別次元の活躍を見せました。

バックアタックを絡めた新たな攻撃パターンを習得し、対戦相手からは「何を考えているかわからない」と最高の賛辞を受けるほどのトスワークへと進化。

全国高校総体を制し、国民スポーツ大会では1年前に敗れた高川学園高校を全セット15点以下に抑える完璧な内容でリベンジを果たします。

そして春高バレー。

準決勝の市立尼崎高校戦では、チームのアタック決定率63.9%という圧巻の数字を叩き出し、ミドルブロッカーの高澤大馳選手をアウトサイドヒッターに次ぐ12得点という活躍に導きました。

決勝も危なげなく制し、失セット0での春高3連覇という歴史的な偉業を達成します。

「追われる立場として1年間過ごしてきたんですけど、最後まで勝ち切ることができてよかった」

涙をこらえながら語った三宅綜大選手の言葉には、プレッシャーと戦い続けた1年間の重さが滲んでいました。

あの国体の涙が、最高の結末へとつながったのです。

順天堂大1年、即戦力セッターとして

高校三冠という輝かしい実績を引っ提げて、三宅綜大選手が次に選んだ舞台は順天堂大学でした。

しかしどれほどの実績があっても、大学バレーは高校とはまったく別の世界です。

それでも三宅綜大選手は、入学直後から正セッターの座を任されます。

その結果は、数字が雄弁に物語っています。

前年春に4位、前年秋に6位と低迷していた順天堂大学を、三宅綜大選手は1年生の春から一気に2位へと押し上げました。

春季関東大学男子リーグ1部で9勝2敗という成績は、実に10年ぶりの好成績。

チームを引っ張った三宅綜大選手はリーグの新人賞にも選ばれ、大学バレーの舞台でも即座にその実力を証明してみせました。

ただ、三宅綜大選手の歩みで印象的なのは、結果だけではありません。

高校3年生のころまで、三宅綜大選手は自分の将来についてこんな言葉を口にしていました。

「自分はここ(高校バレー)で止まる選手。未来がないんで」

身長174cm。バレーボール選手としては決して大きくない自分の体を、どこかウイークポイントだと感じていた三宅綜大選手

大学卒業後の目標も「指導者になりたい」という現実的なビジョンを描いていたといいます。

しかしその心境を大きく変えたのが、身長175cmながら日本代表の絶対的正セッターとして世界のトップと渡り合う関田誠大選手の姿でした。

自分とほとんど変わらない身長の選手が、オリンピックのコートに立っている。

その事実が、三宅綜大選手の中の何かを解き放ちます。

春高バレー制覇後に参加したU20日本代表候補合宿では、日本バレーボール協会のハイパフォーマンス本部長・南部正司さんからも、こんな言葉をかけられました。

「オリンピックで優勝したフランスのセカンドセッターも小さい。セッターは身長だけではないから頑張ってね」

その言葉を受けて、三宅綜大選手の覚悟は固まりました。

「関田さんが今、A代表で正セッターをしている以上、自分も身長のせいにしたくない。小さいと言われても、技術で勝てるようなセッターに成長していけたらと思います」

高校時代に「未来がない」と自虐気味に笑っていた選手が、今や日本代表のエースセッターを目標に見据えています。

順天堂大学での1年間は、三宅綜大選手にとってプレーヤーとしての意識が根本から変わった、大切な時間だったのかもしれません。

日本B代表練習生として得た「学び」

2025年7月、三宅綜大選手のもとに一本の連絡が届きます。

バレーボール男子日本B代表を率いる真保綱一郎監督からの、合宿への練習生招集でした。

順天堂大学1年生、当時18歳。

数日後に迫った東日本インカレに向けた準備を進めていたタイミングでの、突然の知らせでした。

真保監督が三宅綜大選手を抜擢した理由は明快でした。

「彼のプレーは前から知っていた。関田のように小さくても技術力が高い選手なので、大型選手ばかりでなく彼のようなタレントも育てたかった」。

世代を超えた高い評価が、この異例の招集につながったのです。

日本代表のユニフォームを纏う選手たちの中に、一人だけ練習着姿で加わった三宅綜大選手

緊張してもおかしくない状況でしたが、三宅綜大選手のメンタルは少し違いました。

「緊張はない。それよりもせっかく呼ばれたのだから、自分のプレーを出せないで帰るほうがもったいないので、たくさんコミュニケーションをとろうと思っていた」

緊張よりも、もったいないが勝った――この感覚こそ、三宅綜大選手らしさが凝縮された言葉だと思いませんか。

合流直後から積極的に先輩選手たちへ話しかけ、最年長の深津英臣選手(WD名古屋)とペアを組んで対人レシーブをこなすなど、物怖じしない姿勢でチームに溶け込んでいきます。

