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辻竜乃介はドラフト注目!父や祖父は?出身中学は?進路は大学進学! 

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履正社高校ドラフト候補辻竜乃介選手

身長184センチ、体重88キロという堂々たる体格を持ちながら、ショートとして軽快な守備をこなし、4番打者としてチームを引っ張る、まさに文字通りの中心プレーヤーです。

でも、辻竜乃介選手という選手が注目を集めるのは、そのプレーだけが理由ではありません。

祖父・哲也さん元中日ドラゴンズ外野手

父・竜太郎さんオリックス楽天でプレーし、現在は西武でコーチを務める元プロ野球選手です。

そして今、辻竜乃介選手がプロの世界を目指そうとしています。

実現すれば、日本球界史上初となる「3世代プロ」の誕生です。

血統、才能、そして強い意志——。

辻竜乃介選手という高校生が背負うものの大きさと、それでも前を向き続ける姿を、ぜひ最後まで読んでみてください。

辻竜乃介のプロフィール

名前:辻 竜乃介(つじ りゅうのすけ)
生年月日:2008年10月5日
出身:兵庫県神戸市
身長:184cm
体重:88kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ショート兼サード兼ファースト
経歴:神戸市立向洋小学校→神戸市立向洋中学校→履正社高等学校

「父」から受け継いだ野球と哲学

辻竜乃介選手が野球を始めたきっかけは、やはり父・竜太郎さんの影響でした。

竜太郎さんオリックス楽天でプレーしたNPBの外野手

残念ながら辻竜乃介選手が生まれた頃にはすでにNPBを離れていましたが、その後も独立リーグ・信濃グランセローズでユニフォームを着続けました。

幼い辻竜乃介選手の目には、グラウンドで全力でプレーし続けるの姿が、ただただ
「かっこいい」と映っていたといいます。

その憧れが、野球への情熱へと変わっていきました。

小・中学生の頃、辻竜乃介選手は自宅で毎日のようにとキャッチボールをし、一緒にランニングをしていました。

特別な練習メニューというより、地道な「基礎」の積み重ね。

でも辻竜乃介選手は今、その日々こそが自分の土台になっていると感じています。

「レベルが高くなる中でいろいろ考えないといけない。基礎ができていないと考えることもできないので、教えは生き続けています」

打撃面でも、からの言葉が今も辻竜乃介選手のスイングを支えています。

調子が崩れるとバットのヘッドが頭側に入り、当てにいくだけのスイングになってしまう——その悪い癖を矯正するために、父・竜太郎さんはいつもこう言い続けてきました。

「トップではバットは置いておくだけでいいよ」

シンプルな一言ですが、辻竜乃介選手にとっては自分のスイングを取り戻すための「合言葉」のような存在です。

引き出しの多いだからこそ、打撃を一目見た瞬間に的確なアドバイスが出てくる。

その言葉を今も大切に、グラウンドに立ち続けています。

そして、プレー以外でも父から受け継いだ大切な哲学があります。

それが「言い切ることで言葉に責任を持つ」というスタイルです。

辻竜乃介選手はこう宣言しています。

「大学出てからプロ野球選手になって、メジャーリーガーになります」

夢を「なりたい」ではなく「なります」と言い切る。

その言葉の重さを、辻竜乃介選手は誰よりもわかっています。

から受け継いだこの姿勢こそが、彼をただの「野球がうまい高校生」ではなく、有言実行の本物のアスリートへと育てているのかもしれません。

「祖父」から続く血統とDNA

辻竜乃介選手の野球の原点をたどると、祖父・哲也さんの存在にたどり着きます。

哲也さん大阪・浪商高校から明治大学へ進み、卒業後は日本楽器(現ヤマハ)でプレー。

社会人屈指の好打者として評価を高め、1972年のドラフト会議で中日ドラゴンズから7位指名を受けてプロの世界へ足を踏み入れました。

明治大学時代にはリーグ戦でベストナインを3度受賞し、アジア野球選手権の日本代表にも選ばれるなど、アマチュア時代から輝かしい実績を残した選手でした。

その息子が、父・竜太郎さんです。

竜太郎さんもまた、哲也さんと同じ明治大学、そして同じヤマハという道を歩みました。

そして2001年のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから8巡目指名を受け、と同じくプロの世界へ。

