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前田聖矢のwiki風経歴!父や兄弟は?ドラフト指名はある?

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今シーズンからハヤテベンチャーズ静岡に入団した前田聖矢選手

「12球団でプレーしたいっていうのが夢。育成でもいいから行きたい」
そう言い切る前田聖矢選手の言葉には、迷いがまったくありません。

社会人野球のロキテクノ富山を退団し、トライアウトを経てハヤテベンチャーズ静岡へ。

異色のキャリアチェンジに踏み切った背景には、NPBの舞台でプレーしたいという、強くて純粋な夢がありました。

元NPBプレーヤーを父に持ち、甲子園でも輝いた経歴を持つ前田聖矢選手が、なぜ今この静岡の地で新たなスタートを切ったのか。

その理由と覚悟に迫っていきたいと思います。

前田聖矢の父・前田幸長――NPB19年間の大投手が持つ息子

前田聖矢選手お父さんは、元プロ野球選手の前田幸長氏です。

ロッテ・オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)ドラフト1位で入団したサウスポーで、その後中日ドラゴンズ読売ジャイアンツと渡り歩き、NPBで19年間にわたって活躍!

通算595試合登板という輝かしい実績を残した、まさに一流の投手でした。

そんな父を持つ前田聖矢選手

これまでの野球人生、常に「前田幸長の息子」という目で見られてきたといいます。

しかし本人はキッパリとした口調でこう話します。

「別に嫌な気持ちはないです」

の名前をプレッシャーではなく、むしろ自分の原動力として受け入れている。

そんな前田聖矢選手の強さと清々しさが、この一言にギュッと詰まっているように感じます。

そして父・幸長氏から息子へ贈られたアドバイスも、19年間プロの世界を生き抜いてきた経験者ならではの言葉でした。

「ケガの対策と体力(面)。1試合1試合全部100%でやってたら(1年間)持たないと思うので、そこは自分で力加減を見つけて頑張れ」

社会人時代は年間50試合程度だった試合数が、ハヤテではフェニックス・リーグを含めると年間160試合にまで膨れ上がります。

長丁場を戦い抜くための体づくりと自己管理の大切さを、は真っ先に伝えたのです。

前田聖矢選手自身もその言葉をしっかりと受け止め、
「ケガをしたらもう終わり」
と話すように、ストレッチやウェイトトレーニングによるケガ予防にも力を入れながら、この1年に全てを懸ける覚悟を持って静岡の地に乗り込んできました。

前田聖矢の家族構成と兄・前田幸矢

前田聖矢選手は、姉2人兄1人を持つ4人きょうだいの末っ子として生まれました。

そして兄・前田幸矢さんもまた、野球人だったことをご存知でしょうか。

幸矢さん聖矢選手の6歳上

広陵高校山梨学院大学投手としてプレーし、現在は現役を引退しています。

父・幸長氏が元プロ投手、兄・幸矢さん投手として野球の道を歩んだ、まさに野球一家です。

そんな環境の中で育った聖矢選手ですが、幼い頃から
「投げるほうはあんまり好きじゃなかった」
と話すように、とは異なる野手の道を自ら選びました。

小学2年生から野球を始め、中学時代は父・幸長氏が2007年に設立した都築中央ボーイズでプレー。

1番・セカンドとして活躍し、3年生のときには主将としてチームを牽引しました。

父が打撃投手として1日2000球を投げることもあったという熱血指導のもと、着実にバッターとしての土台を築いていった前田聖矢選手

の背中を見ながら野球漬けの日々を過ごした少年時代が、今の積極的なバッティングスタイルの原点になっているのかもしれません。

「聖なる矢のように突き進む」――そんな願いを込めてつけられた「聖矢」という名前の通り、野球一家の末っ子は自分だけの道をまっすぐに突き進んでいます。

前田聖矢の日大三高時代

中学卒業後は、東京の強豪・日大三高校へ進学した前田聖矢選手

1年秋東京都大会からベンチ入りを果たし、早くからその才能片鱗を見せていました。

そして迎えた2年生の夏。

第100回全国高等学校野球選手権記念大会、いわゆる「100回記念大会」で、前田聖矢選手は甲子園の大舞台に立ちます。

日大三高はこの大会でベスト4に進出。

しかし準決勝で立ちはだかったのが、秋田・金足農業高校と、その絶対的エース・吉田輝星投手(現・オリックス)でした。

全国を熱狂させたあの吉田輝星投手から、前田聖矢選手代打として登場し、見事内野安打を放ってみせたのです。

結果は1-2での惜敗。

しかしあの夏、日本中が注目した大舞台で、代打という重圧のかかる場面でヒットを放った経験は、前田聖矢選手にとってかけがえのない財産になっているはずです。

またこの日大三高時代の同期には、現在NPBで活躍する選手たちの名前も並びます。

東京ヤクルトスワローズの廣澤優投手、埼玉西武ライオンズの井上広輝投手です。

そうそうたるメンバーがいたチームの中で切磋琢磨した日々もまた、前田聖矢選手を大きく成長させた時間だったのではないでしょうか。

社会人からハヤテへ――なぜ”異色の選択”をしたのか

日大三高を卒業後、前田聖矢選手立正大学へ進学。

4年春の東都2部リーグでは二塁手としてベストナインを受賞するなど、着実に実力をつけていきました。


大学卒業後は社会人野球のロキテクノ富山へ。

しかし2年間在籍したのち、昨シーズン限りで退団し、ハヤテベンチャーズ静岡のトライアウトを受験するという、異例の決断を下します。

その背景には、社会人野球ならではの”縛り”がありました。

社会人野球からのドラフト指名は、原則として支配下のみ。

育成選手として指名されることはないのです。

しかしNPBのファームリーグに参加している球団であれば、その縛りはありません。

つまりハヤテへの移籍は、育成指名も含めた12球団すべてへの扉を開くための、極めて戦略的な選択だったのです。

「社会人なんで仕事もしながらでしたし、試合数も(NPBと比べ)3分の1ぐらい。アピールの場数を考えた時に移籍してアピールの場を増やすほうが(ドラフト指名に)近づけるかなと思いました」