そして7月4日の練習試合、5日・6日の国際親善試合と、三宅綜大選手は実際にコートに立つ機会を得ます。

練習時はどこか遠慮気味だった三宅綜大選手も、試合になれば顔つきが変わりました。

堂々としたプレーを披露し、ミドルブロッカーの速攻やパイプ攻撃を積極的に選択しながら、相手ブロックを散らす司令塔としての役割を果たしていきます。

この代表の場で、三宅綜大選手が最も衝撃を受けたのが、選手同士が「互いに要求し合う文化」でした。

「練習中から1本のコンビに対してもスパイカーだけじゃなく、セッターも、お互い要求して、追求し合っているのをすごく感じた。決まったらOKじゃなくて、スパイカーは『もう少しこうして』と求めるし、セッターも『もう少しこう入って』と求める。学生のカテゴリーだとセッターが合わせるのが当然、という考え方だったんですけど、お互いがお互いに求めていかないといけない、それがすごく大切なんだ、と改めて感じました」

セッターはスパイカーに合わせるもの。

それが当たり前だと思っていた三宅綜大選手にとって、代表レベルの「双方向の要求」は大きなカルチャーショックだったはずです。

そんな新たな気づきを胸に迎えた、親善試合初日の第3セット終盤。

コートに立った三宅綜大選手は、それまでのセンター線中心のトスから一転、ライト側のアンテナに近い位置から、レフトの工藤有史選手(VC長野)へとトスを上げました。

高さと伸びのある美しいトスを、工藤選手がストレートに打ち抜きます。

日本の勝利につながる1点を決めたその1本を振り返り、三宅綜大選手は笑顔でこう言いました。

「今までの中でもベストだった」

緊張より「もったいない」が勝ったメンタルで飛び込んだ代表の舞台で、自身のベストトスを決めた三宅綜大選手

その経験はすでに、次のステージへの糧へと変わっていました。

【まとめ】それぞれの舞台で、さらなる高みへ

2024年1月の春高バレー決勝。兄・三宅雄大選手へのトスで日本一を決めたあの瞬間から、三宅兄弟はそれぞれの舞台へと歩み出しました。

兄・三宅雄大選手明治大学へ、弟・三宅綜大選手順天堂大学へ。

同じコートに並び立つことはなくなりましたが、互いに大学バレーの第一線で戦い続ける2人の関係性は、離れた今も変わらず三宅綜大選手の力になっているはずです。

小学1年生のころから「正反対」と言い合いながらも切磋琢磨してきた兄弟が、今度は別々の場所でそれぞれのライバルと競い合っている。

その構図は、三宅綜大選手にとってこれ以上ない刺激になっているのではないでしょうか。

そして三宅綜大選手自身は、代表での経験を得た今も、視線をまっすぐ手元の目標へと向けています。

「この環境を知ることができたのは自分にとってすごくプラスで。だけど、だからこそこれがムダにならないように、(経験が)自分のものだけにならないように。自分には順大というチームがあって、そこで勝ってこそだと思っているので、優勝に向けてつなげていけるように、得られた経験から学んだことを周りに向けて発信していきたいです」

代表レベルの「互いに要求し合う文化」を、今度は順天堂大学のチームメイトへと伝えていく。

個人の成長を、チームの勝利へとつなげていく。

この言葉には、司令塔としての責任感と、チームへの深い愛情が滲み出ています。

順天堂大学2年生にして、すでにそんな視座を持っているところに、三宅綜大選手の器の大きさを感じますよね。

身長174cm。かつては「自分はここで止まる選手」と笑い飛ばしていた小柄なセッターは、今や日本バレーボール界の次世代を担う存在として、多くの関係者から熱い視線を注がれています。

関田誠大選手という偉大な背中を追いかけながら、「身長のせいにしない」という覚悟を胸に、三宅綜大選手はこれからも成長し続けるはずです。

高校三冠、大学リーグ新人賞、日本B代表での国際親善試合出場――これだけの実績を、三宅綜大選手はまだ大学2年生という年齢で積み上げてきました。

この先に待っているキャリアを思うと、胸が躍りませんか。

姉の影響で始めたバレーボールが、兄弟の絆を深め、そして一人のセッターを日本代表候補へと押し上げました。

千葉・印西の小さなクラブチームから始まった三宅綜大選手の物語は、まだまだ続きます。その歩みから、これからも目が離せません!