オリックスでは岩隈久志から初本塁打を放つなど印象的な活躍を見せ、その後楽天へと移籍。

NPB退団後も独立リーグで現役を続け、現在は西武ファームチーフコーチとして後進の育成に情熱を注いでいます。

そして今、3代目として辻竜乃介選手がプロを目指しています。

祖父ドラフト7位、父ドラフト8巡目

それぞれが自らの力でつかんだプロへの切符。

そのドラフトという舞台に、辻竜乃介選手もいつか立とうとしています。

3世代にわたるプロへの挑戦。

傍から見れば、これほどのプレッシャーはないように思えます。

でも辻竜乃介選手本人は、驚くほど前向きにこう語っています。

「3代というプレッシャーよりも幸運だと思って、いい環境に恵まれたなと切り替えてやっています」

祖父・哲也さんは2024年に75歳で他界されましたが、生前、野球についてたくさんの話をしたといいます。

哲也さんの背中が辻竜乃介選手の中に生き続けているのは間違いありません。

祖父から父へ、父から孫へ。

辻家に流れる野球への情熱と、プロという高みを目指すDNAは、確かに受け継がれています。

辻竜乃介選手のキャリアと実力

「3世代プロ」という看板を背負いながらも、辻竜乃介選手は幼い頃からその才能を自らの力で証明し続けてきました。

野球を始めたのは小学1年生のとき。

地元・神戸の六甲アイランド少年野球部でバットを握り、打って、投げて、走る日々がスタートしました。

そして小学6年生のとき、厳しいセレクションを勝ち抜いて阪神タイガースジュニアに選出。

これは単純に、同世代の中でも飛び抜けた才能を持っていた証明です。

中学進学後はヤング神戸須磨クラブに所属。

もともとは二刀流としてプレーしており、投手としても130km/hを超えるストレートを誇っていました。

打撃では長打力と高い出塁率、守備では肩の強さとハンドリングの安定感が評価され、中学3年時にはU15日本代表に選出されます。

中国で開催されたBFAアジア選手権大会では、のちに横浜高校で遊撃手として活躍する池田聖摩選手らとともに戦い、見事準優勝に貢献しました。

「ハイレベルな環境でプレーをさせていただいたことは、本当に大きな経験になりました」

国際大会で肌で感じた世界との差と、日本野球の恵まれた環境への感謝。

その経験が、辻竜乃介選手をさらに大きな選手へと成長させていきました。

高校は20校からの誘いを受ける中、履正社を選択。

小学5年生のとき、井上広大選手(現ロッテ)らを擁した履正社が全国制覇を達成した姿に強く憧れていたこと、そして専用寮を持たない「通い」のスタイルが自立した環境づくりに適していると感じたことが決め手でした。

今も神戸市内の自宅から片道約1時間半をかけて豊中市の学校へ通い続けています。

履正社では1年秋からベンチ入りを果たし、2年秋からは4番・主将・正遊撃手という三つの重責を一身に担うことになりました。


履正社の多田晃監督も
「思いやりがあって真面目に取り組める。すべてで中心的な位置にいる」
と全幅の信頼を寄せています。

特筆すべきは、木製バットへのこだわりです。

「低反発の金属バットよりも、しなりを使って自分に近いポイントで打てる木製バットのほうが、感覚的には合っている」

フルスイングを磨きながら、その中で対応力を高めていく——それが辻竜乃介選手の打撃のテーマです。

守備面でもハンドリングと送球には自信を持ちつつ、一歩目のスタートや球際のプレーをさらに突き詰めています。

そんな辻竜乃介選手が憧れの選手として名前を挙げるのが、フェルナンド・タティスJr.(パドレス)です。

走・攻・守すべてでメジャーを席巻するスーパースターの姿は、辻竜乃介選手が描く自分の未来像そのものなのかもしれません。

甲子園への渇望と「伝統を守る」責任

辻竜乃介選手が履正社に憧れた理由のひとつに、甲子園という舞台がありました。

しかし今、その聖地はまだ、辻竜乃介選手たちの世代には遠い場所にあります。

履正社は2006年以降、在学中に必ず一度は甲子園の土を踏んできた強豪校です。

しかし2023年夏を最後に、その伝統が途切れています。

辻竜乃介選手の世代は、まだ一度も聖地に立てていません。

1年秋にはベンチ入りを果たし、大阪府大会決勝で宿敵・大阪桐蔭を8対3で下して優勝を飾りました。

しかし喜びも束の間、近畿大会初戦で滋賀短大付に1対4とまさかの敗戦。

甲子園への道は、あっけなく閉ざされてしまいました。

そして主将として臨んだ昨秋、さらに厳しい現実が待っていました。

大阪府大会5回戦、大商大堺に5対6で惜敗。

宿敵・大阪桐蔭と対戦するはるか手前での敗退です。

履正社が秋の府大会でベスト8を逃したのは、実に2014年以来11年ぶりのこと。

名門にとっては、これ以上ないほどの屈辱的な結果でした。

その敗戦が、辻竜乃介選手を変えました。

「昨秋に負けてから、課題がすごく多いということに気づきました」

主将という立場になったとき、最初は
「まず自分のことを精一杯やってからチームのことを考える」
というスタンスでいたといいます。

しかし敗戦を経て、チームとしての在り方を根本から見直すことにしました。

今はチーム内のコミュニケーションを徹底的に意識し、選手一人ひとりと向き合いながら、チームをひとつにまとめることに力を注いでいます。

背負うものの重さは、誰よりもわかっています。

「近そうで、本当に遠い場所が甲子園。すべてを野球に捧げなければ、簡単にはたどり着けない場所だと思っています」

履正社が誇る甲子園出場の伝統を、自分たちの代で途絶えさせるわけにはいかない。

その思いが、辻竜乃介選手をグラウンドへと駆り立て続けています。

辻竜乃介のまとめ:3世代プロはあくまで「通過点」

「3世代プロ」——その言葉だけでも、十分すぎるほどのドラマがあります。

しかし辻竜乃介選手にとって、それはゴールではありません。

あくまでも、もっと大きな夢への通過点に過ぎないのです。

辻竜乃介選手が目指す場所は、日本のプロ野球だけではありません。

その先にある、メジャーリーグのグラウンドです。

祖父・哲也さん1972年ドラフト中日へ。

父・竜太郎さん2001年ドラフトオリックスへ。

そして辻竜乃介選手が思い描くのは、大学でさらに力を磨き、ドラフトでプロの世界へ踏み込み、そしてやがてメジャーリーガーとして世界の舞台に立つ姿です。

祖父から父へ、父から自分へと受け継がれてきた夢の系譜に、辻竜乃介選手は新たな1ページを書き加えようとしています。

しかし、まずは目の前にある夏の甲子園

履正社の伝統を取り戻し、聖地のグラウンドに立つこと。

そしてその先に、ドラフト、プロ、そしてメジャーへと続く長い道のりが待っています。

「3世代プロ」は、辻竜乃介選手の夢の始まりに過ぎません。

履正社の主将は今日も、その大きな放物線を描き続けています。