この言葉からも伝わるように、前田聖矢選手の決断は衝動的なものではありません。

社会人時代の年間約50試合から、ハヤテではフェニックス・リーグを含めて年間160試合へ。

試合数が一気に3倍以上に増えるこの環境こそが、スカウトの目に留まるための最大のチャンスだと冷静に見極めたのです。

「育成でもなんでもいいから12球団でプレーしたい」という純粋な夢を、しっかりとした戦略と覚悟で裏打ちしている――そんな前田聖矢選手の頼もしさを感じるエピソードではないでしょうか。

勝負の武器は「積極性」――首位打者への挑戦

ハヤテベンチャーズ静岡で前田聖矢選手が勝負の武器として磨き続けているのが、バッティングの積極性です。

「ファーストストライクから捉えていこうという意識で、常に打席には立ってます。ストライクを取られるたびに(打)率って下がっていく。特にツーストライクに追い込まれたら1割台とか聞くんで、だったらファーストストライクから積極的に振っていけば、感覚とかタイミングとかも打席の中で掴んでいけると思うんで、そういう意識でやってます」

データに基づいた明確な根拠と、自分自身の感覚を融合させたバッティング哲学。

その言葉からは、しっかりと自分のスタイルを確立している選手としての自信がにじみ出ています。

身長174センチ体重80キロと、プロの世界では決して恵まれた体格とはいえません。

しかし前田聖矢選手はそれをむしろ冷静に受け入れています。

「どちらかといえばパワーヒッターではないので。内野の頭を越えて外野の間を抜いていくとかそういうバッティングなんで、(打)率を高く残せればいいなと思ってます」

自分の特性を正確に把握したうえで、磨くべき武器をひとつに絞る。

そのきっかけとなったのが、ロキテクノ富山時代の監督で、現役時代に阪神タイガースなど3球団で投手としてプレーした藤田太陽氏(現ロキテクノ富山GM)からの助言でした。

「一芸に特化した選手が多い中で、自分が埋もれないために何か1つ決めてしっかり勝負していけ」
この言葉が、前田聖矢選手のアベレージへのこだわりをより一層強いものにしました。

そして目標として掲げるのは、高打率を残すことで手に入る首位打者のタイトルです。

「(目標は)規定(打席)に乗って首位打者。そういうタイトルを獲れればスカウトの人の目にも留まると思うんで、まずは結果で見せつけたいなと思ってます」

タイトル獲得をドラフト指名への最短ルートと捉え、そこへ向けて一切ブレることなく照準を合わせています。

先輩の背中――知念大成選手からの刺激

「結果ってホントに大事だなと改めて思いました」

前田聖矢選手がそう語る背景には、同じNPBファームリーグで戦った先輩選手の存在があります。

それが、オイシックス新潟アルビレックスBCから昨秋のドラフトで読売ジャイアンツに育成5位で指名された知念大成選手です。

知念選手は前田聖矢選手より1歳上の左投げ左打ちの外野手。

オイシックス1年目の2024年にイースタン・リーグで首位打者を獲得し、2年目の2025年には打点王のタイトルまで手にして、見事プロの世界へと羽ばたきました。

「知念さんは1年目に(NPB球団に)行けるかもって言われてて、2年目もタイトルを獲って結果を見せつけてプロの世界に行ってるんで、結果ってホントに大事だなと改めて思いました」

知念選手の歩んだ道は、前田聖矢選手が目指すルートとほぼ重なります。

ファームリーグでタイトルを獲得し、その結果でスカウトの目を引いてドラフト指名につなげる――その夢が絵空事ではなく、現実に達成できるものだと証明してくれた存在が、すぐそこにいるのです。

ハヤテと同時期にNPBファームリーグへ参加したオイシックス新潟から生まれた知念選手のサクセスストーリーは、前田聖矢選手にとって最高の道標になっているに違いありません。

前田聖矢のまとめ

「ドラフトにかかるっていう自信がないとここには立ってないんで、自信は常に持ちつつ結果にもこだわってやっていけたらなと思います」
この言葉に、前田聖矢選手のすべてが詰まっています。

社会人野球からあえてNPBファームリーグへ。

育成指名でもいいから12球団でプレーしたいという夢のために、自ら環境を変える決断をした24歳。

父・幸長氏が19年間にわたって戦い続けたNPBという舞台で、今度は息子・前田聖矢選手が自分の名前を刻もうとしています。

ファーストストライクから積極的に仕掛けるバッティングで首位打者を狙い、スカウトの目を引く。

知念大成選手が証明してくれたそのルートを、前田聖矢選手もまっすぐに突き進もうとしています。

退路を断ち、静岡の地に乗り込んできた前田聖矢選手の挑戦は、2026年シーズンとともにいよいよ幕を開けました。

の背中を追いかけてきた少年が、今や自分自身の夢を力強く語る青年になっています。

「聖なる矢のように突き進む」――その名前に込められた願い通り、前田聖矢選手の放つ矢がNPBの舞台へと真っ直ぐ突き刺さる瞬間を、ぜひ一緒に楽しみにしていきましょう。